なぜ、アメリカは広島、長崎に原爆を落としたか

3月8日、東京渋谷のCCレモンホールで「九条の会講演会」が開かれ、取材に行った。2000人を収容するホールは満席、2300人が会場にあふれた。
c0013092_20344969.jpg
会場外では右翼が街宣車で「九条の会は解散せよ」と叫び緊張感のある集会であった。国会では自公民の新憲法制定議員連盟が「九条の会」を改憲に反対する社会的勢力として結束を呼びかけるなど再び、憲法九条をめぐる動きが蠢動を始めた。「九条の会」はこの節目の時に東京を皮切りに全国各地で講演会を継続的に開く予定である。また、講演会は昨年7月に亡くなられた小田実さんの志を受け継ぐ集いでもあり、市民運動家として小田実の考え方を問い直す機会になった。集会の結論は「小田さんは亡くなったけれども、私たちと一緒にいる。小田実は死なない、これからのポスターからも消えることはない」であった。加藤周一さんは「小田実は戦争がなし崩し的に始まり、拡大していくものだということを見抜いた。生きていたらその転換点を指摘したろう」と語り、私たちひとりひとりが歴史の転換点にたっていることを言外に呼びかけた。
小田さんの親友である鶴見俊輔さんは「小田実は(フルブライト)でアメリカに留学したが、自分が受けた空爆を上空からの目線にすり替えることをしなかった、地上からの目線を決して崩さなかったことが他の留学生とは違っていた」と述べた。
翌、日曜日の朝、時事放談(TBS)が鶴見俊輔と筑紫哲也と対談を放送した。この集会の前に録画したものだろう。鶴見さんは好物の焼きおにぎりを頬張りながら大切な印象に残る発言をした。3月9日の夜間から10日の早朝にかけて東京はB29編隊の空爆を受けて約10万人が焼き殺された。その後、日本各地の大都市が空爆を受けた。小田さんもその爆撃のしたに生きていたひとりだ。それから、広島、長崎の原爆投下に至るのだが、アメリカがなぜ原爆を投下したか、その真実はいまだに明らかにされていない。アメリカ政府、日本政府も、真実を語ろうとしない。
アインシュタインはナチドイツが原爆製造を計画していることを知って、原爆製造に協力した。第二次世界大戦末期、アメリカはすでに日本の連合艦隊は壊滅、アメリカを攻撃する兵器の生産も出来ない状態であることを知っていた。アメリカは原爆投下を「戦争を早く終わらせ、これ以上アメリカ軍兵士の犠牲を阻止するため」と説明しているが、日本は既に抵抗力がなく、敗戦は時間の問題だった。すでにナチドイツは降伏し、原爆を使用する理由はどこにもなかったのだ。
鶴見さんは一枚のDVDを取りだした。「二度、被爆した人」の証言が収録されているものらしい。まず、その日本人は広島で被爆して、故郷の長崎に避難して,そこでまた被爆したのである。彼は次のように語った。「なんだか、弄ばれたような気がする」。鶴見さんは「この言葉こそ被爆がなんであったか、被害者側の真実を現している」と述べた。(記憶で書いているので正確ではないがーー)。では、なぜアメリカが二つも原爆を落としたのか、その真実はアメリカが、原爆を二つ生産して所有していたからなのである。
「アメリカの将軍の中にも原爆使用に反対する人がいたが、大統領になったばかりのトルーマンは国家が高い経費をかけて製造した原爆を使用しないという決断がつかなかったのではないか」と鶴見さんは語った。
重慶、上海で始まった日本軍の都市空爆によって、戦争はその様相を転換、空爆による市民の無差別大量殺戮が行われるようになった。そして、いま、私たちはアメリカ軍の原子力兵器使用によって、核兵器が世界中に拡散する時代に生きているのだ。戦争はぜったいしてはならない、いまこそ、世界にとって憲法九条が必要な時代になのだ。小田実の「今こそ旬、憲法九条」という言葉を噛みしめながら、土曜日の繁華街を駅まで親しい友と一緒に重いカメラを担いで歩いた。渋谷駅前は青年男女が群がっていた。
[PR]
by daisukepro | 2008-03-09 20:38 | 憲法


<< 東アフリカのケニヤでは 沖縄米軍のレープ事件、ロス疑惑... >>