2017年 11月 12日 ( 17 )

沖縄ノート(2) 辺野古基地建設のハードル 

坂本陸郎(JCJ運営委員;広告支部会員)

沖縄ノート(2) 辺野古基地建設のハードル 17/05/02

埋め立て工事は順調か (地図と資料は『平和新聞』2137号から)
 防衛省は、2トンの石の入った網袋数個を海中に沈める護岸工事にとりかかった。海域の土砂流出を防ぐための「防止膜」の設置が整ったから、としている。


 護岸工事は、埋め立て予定地を囲む堤防のようなものを海中に造る工事だが、政府は、それを「K9護岸」(地図)から着手し、年内にも石を沈める工事を完了する計画である。それによって海底の岩礁は破砕されることになる。だが、岩礁の破砕には沖縄県知事の承認が必要である。したがって、仲井真前知事による承認が今年3月で期限切れとなっていることから、新たに現知事の岩礁破砕の承認を得なければならない。だが、その見通しが立っていない。
 そのため政府は、地元の名護漁業組合が、辺野古海域での漁業権を放棄したことを根拠として、知事の岩礁破砕許可は必要ではないなどと言っている。
そもそも魚業組合の漁業権放棄は法的効力を持つのだろうか。1985年の国会で政府は、このように答弁している。「漁業権は漁協の総会で放棄が議決されたとしても、それだけで変更されるものではない。都道府県知事の免許を受けない限り、漁業権が放棄されたことにはならない」。
 漁業権放棄には公的承認が必要であることを政府も認めていたことになる。にもかかわらず、政府は今回、それを覆す解釈をしている。そのような勝手な解釈は許されないであろう。ましてや、漁業組合が漁業権を放棄したことを岩礁破砕の承認と結びつけるなどは論外と言わなければならない。
 さらに、その他いくつものハードルが立ちはだかっている。まず、膨大な量の土砂運搬の目途が未だに立っていない。加えて、工事を進めるためには、名護市内を流域とする美謝川の水路を変えなければならない。ここでも自治体の許可が必要となってくる。それを名護市議会が認めるだろうか。まして、稲嶺名護市長と翁長知事が承認するとは到底考えにくい。
 ハードルはそれだけではない。翁長知事が、前知事による埋め立て承認そのものを撤回する意向を明言している。だとすると、稲嶺名護市長が言うように、「これらをクリアーしないと、実質的な埋め立て工事に入ることはできない」(記者会見での発言)ことになる。
 以上からも明らかなように、今後の埋め立て工事には様々な困難が予測される。政府と防衛省は、そのことを充分知っているはずである。石の入った袋を海岸近くの海中に沈めるという工事は、新基地建設に反対する沖縄県民と本土の国民の諦め気分を誘うデモンステレイションではなかったのか。テレビを見たり大手紙を読んだりすると、政府の強気の姿勢が伝わってくるのだが、政府や防衛省が、必ずしも今後の成り行きに確たる自信を持っているとも思えない。案外、不安と動揺が見て取れるのではなかろうか。

代替基地建設か新基地建設か (新基地計画地図は『沖縄タイムス』から)
 政府は、V字型滑走路を備える辺野古の基地を、普天間飛行場の返還にともなう「代わりの基地」なのだから、「沖縄の負担が増えることはない」と言っているのだが、そうだろうか。「代替基地」であれば、辺野古の基地が完成するまで、普天間基地の返還は先伸ばしとなる。 
 以下は、地元紙『沖縄タイムス』の連載記事の一部要約(筆者による)と引用である。

 たしかに、滑走路は2700メートルから1800メートルへと短縮する計画であり、普天間で基地機能三つのうち、空中給油機はすでに山口県の岩国基地へ移され、緊急時の外来機受け入れは本土移転が決まっていることから、辺野古基地ではオスプレイやヘリの部隊だけとなるようだ。それを、菅官房長官などが「面積や機能が小さくなる」「沖縄の負担軽減」と言っている。だが、沖縄県民の多くが新しい基地の建設だと理解している。

 では、新しい基地とはどのようなものなのか。『沖縄タイムス』の記事を以下引用する。
 ― 飛行場の大浦湾側に整備予定の係船機能付き護岸は、全長271,8メートルで、オスプレイ搭載可能の、長崎県佐世保を母港とする強襲揚陸艦ボノム・リシャールが接岸できる「軍港」ではないかとの指摘がある。それとは別に、タンカーの接岸できる燃料桟橋も設ける。弾薬搭載エリアも普天間にはない機能だ。現在のようにミサイルや銃弾を積み込むため、空軍嘉手納基地に移動する必要がなくなる。
 陸上自衛隊航空部隊の元操縦士は、「シュワッブやハンセンに駐留する地上部隊と航空機が一体となり、さらに弾薬、艦船の受け入れを一か所に集積できるなら、平時でも有事でも使い勝手はよくなる」と評価する。1996年の返還合意当初に話し合われた撤去可能な海上ヘリポート案や、稲嶺恵一元知事らが求めた使用期限付きの飛行場に比べ、「恒久的な基地になるのは確実だ」と語っている。―

この新基地について、『沖縄タイムス』は、オスプレイ百機以上が配備可能な設計だとする前防衛大臣森本敏元氏の著書を紹介したうえで、次のように書いている。
 ― 有事の際には常駐機以外の外来機の受け入れを想定しているのは間違いない。修繕次第で、耐用年数は100年とも、200年ともいわれている。新基地ができれば、米軍が簡単に手放すわけはない。自衛隊との共同使用も視野に入れているだろう。さらに埋立地は国有地になるため、私有地や市有地に比べ、土地利用に口出しできなくなる。「戦後70年以上続いてきた沖縄の過重負担が、子や孫の代どころか、100~200年も続くことは耐えられない」、翁長知事や稲嶺市長は、そう声を上げている。―

 記事は、この3000メートル級滑走路2本と軍港機能を持つ基地建設が、1966年にすでに計画され、当時自衛隊トップであった統合参謀本部議長がその建設を承認していた事実を、資料をもとに明らかにしている。
 それについて、基地問題を調査してきた建築家・真喜志好一氏の談話を載せている。
 ―「沖縄の負担を軽減するという名目で、実際は米軍の安全基準にも合わない、危険で老朽化した普天間を返し、60年代に見送った計画を実現させようという意図がある。しかも、建設費は日本の予算だ。沖縄戦で奪った土地に本土爆撃用として造った基地とは違い、現在の米海兵隊の求める機能をそろえた、まったく新しい基地だ。そんな都合のいい話に県民は騙されない。だから、反発と抗議が強まり、工事が進まないことを認識すべきだ」。―     

(続く)

 



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by daisukepro | 2017-11-12 23:56 | 沖縄

公明 山口代表 改憲発議 国民の3分の2超の支持が前提


公明 山口代表 改憲発議 国民の3分の2超の支持が前提

公明党の山口代表はラジオ日本の番組で、憲法改正について、国論が二分される状況は望ましくないとして、国会での改正の発議には、3分の2を超える多くの国民が支持することが前提になるという認識を示しました。

この中で山口代表は、憲法改正について「国会で多数を形成し、無理やり発議をして、国民投票で、ぎりぎり過半数の賛成が取れたという改正は望ましくない。大きな反対勢力が残り、国民の憲法としては不幸な誕生になってしまう」と指摘しました。

そのうえで、山口氏は「国会で3分の2以上が賛成して憲法改正を発議する背景には、それ以上の国民の支持があることが望ましい。木の実が熟すような進め方が基本だ」と述べ、改正の発議には、3分の2を超える多くの国民が支持することが前提になるという認識を示しました。


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by daisukepro | 2017-11-12 23:01 | 憲法

沖縄ノート(1)「基地依存」という誤解と蔑視 

坂本陸郎(JCJ運営委員;広告支部会員)

沖縄ノート(1)「基地依存」という誤解と蔑視 17/03/29

(本稿は主に安田浩一著『沖縄の新聞は本当に偏向しているのか』を資料とし綴ったものです。その他の著書からも引用しながら連載の予定です)

デマゴギー
 事実を歪める情報がネット上で散乱し、誤解と偏見を生んいる。それらが沖縄を理解するうえで、国民に影響を及ぼしてはいないだろうか。
 例えば、「基地の地主は年収何千万円なんですよ。みんな六本木ヒルズとかに住んでいる。基地がなくなると、お金が無くなるから困る。沖縄はそれでも本当に基地被害者なのか」といった著名人のまことしやかな発言内容がブログやネットで流れている。
 かと思えば、辺野古で新基地建設に抗議する人々に対して、「朝から酒を飲み、日当2万円をもらっている」という、とんでもないデマがまかり通る。さては、「米軍普天間飛行場は、もともと田んぼの中にあり、周りには何もなかった。基地ができると商売になると、基地の周りに人が住み出した」といった事実を歪めるものもあり、「辺野古基金には、中国からの工作資金が基地建設妨害勢力に流れている」といった荒唐無稽なものもある。
 これらの、米軍基地建設に反対する沖縄県民に向けられたデマゴギーが、沖縄県民のみならず、本土の国民の正しい理解を妨げている。

「基地依存」
 そのひとつが、「沖縄は基地がなければやっていけない」といった言説である。基地なしには沖縄の経済は成り立たないというものなのだが、果たして、そうだろうか。
 沖縄県の調べによれば、軍用地料、基地雇用者収入など基地関連収入の割合(基地依存度)は、現在わずか5%に過ぎない。たしかに、本土の高度経済成長と切り離されていた72年の復帰直後の依存度は15,5%だったが、その後は年々、依存度は低下している。
沖縄観光コンベンションビューロー会長で、沖縄きってのホテル業大手「かりゆしグループ」CEOの平良朝敬氏がこのように語っている。
 「基地の存在こそが、沖縄経済にとっては阻害要因だ。そもそも沖縄が米軍基地を誘致したわけでもない。“銃剣とブルトーザーで土地を奪って基地がつくられた。そうであるのに、”沖縄は基地で食っている“などという物言いが飛び出すところに、誤解というよりも、沖縄への蔑視が感じられます」。
続けて、「沖縄経済の市場規模は年間4兆円、そのうち基地関連収入は約2千億円です。全体から見れば、基地関連収入はさほど大きな額でもなく、当然ながら、それは沖縄が食っていけるだけの規模でもない。さらに、観光産業から見れば、非常に魅力的場所に米軍基地が集中している。これは実にもったいないことなんですよ。雇用も利益も生み出すことのできる場所に基地が存在することで、ビジネスチャンスを失っている」。

ビジネスチヤンス
 基地は経済発展の阻害要因だと平良氏は言う。では、基地が撤去されれば、どうなるのだろうか。
 平良氏は、2015年4月に返還された北中城村跡の大規模ショッピングモール「イオンライカム」を例として挙げている。
 ここでは、米軍の専用ゴルフ場だった跡地17万5千平方メートルに、県内最大の商業施設が建設され、大型スーパーをはじめ、220店舗が軒を連ね、複合型映画館も備わり、南国沖縄らしいリゾートの雰囲気が演出され、地元の買い物客だけでなく、内外から訪れる観光客にとっても名所の一つとなっている。
そこでは、米軍のゴルフ場だった以前に比べると、雇用は飛躍的に増大した。ゴルフ施設では日本人は38人しか雇用されていなかったのに、現在そこで働く人は約3千人である。集客数も、2016年には予想を100万人上回る1300万人となった。
 米軍の施設が返還されてのち一変したのは、この北中城村跡地だけではない。1987年に全面返還された那覇市の米軍牧港住宅跡地の「新都心地区」では、高層マンション、ホテル、それに県や国の出先機関、博物館、展示館、商業施設が立ち並び、そこは大都市の景観を呈するまでになっている。しかも、返還後の経済規模は、返還前の年間57億円から1624億円へと、約28倍に増大し、雇用も485人から1万6475人へと、約34倍となっている。平良氏は、新基地建設で揺れる辺野古にも、大型リゾート施設ができれば、数千人の雇用と数百億円の経済効果が期待できると語っている。

平和産業
 「観光は究極の平和産業だ」と、常々語る平良氏は、東京で大学生だったころ、神奈川県の湘南海岸を見た時、観光資源なら、沖縄は日本のどこにも負けないポテンシャルを持っていると確信したのだという。
 現在も、沖縄を訪れる観光客は増加の一途をたどっている。2015年に沖縄を訪れた観光客は776万3千人、前年比で70万4700人の増、率にして10%の伸びである。3年連続で国内国外ともに過去最高を更新した。特に、海外からの観光客は増える一方である。もちろん、基地を見ようと訪れる人はいないであろう。
 かつては、沖縄の経済は基地、公共事業、観光の頭文字を取って、「3K依存」とも言われてきた。だが現在は、確実に基地と公共事業への依存から脱却してきている。今後の経済発展も期待できるであろう。平良氏は、次のような展望を語っている。
 沖縄を中心とする半径3千キロ以内に約20億人、4千キロ以内に約30億人が居住している。そのアジア全域にわたる商圏は、今後の沖縄県の発展を約束しているといえるだろう。基地が全面返還された後の沖縄の変貌は、扇の要としての地理的条件からして有望なのである。

 


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by daisukepro | 2017-11-12 22:09 | 沖縄

カタルーニャで75万人デモ 州政治家らの釈放求め

【パリ共同】スペイン北東部カタルーニャ自治州の独立問題で、反乱などの容疑で首都マドリードの司法当局に身柄拘束された政治家らの釈放を求める住民らが11日、州都バルセロナでデモ行進し、州警察推計で75万人が参加した。地元メディアが伝えた。

 デモ隊は「カタルーニャ共和国万歳」「自由を」などと書いたプラカードを掲げ、拘束されているジュンケラス前州副首相ら政治家8人、独立派の政治団体幹部2人の釈放を要求した。

 自治州は10月27日に州議会で「独立宣言」を可決したが、スペイン憲法裁判所は今月8日、違憲で無効とする判決を言い渡した。

 スペイン北東部カタルーニャ自治州の独立問題で、拘束された政治家らの釈放を求めて実施されたデモ=11日、バルセロナ(AP=共同)

 スペイン北東部カタルーニャ自治州の独立問題で、拘束された政治家らの釈放を求めて実施されたデモ=11日、バルセロナ(AP=共同)


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by daisukepro | 2017-11-12 21:58 | 政治

公明地方、9条改正賛否明確化を 総括で要求 執行部は慎重姿勢

 公明党が先の衆院選を総括した10日の全国県代表協議会で、地方組織代表から安倍晋三首相(自民党総裁)が提案する憲法9条改正による自衛隊明記案への賛否を明確にするよう求める意見が出ていたことが分かった。党執行部は重要政策を巡り自民党との対立が明確になれば連立政権の基盤が揺らぎかねないとして、自民党の議論を見守る慎重な姿勢を示した。出席者が11日、明らかにした。

 協議会では、出席者が9条改正への党見解が曖昧として方向性を示すよう要求。執行部は「改憲を党是とする自民党と公明党が対立すれば、政権そのものに関わる話になる」と述べ、賛否を明言しないことに理解を求めた。

(共同)

 公明党本部で開かれた全国県代表協議会。中央はあいさつする山口代表=10日午後、東京都新宿区

 公明党本部で開かれた全国県代表協議会。中央はあいさつする山口代表=10日午後、東京都新宿区


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by daisukepro | 2017-11-12 20:28 | 政治

爆風11

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(11) 17/11/08

明日へのうたより転載

3、町ぐるみの玉砕
 8月25日朝、関東軍918部隊長林光道少将宛てにソ連軍から一通の命令書が届いた。開くと、①軍人、軍属の男子全員、②冬服着用、毛布1枚、10日分の食糧を携行して、③17時までに遼陽第二陸軍病院前に集結、④列車で海城へ行き他部隊と合流せよ、という内容。海城は遼陽から大連へ向かう途中の駅である。

 林部隊長は即座に将校会議を招集、東京陵と唐戸屯に分けて部隊を編成し、遼陽へ向かうよう指示した。東京陵組を本隊、唐戸屯組を支隊とし、本隊は林部隊長、支隊は吹野信平少佐が指揮を執る。出発時間は東京陵14時、唐戸屯13時とし、遼陽で落ち合った後集結地点の海城へ列車で移動する。

 庶務科の米田穣賢軍属は25日午前、「毛布2枚を持って午後2時までに広場に集合せよ」との伝達を受けた。米田は家族と食事をし水杯を交わすと妻に「お前も職業軍人の娘だ。分かっておろうが、もしソ連兵から辱めを受けるようなことがあったら3人の子どもとともに自決せよ。俺は多分シベリヤ行きだ」と言い渡した。妻は子どもたちに「お父さんの顔をよく見ておきなさい」と言い、広場まで見送った。

 工務科技手の武井覚一が受け取った命令は次のようなものだった。「男子17歳から55歳までの全員、14時までに火工廠酒保前のロータリーに集合せよ。携帯品は冬物衣類と食糧。行き先は不明」。武井は「いよいよ来るものがきた」との思いで、自宅に預かっていた女子挺身隊員2人を呼んだ。「私はこれから出かけるが、どこへ行くのか、どうなるか分からない。貴女たちにもどんな辛い苦しいことが待っているかも知れない。こんな思いをするくらいならいっそ配られた青酸カリを飲んでしまおうと思う時があるだろう。しかし決して飲んではいけない。とにかく生きて日本に帰ることだ」。

 妻には「お前もどんなことをしても日本へ帰れ。もし内地へ帰れたらどこに住むことになっても、本籍地の役場に行き先を知らせておきなさい。私は生きて必ず訪ねていくから」と言い、一同と水杯を交わした後、リュックサックを背負って集合場所へ向かった。

 空は快晴で広場はじりじり焼きつけるような日差しが照りつけていた。午後1時を過ぎる頃から荷物を担いだ男たちが続々と集まりだした。中には酒気を帯びた者もいる。群衆が100人を超えるころから広場に異様な空気が渦巻きはじめた。「戦争は終わったんだ」「戦闘要員でない軍属まで捕虜にするのか」「無防備て残された家族はどうなるのか」「部隊長は何している」「ソ連のいいなりなのか」など日頃考えられない部隊への不満が噴出し、不穏な形勢になってきた。


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by daisukepro | 2017-11-12 20:12 | 爆風

爆風10

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(10) 17/11/05

明日へのうたより転載

 唐戸屯に着くと事務所には煌々と電灯が点いていて男の人たちが物も言わずに書類を作成していた。すぐさま会計庶務科の千葉敏雄係員の指示で、ソ連に引き渡す物資の一覧表など関係書類をタイプする。仕事が一段落したのは午前8時を回っていた。川口雪乃は身も心もくたくただった。

 8月21日、ソ連軍本隊の進駐に先行してクリロフ中尉一行24人が車で乗り付けた。事前の指示で機関銃、小銃などの武器は唐戸屯工場の会議室に集められてあったが、一行はその前を素通りして食糧倉庫へ直行。彼らが真っ先に接収したのは乾パンの袋で、次は酒保に備蓄してあった食料品だった。

 敗戦の翌日16日午前、918部隊本部で将校会議が持たれた。席上林光道部隊長は「ソ連軍の進駐に際し、暴行等の危害から身を守るため婦女子をはじめ全家庭に青酸カリを配布したい」と提案。これに対して川原鳳策中尉が「青酸カリ配布は安易に死を選ぶことに通じる恐れがあるのでは」と意見を具申したが受け入れられなかった。火工廠技術研究所には約3キロの青酸カリが保管されてあった。

 火工廠事務員の佐竹数枝、森昌子は17日の出勤早々、バスで東京陵病院へ行くよう上司から指示された。病院に着くと一室に数十人の女子事務員が集められ、そこへ1匹の図体のでかい黒犬が引き出された。研究所の係員が犬に白い粉を舐めさせると、口から泡を吹きもがき苦しんで息絶えた。

 「これが青酸カリだ。今からこれをカプセルに詰める作業を行う。時間が限られているので終わるまで病院から出られない」と係員から告げられた。佐竹数枝ら女子事務員は無言のまま作業を始めた。直径5ミリ、長さ5センチのガラス管に0.5グラムの青酸カリを詰めて、アルコールランプの熱で口を閉ざす。ガラス管の真ん中にヤスリで切れ目を入れる。根気と注意力が要る危険な仕事だった。手が粉に触れると慌てて消毒薬で手洗いした。

 その夜は徹夜し、2時間の睡眠をとって翌日も作業は続いた。こうして子ども用も含めて1万本のカプセルが製造され、22日までに隣組を通じて全家庭に配られた。結果は川原中尉が指摘したように、死が人々の身近に存在することになり、多くの悲劇を生むことになった。 

 

 


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by daisukepro | 2017-11-12 20:07 | 爆風

爆風9

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(9) 17/10/31

明日へのうたより転載

 新京駅に着いた。照明弾が炸裂し近くで銃撃の音もする。駅員の話では、線路を挟んで満軍との交戦中だという。「吉林からここまで日本人の集団が列車で来るなんて信じられない。これからも責任は持てない」と駅員。家族たちはとりあえず持参の弁当を開くことにした。長友中尉は依然音信不通だ。他の主人は戻ってきて家族と食事をしているのに。いさ子は不安な気持ちで子ども3人と弁当を囲んだ。
 
 この時、長友たち将校は機関車の運転室にいた。満人の運転士はもうこの先には行かないと言う。軍刀に手をかけて運転士を脅したが首を縦に振らない。どうしたものか。1人の将校が軍服の内ポケットから財布を取り出した。札ビラを押し付けて説得し、やっと運転続行を承知させた。

 列車はゆるゆると動きだし、昼近くになって四平路というところまで来た。砲弾の音も遠のく。やっと危険地帯を脱出したらしい。工員の1人が「長友中尉のご家族はいますか」と弁当を取りにきた。いさ子は夫の無事が確認できてほっと胸を撫で下ろす。貨車の扉を開けて大きく息を吸った。

 停まる駅ごとに列車は難民の集団に取り囲まれた。「この汽車はどこへ行くのですか」「日本は敗けたのですか」「私どもはどうなるのでしょう」と口々に問いかける。「敗けていません。あの放送はソ連のデマです。しっかりがんばりましょう」と励ますだけで、これらの人々を置き去りにして列車は進んだ。

 17日午後5時、列車は懐かしい遼陽駅に着いた。林廠長をはじめ火工廠の幹部が出迎えてくれた。家族の1人が「ソ連のデマに惑わされて危うく敗戦を信じるところでしたよ」と笑顔で言うと、林廠長は何も言わずに下を向いた。やはり日本の敗戦は本当だったのだ。いさ子は真実を悟った。でもこれが遼陽到着後でよかった。逃避行の途中だったら、みんな落胆してどうなっていたか分からない。いさ子は夫の腕を掴みながら「ソ連のデマ」説を流したのは夫たちだったのではないかとふと思ったが口には出さなかった。

 8月18日の深夜午前2時、会計科タイピストの川口滝乃は吉野寮で睡眠中「電話ですよ」と芦田寮監の奥さんによって起こされた。電話は唐戸屯の事務所からで「すぐ来るように」とのこと。車は出せないという。こんな夜中に東京陵からどうやって行ったらいいのか。川口タイピストは覚悟を決めて通りに出る。疾走するトラックの前に命がけで飛びだして乗せてもらった。


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by daisukepro | 2017-11-12 19:59 | 爆風

爆風8

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(8) 17/10/26

明日へのうたより転載

 夜中1時頃、長友中尉が濡れ鼠になって帰宅した。ほっとして、一体私たちはどうなるのと聞くと「がんばってここまで来たが日本はもはや敗ける。918部隊に帰り最後のご奉公だ。遼陽に着くまで何があるか分からない。まさかの場合は日本人として恥ずかしくない行動をとるようお前も覚悟して欲しい」と言う。いさ子は「覚悟はできております」と答えた。

 一睡もしないで夜が明けた、遼陽へ帰る将校、技手、工員らとその家族数百人で部隊をつくり、龍単山駅で貨車20輌に乗り込んだ。長友中尉は家族と離れて別車輛へ。10時になってやっと新京へ向け列車はのろのろと動き出す。吉林までは普通20分なのに1時間もかかった。駅には包帯を巻いた負傷兵が集団で列車を待っていた。苦痛と絶望の目がいさ子たちに何かを訴えかける。だが何もできない。

 長い停車、いつ動くのか。じっと待ついさ子たちのところへ「重大放送があるのでそのまま待機するように」との指示が伝わってきた。いよいよソ連への宣戦布告か。人びとは決意を固めた。そこへ田宮技官が部隊司令部から戻ってきて「日本は無条件降伏しました。ただ今天皇陛下のお声で放送がありました」とみんなに告げた。一同晴天のへきれきの思いで声もなくうなだれた。

 しばらくして列車は吉林駅のホームを滑り出した。長友中尉は戻ってこない。果たしてこの列車に乗っていることやら。いさ子は心細さに3歳のわが子を抱きしめた。貨車の中は蒸し風呂のようだ。列車は高粱畑の中をゆるゆると進む。午後3時頃田宮技手が再び伝令に来て「先ほどの放送はソ連の謀略だった。いよいよソ連に宣戦布告だ」と息を切らせながら言って歩いた。意気消沈していた家族たちは新しい光を見出したように奮い立った。

 夕方から雨が降り出し、たちまち土砂降りなった。ガラスのない貨車の窓から雨水が降りこんでくる。毛布で窓を覆ったが効果はない。暗くなった。雷鳴か砲弾か、バリバリドーンという音がする。突然列車が停止した。「日本軍新潟県部隊何某であります。ただ今満軍が反乱を起こし、ここまで逃げてまいりました」と報告、何人かが列車に乗った様子だ。

 《満軍は日本の友軍だったはずだが》といさ子たちは不安になった。そこへまた伝令が来て「子どもを絶対に泣かせるな」との指示。もしこの列車にこれだけの日本人が乗っていることがばれればいつ満人に襲われるかも知れないということだ。今まで日本に服従していた満軍、満人が一夜にして豹変したのだ。


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by daisukepro | 2017-11-12 19:51 | 爆風

爆風7

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(7) 17/10/22

明日へのうたより転載

 居合わせた人々は直立不動の姿勢で泣いた。満人もともに泣いた。武井技手は満人傭工たちを集め「君たちも今日まで我々に協力し、日本のため満州国のため懸命に働いてくれた。本当にありがとう。君たちも聞いたように日本は敗けました。長い間の協力にお礼を言います。と頭を下げた。午後2時頃、部隊本部よりの伝達で満人傭工は全員退社させた。

 工場の一角が騒がしい。ある若い中尉がそこら辺を鞭で叩きながら「今の放送は陛下のお声ではない。あれは敵の謀略だ。みんな仕事を続けろ。騙されるな」と喚いている。そこへ林廠長から「作業はすべて中止せよ」との命令が伝えられた。喚いていた某中尉も静かになった。

 武井技手は午後3時、工場の全従業員を集め次のように訓示した。「我々のこれからの運命はどうなるか分からない。戦争に敗けたのは我々が彼らより能力において劣っていたからではない。敗けたのは物量が不足していたからである。人間性においても智能においても彼らに劣るものではない。戦争に敗けたからといって自ら三等国民、四等国民になり下がることはない。玉音放送にあった通り、耐え難きを耐え忍び難きを忍び、軽挙妄動することなく日本人の誇りをもってこれからも行動していただきたい。長い間皆さんには随分無理なことを言ってきたが、戦争に勝ちたいとの一念からであり許していただきたい」。

 庶務科の吉岡等少尉は敗戦翌日の16日、満人傭工・苦力の責任者を呼集し敗戦の事実を告げた。さらにこれからのことについて「工場が閉鎖されたので全員辞めてもらう。列車の手配はできないので各自適宜帰郷してほしい。帰郷費用はできる範囲で支給する」と説明、倉庫に保管してあった食糧、衣料品を分配した。これを受け取って、数千人の満人傭工・苦力たちは全員混乱なく火工廠を去っていった。

 火工廠から吉林に派遣されて新工場建設にあたっていた長友安中尉の妻いさ子は、8月14日夕方夫の帰りを待って夕食の支度を始めた。外は篠突く雨である。玄関が激しく叩かれ、急いで出ると町内会の通達文書を渡された。「明15日午前8時龍単山駅に集合し列車で遼陽本部に帰隊する。荷物は1人2個、主人のみ軍用行季可、食糧3日分携帯のこと」。一体何事が起こったのだろう。いさ子は隣家の田宮技手夫人と相談して、とりあえず荷物づくりにかかった。長女の恵子(13)が手つだってくれた。


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by daisukepro | 2017-11-12 19:44 | 爆風