続々続「石原慎太郎の弁明」、知事は「若い日本の会」のメンバーだった

続々続「石原慎太郎の弁明」、知事は「若い日本の会」のメンバーだった

今年、三月には区議選と都知事選がある。去年、石原慎太郎はオリンピック招致を理由に挙げて、早々と出馬表明をした。しかし、目に余る都政私物化が暴露され、全国紙までがとりあげるようになった。石原知事は「テレビ朝日」を利用して弁明に努めたことは既に述べた。今年に入って、今度は「日本テレビ」に登場して芸人に人文字をつくらせ石原礼賛をさせた。選挙が近づくと石原軍団が揃って登場する。石原プロはかつて日活の映画スター石原祐次郎が作ったプロダクションである。テレビ番組「太陽にほえろ」は一世風靡した。この軍団は石原一族の選挙には決まって応援団を繰り出している。
「太陽にほえろ」は成田空港の滑走路を祐次郎がひとり颯爽と歩くタイトルバックで有名だ。ある刑事ものを製作していた某テレビプロダクションの制作担当者が成田空港に撮影許可を申請した。対応した広報担当者は「滑走路で撮影など、とんでもない。何を考えているのですか」とにべもない。「あのー、たしか祐次郎さんが歩いていたのはこの空港ではありませんか」と恐る恐る問い返した。
「お兄さんの石原防衛庁官から特別の依頼があったので許可しました。あれは例外です」と平然と答えたそうだ。石原の私物化は都知事以前からもあったのだ。
自衛隊のヘリを私用に使ったと云う噂もあった。
海外派兵が平然と行われ、防衛庁が防衛省になった近頃、石原が防衛大臣でなくてよかった。EUではウルトラ国粋主義者として超有名人、何をやるか分かったものじゃない。

宮内省担当の共同通信記者であった板垣恭介さんが、次のような記事を「マスコミ九条の会」のホームページに書いている。

「瞳の覚悟と慎太郎・康弘のウソ」

 山口瞳という小説家がいた。彼は《専守防衛》を自称する自衛隊の存在も否定した。要旨、こんな随筆を書いて週刊誌に発表した。
 「防衛予算はすべてアフリカの飢える難民に与える。まる裸になった日本はどうする?某国が攻めてきたら滅びればいい。戦争をすることを否定し、平和を愛する日本民族を攻撃する国家があるような世界には生きていたくはない。それが、戦中派の覚悟である」
 石原慎太郎という小説家がいた。いま東京都知事をやっている。1960年の安保闘争の際、彼は「若い日本の会」のメンバーで、仲間には開高健や大江健三郎がいた。
 彼は弟裕次郎の顔で、日活映画の俳優を安保反対集会に動員をかけ「この集まりに出るのはキミの義務だ」と命令した。その強権的なモノの言い方が頭にきた長門裕之は欠席した。裕次郎は頭をかしげて「兄貴の思想からいうと、安保反対じゃないはずだが」と言った。裕次郎も集会には出なかった。
 こんな内緒話を暴露しているルポライター竹中労はこう書いている。
 「果たせるかな、安保闘争が挫折すると、石原慎太郎はみごとに《転向》した。自民党の中曽根康弘の知己を得、安保反対から賛成へ180度転向し、しかも保守党公認で政界に打って出るというアクロバットを、大衆の面前で演じてみせた」(『芸能人別帳』ちくま文庫)
 その中曽根康弘は、旧制静岡高校に通っていた。後輩の小説家吉行淳之介が、美辞麗句をつらねた中曽根作詞の寮歌がかなり残っていたと証言する。吉行は「巧言令色すくなし仁……あまり信用ができない」という意味のことを対談で語っている。
 中曽根はかつて大統領制を唱えた男だ。自民党の憲法改悪論議では「天皇を元首に」と主張したと伝えられる。
 「アベシン」の祖父岸信介は東条内閣の大臣をしていて、A級戦犯としてつかまり、こんな和歌を詠んでいる。「名にかへて、みいくさの正しさを、来世までも語り伝へん」
 あの戦争は正しかったというのだ。確実に孫に伝承されている。」

MXTVで知事の記者会見を見ているが、石原都政私物化を追及する記者は一人もいない。板垣さんの爪の垢でも飲んで出直せ。やなら、記者なんか辞めてしまえ。石原知事の偶像を打ち砕き、腐った魂を救えるのは担当記者の一撃しかないのだ。

都庁記者の皆さん、ぜひ、板垣先輩の著作をお読み下さい。
『明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか__元宮内庁記者から愛をこめて』 板垣恭介著
大月書店刊/46判並製カバー装・定価[本体1200円+税]/2006年1月発行
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by daisukepro | 2007-01-03 14:46 | マスコミ


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