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続々続「東京大空襲の記憶」


戦争になったときーー芸術家は

「このような正確な設計が可能だったのは、戦前一九三七年まで十八年間、日本で設計士として働いたアントニン・レーモンドが、米国に戻ってから戦時局に依頼され、設計に協力したからでした。レーモンドは、フランク・ロイド・ライトの弟子として帝国ホテルの設計に携わり、戦前・戦後あわせて四十四年間、日本で多くの著名な建物を設計。「日本近代建築の父」といわれます。続々続「東京大空襲の記憶」_c0013092_10281660.jpg
彼は、日本建築に愛情を持ち、「近代建築の基になるもの」と高く評価していました。にもかかわらず、自分が設計した物もふくめ、愛着ある建物を焼夷弾でいかに効果的に焼き尽くすかという実験に、間接的にせよ協力したことになります。『自伝』(一九七〇年出版)では「戦争を最も早く終結させる方法は、…日本を可能な限り早く、しかも効果的に敗北させること」だと考えたとのべています。
建築家である三沢さんは、戦後、レーモンドの事務所に入った、弟子です。「東京大空襲へのレーモンドのかかわりを調べ、公表することは、師を告発する重いものです。しかし、歴史的事実は明らかにされなければならない。それまで日本の建築のために尽くしながら、なぜ、実験に協力したのか。矛盾ははかりしれない」と語ります。
この実験は、米国の戦史家、E・バートレット・カーが著書でふれるなどしていますが、詳しい分析が今後期待されます。いったん戦争になったとき、科学者、学者、建築家、芸術家らが、どう行動するのか、行動せざるをえないのか。重い問いを突きつけています」
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アントニン・レーモンド(1888—1976年) チェコ生まれ。
1919年に来日。東京女子大学、軽井沢聖パウロ教会などを設計。37年に米国に戻り、戦後、48年に再来日。群馬音楽センター、南山大学などが代表作。前川国男、吉村順三らを育て、日本の近代建築の基礎をつくったとされている(赤旗3月6日)
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(写真は群馬音楽センターのホール)

勝っても負けても戦争はNOーーーーーー
by daisukepro | 2005-03-13 09:58 | テレビ


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