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さよならタカムラ・クラタロー(高村倉太郎)

さよならタカムラ・クラタロー(高村倉太郎)

11月23日午後1時、告別式は亀戸の東覚寺で行われた。風のないおだやかな小春日和だった。
出版記念会の知らせが届いたのは一ヶ月ほど前、風のたよりで入院したと耳にしていたが、訃報を本郷にある事務所で聞いた。さよならタカムラ・クラタロー(高村倉太郎)_c0013092_014289.jpg日活の友人から川島雄三のDVDを買い求め「幕末太陽伝」を見たばかりだった。勿論、カメラマンはクラさん、新文芸座で48人の監督と撮った男という連続上映会が11月26日から開催されることになっていた。式場の祭壇には刷り上がった自叙伝が置かれてあった。140本の作品歴を見ると日活映画そのものの感がある。極楽に行ったクラさんの追悼映画会、出版記念会は偲ぶ会になるだろう。映画人九条の会には真っ先にかけつけて、よびかけ人になった。クラさんは兵役体験があり、反戦平和がクラさんの優しさの源であった。私は川島作品の中で「州崎パラダイス・赤信号」がお気に入りだったので、何かの会合の席でクラさんにそのように話すとにっこり笑った。子供のような笑顔が印象に残っている。そのときクラさんが「州崎パラダイス」のカメラマンであったことを初めて知った。
心からの哀悼の意を捧げたい。たしか熱海か伊東のホテルで会議があった帰りに、海岸沿いにある洒落たレストランに案内されたことがある。出されたフランスパンの歯触りをほめると、クラさんは「パンは冷凍しておいて焼くとできたてのようになる」と教えてくれた。以後冷蔵庫から食パンを取り出すたびにクラさんを思い出すことになった。死後も変わらないだろう。レストランはクラさんの身内の経営だった。
by daisukepro | 2005-11-24 00:15 | サヨナラ


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