続視聴率戦争「ワイドショーとテレビ」

ワイドショーとテレビと題する記事がWEB上にのっていたのでそのまま採録する。
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「ワイドショーのあり方が問われ初めて久しい。少し話題が古くなってしまうが、一連のオウム事件にはじまり、和歌山での毒物カレー混入事件、神戸のA少年事件、バスジャックといった異常な犯罪が相次ぎ、20世紀末はまさに世紀末的な様相を逞していたことはご存知の通りである。
そして、これらの異様な世界に連動して報道合戦も熾烈になり、その過程でさまざまな問題が浮かび上がってきた。とりわけテレビ、そしてワイドショー番組がその極にあったといっていいだろう。
しかし、同時に大方の視聴者はテレビ番組の制作や編成、視聴率の仕組みといったことについては全くといっていいほど何も知らされていない。一般の市民生活にも多大な影響を与えているテレビ、そしてワイドショー。
今回はそのワイドショーの実態を見ながらワイドショーそのものを含めてテレビ全体の問題を考え、さらに今後の展望なども述べてみたいと思う。
ワイドショーを考えるときに、私はまず最初にワイドショー番組とは具体的にどんな番組であるかということを考えてみた。つまり、ワイドショーの定義ですが、日本テレビでは「広義には生で放送時間が長いこと。狭義では事件・事故・芸能ネタを扱うかどうか」としている。
しかし、実際はそのワイドな時間の大半は芸能ネタで埋められているのが事実である。また、大きな事件が起きた時は何日もその話題に放送時間を費やしている。


次にワイドショーの歴史からその功績を見てみたい。


一番最初のワイドショーは「木島則夫モーニングショー」(NET=現テレビ朝日系)で、以来35年の間にワイドショーはスタジオトークから現場中継主義へ。キャスターのキャラクターから司会・リポーター・コメンテーターなどの役割分担ショーへ。そして、放送時間滞が各局横並びで競う“大競争時代”へと姿を変えてきた。その過程においてワイドショーがジャーナリズムに与えてきた影響は善くも悪くも大きなものがある。
その一つとして挙げられるのは、ストレートニュースが結果を重視するのに対して、ワイドショーはプロセスを重んじ、ストレートニュースの弱点を補完できるという点である。確かに、善い悪いを別にしてワイドショーは記者のクラブなどの既成ルート以外からの取材の可能性を開いたといえる。ワイドショーの持つ健全な野次馬精神がジャーナリズムの発展を支えてきた部分もあるのだ。
ワイドショーもしくはテレビの問題を語る上で最も重要なキーワードの一つとして、「視聴率」というものを挙げられる。視聴率とはご存知通り視聴者がどの程度試聴しているのかを調べて計量化したものであるが、その実態はそれほど一般的には知らされていないのが現状である。そこで、視聴率についてちょっと紹介したいと思う。
もともと日本には視聴率調査を行なう会社として、外資系のニールセンと広告会社電通が中心になって発足したビデオリサーチ社の二社が存在した。電通は主要テレビ局のゴールデン時間枠の大半をおさえ、番組制作にも大きな発言力を有していることで知られる。
つまり。最強のチームを持つ球団が審判を出しているような状態なのである。現に電通が制作に関わっている番組はニールセンの数字に較べてビデオリサーチの方が高いといった話はつとに伝えられていた。
さらに、2・3年ほど前からニールセンは個人視聴率調査を行なうようになって、各テレビ局から次々と契約を打ち切られ、いまでは日本で視聴率調査を行なっているのは事実上ビデオリサーチ社となってしまっている。いわば民法テレビに強大な影響力を持つ電通が視聴率調査を完全に握ってしまっているのである。
このようなアンフェアーな調査方法によって打ち出される視聴率の数字を、番組の制作者たちは崇拝しており、視聴率のためなら何でもまかり通る世界が出来上がってしまっているのである。特にワイドショーでその傾向が顕著である。
ワイドショーに対する主な批判として「芸能ゴシップ・スキャンダルに偏っている」「くだらない話題を毎日どの局も流し続ける」というものが挙げられるが、実際それらの原因をつきつめていけば結局「視聴率至上主義」に帰結してしまうのではないだろうか。
 例えば99年の「サッチー騒動」の時は、「スーパーモーニング」「ザ・ワイド」「2時のホント」などは、本当に来る日も来る日も飽きもせずに野村沙知代氏を話題に、時間の大半を費やしていた。報道して問題にすべきことは経歴査証疑惑くらいしかないにもかかわらず、野村氏の私的なトラブルに至るまで、たくさんのコメンテーターが並んで大真面目な顔であれこれ「分析」していた。あたかも今の日本で最も重要な問題が「サッチー」であるかのように。
当時問題となっていた、ガイドライン法や盗聴法案、国旗国家法案などを差し置いて、なぜ「サッチー」が報道が氾濫したのか。その原因は言わずと知れた視聴率である。現に朝日テレビの社長は、記者会見の席で「報道することは経歴査証疑惑くらいしかないが、数字がいいので現場のディレクターは燃えている。正直言って止められない。」と述べているのである。
 しかしこうした問題はワイドショーに限ったことではなく、テレビメディア全般に対して言える事である。現在、地上波テレビ局の収入の9割はスポンサーからの広告収入である。広告媒体としての映像メディアの評価は高く、他のメディアの後発にも関わらず60年にはラジオを、75年には新聞を抜いている。そうした広告収入で成立している民放としては当然のことだが、スポンサーの口出しも多い。番組制作上のタブーも出てくる。
言わば民放局にとっての本当のお客様はスポンサーなのである。製作者側がどっちを向いて番組を作っているかといえば、やはり製作上一番気にするのは広告代理店でありスポンサーなのである。だから結局民放にとっての売上になってくる視聴率はそれさえ上げれば番組の中身や放送の社会的使命というようなことは二の次三の次になってしまうのである。


 また局の上層部においては免許権を握っている政府の方へ意識が向いている。野村沙知代氏に対して「こんな人が議員になったらたまらない。」という事は出来ても、小沢一郎氏に「なんであんな人を候補者に載せたんだ。」とは言えない体質になっている。「視聴率が上がるからやっている」と弁解するワイドショーの関係者は政治家には突っ込まない。ワイドショーが芸能人のスキャンダルばかり取り上げるのは、こうした「強気になびき、弱気を叩く」という精神も原因の一つでは無いだろうか。
ワイドショーやテレビの批判は取り上げればきりが無いので、とりあえずこの辺でやめにして、最後にワイドショーの今後を考えて見たいと思う。


 ーーーーーー続く
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by daisukepro | 2005-01-12 10:53 | マスコミ


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