人気ブログランキング | 話題のタグを見る

続々「マッスルミュージカル」やぶにらみの暴君ヒグチ

続々「マッスルミュージカル」やぶにらみの暴君ヒグチ

中間報告(2)

2004年、週刊新潮(4月1日号)に次のような記事が掲載された。
「4億円豪邸で国税に目をつけられたTBS元プロデューサー」が見出しである。
「筋肉番付」元プロデューサーのH氏が、豪邸を建てたことにより国税のチェックが入った。樋口の個人会社は「筋肉番付」ゲーム化の利権を持ち、収入が年間4億円。この会社の所得隠しのため、国税は近く樋口を追徴課税————。
記事ではH氏となっているが、記事内容から推測すればHが樋口潮社長であることは
だれでも分かる。週刊新潮の記事によれば、この白亜の殿堂は建築費が4億円もする豪邸であり、筋肉番付ゲーム化の利権で稼いだ金で樋口潮社長が建てたものだが,この会社の所得を隠して脱税した疑惑があるということになる。
「樋口の個人会社」というのは有限会社デジタルナインのことである。この会社は1997年に設立された。(フリージャーナリストの話では代表名義に母親の名が使われていたそうだが定かではない)そのご、追徴課税を支払ったのか、税金疑惑の追跡記事は見当たらない。

樋口潮社長は2005年にもうひとつ別の会社デジタルモンスターを設立、現在は二つの会社の社長を兼務している。このデジタルモンスターのホームページには樋口潮社長の経歴が詳細にのっている。http://www.monster9.com/company_m.html
このホームページを参考にして、樋口潮社長の経歴を時系列的に整理してみる。
TBS入局は1986年、慶大理工学部卒で放送業務部に配属になった。
4年後、90年にスポーツ局スポーツ情報局に異動、「ニュースの森」スポーツコーナーを担当するようになり、「バルセロナ五輪」、「プロ野球中継」などのディレクターを努めた後、93年10月に「均ちゃんのプロ野球珍プレイ好プレイ」で念願のプロデューサ−になる。12月「スポーツマンNO1決定戦」で筋肉バラエティ番組スタイルができあがった。話題の「筋肉番付」が登場するのは1995年7月のことである。最初は深夜番組だったが、特番が好評だったため同年10月からゴールデンタイムになり、毎週土曜日の夜7時から放送されるようになった。たちまち、「筋肉番付」はTBSの看板番組となり高視聴率を上げた。(2002年5月まで続く)その2年後、樋口潮社長は番組のキャラクターを利用して「筋肉番付」のゲーム化を思いつき、97年6月有限会社デジタルナイン(スポーツとゲームの企画制作会社)を設立した。自分の手がけた番組名や競技名を商標登録して、ゲームや商品の利権が「デジタルナイン」に入る仕組みを作った。なんと2003年には版権収入が年間4億円になったと云うのだ(週刊新潮)

この間、2003年11月TBSを依願退職するまで、何があったのだろうか。
97年には8月「アテネ世界陸上」、9月「SASUKE」(筋肉番付類似番組)のプロデュースをやりながら、樋口潮社長兼プロデューサーは有限会社デジタルナインでiMODE用のゲームの開発もやっている。99年8月には「世界陸上スペイン大会」、12月「ZONE」、まさにスポーツジャンルのプロデューサ−として飛ぶ鳥を落とす勢いだ。翌2000年3月には現在の目黒区の土地を購入、翌年01年8月「世界陸上カナダ大会」を担当、同時期に白亜の殿堂を完成した。人生の絶頂期といえよう。同年12月「INOKI BOM-BA-YE」の綜合プロデュース,埼玉芸術劇場で「トライアウト」(マッスルミュージカル)の公演が1回だけ行われている。「筋肉番付」は安定した視聴率を出し、TBSを代表する長寿番組となった。しかし、この頃、樋口潮プロデューサー担当の番組製作現場で事故が多発していることが話題になり始めた。
この続きは次回でーーー。
Alan Johnston banner




by daisukepro | 2007-06-10 00:02 | テレビ


<< ジャパニーズホラーの背景 アランジョンストン記者を即時釈... >>