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続マスコミ操作と介入

すこしばかり固い話が続きますが、しばらくのご辛抱をーーーーー。

2001年1月30日、NHK番組ETV2001「戦争をどう裁くか」が政府の圧力をうけて番組内容をカットないし改ざんした事件についての話をつづける。
第一に、NHKの番組に為政者など外部からの介入があって内容が改ざんされるという事件があった。それに対してNHKは編集権の侵害として抗議しなければならない立場です。しかし、為政者はかならず「公正中立な番組をお願いします」という言い方で介入してくるものです。あくまでも建前はNHKが自主的判断で編集し直すということになります。言外に「もし従わなかったらどうなるかわかっておろう」という台詞が省略されているからです。
だから、NHKの管理者は言われると通り為政者が公正でないという箇所を忖度して削除と改ざんを強制実行させた。制作者の反対意見は完全に無視されたのです。

ではここで、NHKの会長は誰が選ぶのでしょうか。
放送法を見てみましょう
ーーーーーー第27条 「会長は、経営委員会が任命する。」とある。
それでは、経営委員はだれが決めるのだろうか。
ーーーーーーー第16条に 「委員は、公共の福祉に関し公正な判断をすることができ、広い経験と知識を有する者のうちから、両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する。」とかいてある。
つまり、会長の人事権は経営委員会がもち、経営委員の人事権は為政者の頭、内閣総理大臣が持っている。経営委員の任期は3年、年収700万円が保障される仕組みである。
これでは為政者からのクレームにNHKは従うほかない。
「日放労」(日本放送協会労働組合)は放送法第16条、27条の改正を要求してNHKの政権からの独立をかちとろう。
そうしなければ海老原会長を追放しても第2の帝王の誕生を祝うことになる。

では次に第二の問題にはいろう。

たとえ、政治権力の介入があろうがなかろうが
NHKの管理職が番組内容にクレームをつけて修正を命じてきた場合はどうか。
番組内容を修正するためには、その修正案や指示が合理的であり、制作担当者も納得して修正に合意することが必要である。
今回のNHK番組の場合はどうであったか。管理職の修正命令には番組担当者全員が反論反対したが、このときばかりは聞く耳を持たなかったと関係者は証言している。「なにかよっぽどの圧力があったな」と感じたという。これは指示ではなく強要にあたる。

しかし、さらに問題はややこしい。
この番組は、最終段階で大幅な手直しがおこなわれたため、放送を見た取材に協力してきた民間法廷の主催者団体や出演者からクレームがつき、裁判やBRCで審理された。
裁判では、内容の変更があったと認定されたが、NHKには編集権があり、出演者の被った不利益は制作を請け負った番組制作会社が、NHKの制作意図を適切に説明しなかったためだとして、番組制作会社に100万円の支払いを命じる判決があった。主催者団体はこれを不服として、東京高裁に控訴していたのです。当然です。
この問題で番組の下請け制作会社にまったく責任はない。すべてNHKの責任です。まずこのことをはっきりと確認しましょう

NHKは番組制作上のプロセスとして、経営は放送総局長等の試写や意見表明、直前の変更はよくあることだとのべている。「日放労」はこのことにも疑問を持ち、番組制作者一人ひとりが、この経営発言と番組プロデューサーが異常なことだと表現したことのどちらが「通常」と受け止めるのか、緊急アンケートをおこなっているという。
通常であるかどうかは削除された内容、改ざんされたりつけ足された内容をみれば政治的意図があったかどうか一目瞭然になる。
確かにアンケートも、政治の支配介入があったかどうかも大事だが、まず「日放労」のやるべきことは、これほど明確な業務命令による編集権の侵害にたいして反対を表明すること。それから職場に編集権を取りもどすためにストライキ権を確立することではないかとおもうのだがーーーー
抑圧に対する抵抗の権利は番組制作現場と視聴者とよばれる民衆の側にあるからーー
皆さんはどうおもわれますか?
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by daisukepro | 2005-01-15 07:49 | マスコミ

マスコミ操作と介入


朝日新聞の報道によれば、2001年1月30日に放送されたNHKの番組「戦争をどう裁くかー問われる戦時性暴力」が為政者の圧力を受けて、番組内容の3カ所が変更され、改ざんと削除されていたことが番組担当プロデューサーの告発で明らかになった。証言は圧力を受けて番組を改ざんするまでの経過を生々しく物語っている。さらに、放送当日、放送総局長が3分間のカットを指示したという。
経過はーーーーー
1月下旬、安倍官房副長官(当時)と中川衆議院議員(現閣僚)らが国会政治家担当局長と放送総局長を呼び、番組の放送中止を要求する。放送総局長は「番組の内容を変更するので放送させて欲しい」とのべて、NHKにもどる。その日の夕方、放送総局長、担当局長、番組制作局長と担当プロデューサーの4人で試写が行われた。
ここで、1)女性国際戦犯法廷が国と天皇に戦争責任があるとした部分、2)米山準教授の話を数カ所 3)国際法廷に反対の立場をとる日大教授のインタビューの追加を命じられる。
さらに、放送当日(1月30日)になって放送総局長は1)中国人被害者の証言、
2)東ティモールの慰安所の紹介、3)加害兵士の証言の3カ所をカットを指示した。
制作現場の全員がこれに反対したが、業務命令が強行された。この結果、番組の企画意図は損なわれ、カットや改ざんによって1分間縮小された。
NHKは昨年9月、内部通報窓口、コンプライアンス推進委員会が設置されたので、昨年12月9日、担当プロデュサーはこの窓口に調査を求めた。しかし、今にたるもNHKはなんの調査も聴取もしなかったので記者会見を開いてこの事実を公表した。
表現報道の自由への重大な侵害行為の事実経過は以上である。

世界中のドキュメンタリーや報道番組に権力の支配介入は絶えない。だから、テレビ局には報道の自由の権利が与えられている。テレビは権力の支配介入に公正、中立であり、独立した権利を視聴者から与えられているのだ。
イギリスBBCは優れたドキュメント番組を世界中に発信しているが、このような管理者の支配介入に対しては職場が直ちに対応し、場合によっては一斉にストライキに入り阻止する。
さらに、大きな政治介入には局をあげて抵抗することがあった。
BBCは職場の抵抗力によって優れた番組が発信できているのだ。NHKはどうだろう。日放労は海老沢会長の退陣要求はしているが、かくも明白な報道の侵害にたいしてストライキに入り、抵抗の姿勢をなぜ示さないのだろうか、不思議である。
報道統制で最も効果があるのは自主規制である。放送労働者が自らの内面に権力者の思惑を寄生させ、権力者が介入するまでもなく意向に添った番組をつくるようになることである。NHKの労働者がかくも堕落しているとは思えない。勇気ある内部告発者を見殺しにするな。
日本に表現報道の自由はない、市民と放送労働者がたたわない限りーーーーー
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by daisukepro | 2005-01-14 08:38 | マスコミ

続々視聴率戦争「ワイドショーとテレビ」

WEBからの転載
原文のまま

「ワイドショーやテレビの批判は取り上げればきりが無いので、とりあえずこの辺でやめにして、最後にワイドショーの今後を考えて見たいと思う。
最初の方でも述べたが、ワイドショー番組はストレートニュースと違い放送時間も長く、ある程度製作者達の自由があるのでそのような利点をもっと生かしていくべきである。今のように芸能人ネタばかりやっていてはどうしようもない。
これからは、ワンドショー化された番組が増えてくるのではないかと思う。例えば、昔、普通のワイドショーでは取り上げにくい政治をとりあげた「サンデープロジェクト」である。ワイドショーとまではいえないが、日頃とっつきにくい政治をお茶の間に近づけているということでは功績はあるのではないのだろうか。
 また、ニュースにワイドショーのニュアンスを取り入れた最初の番組は「ニュースステーション」であるが、今までのアナウンサーが原稿を読んでいるニュースから、タレント性のあるキャスターがニュースを面白おかしく語って民放のニュースを一変させた。キャスターが自分の主観や良識をニュース番組に持ち込んでくるような形態は、今では当たり前になっている。
このように、ワイドショーを番組単位で見れば、まだまだ納得できない点が多いが、ワイドショーという一つの大きな番組形態として見ると、報道番組の形態としては非常に革新的でまだまだ発展の余地があるのでは無いだろうか。これからテレビの多チャンネル時代に向けてどうなって行くのか、非常に興味深い分野であると思った。
今回はワイドショーから見るテレビの実態という感じで書いてみたが、ワイドショーというキーワードから色々な所へ問題を拡大して見ることができる。これを読んで、ワイドショーをまた違った角度でみてもらえれば幸いである。」
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by daisukepro | 2005-01-13 08:47 | マスコミ

続視聴率戦争「ワイドショーとテレビ」

ワイドショーとテレビと題する記事がWEB上にのっていたのでそのまま採録する。
無署名
「ワイドショーのあり方が問われ初めて久しい。少し話題が古くなってしまうが、一連のオウム事件にはじまり、和歌山での毒物カレー混入事件、神戸のA少年事件、バスジャックといった異常な犯罪が相次ぎ、20世紀末はまさに世紀末的な様相を逞していたことはご存知の通りである。
そして、これらの異様な世界に連動して報道合戦も熾烈になり、その過程でさまざまな問題が浮かび上がってきた。とりわけテレビ、そしてワイドショー番組がその極にあったといっていいだろう。
しかし、同時に大方の視聴者はテレビ番組の制作や編成、視聴率の仕組みといったことについては全くといっていいほど何も知らされていない。一般の市民生活にも多大な影響を与えているテレビ、そしてワイドショー。
今回はそのワイドショーの実態を見ながらワイドショーそのものを含めてテレビ全体の問題を考え、さらに今後の展望なども述べてみたいと思う。
ワイドショーを考えるときに、私はまず最初にワイドショー番組とは具体的にどんな番組であるかということを考えてみた。つまり、ワイドショーの定義ですが、日本テレビでは「広義には生で放送時間が長いこと。狭義では事件・事故・芸能ネタを扱うかどうか」としている。
しかし、実際はそのワイドな時間の大半は芸能ネタで埋められているのが事実である。また、大きな事件が起きた時は何日もその話題に放送時間を費やしている。


次にワイドショーの歴史からその功績を見てみたい。


一番最初のワイドショーは「木島則夫モーニングショー」(NET=現テレビ朝日系)で、以来35年の間にワイドショーはスタジオトークから現場中継主義へ。キャスターのキャラクターから司会・リポーター・コメンテーターなどの役割分担ショーへ。そして、放送時間滞が各局横並びで競う“大競争時代”へと姿を変えてきた。その過程においてワイドショーがジャーナリズムに与えてきた影響は善くも悪くも大きなものがある。
その一つとして挙げられるのは、ストレートニュースが結果を重視するのに対して、ワイドショーはプロセスを重んじ、ストレートニュースの弱点を補完できるという点である。確かに、善い悪いを別にしてワイドショーは記者のクラブなどの既成ルート以外からの取材の可能性を開いたといえる。ワイドショーの持つ健全な野次馬精神がジャーナリズムの発展を支えてきた部分もあるのだ。
ワイドショーもしくはテレビの問題を語る上で最も重要なキーワードの一つとして、「視聴率」というものを挙げられる。視聴率とはご存知通り視聴者がどの程度試聴しているのかを調べて計量化したものであるが、その実態はそれほど一般的には知らされていないのが現状である。そこで、視聴率についてちょっと紹介したいと思う。
もともと日本には視聴率調査を行なう会社として、外資系のニールセンと広告会社電通が中心になって発足したビデオリサーチ社の二社が存在した。電通は主要テレビ局のゴールデン時間枠の大半をおさえ、番組制作にも大きな発言力を有していることで知られる。
つまり。最強のチームを持つ球団が審判を出しているような状態なのである。現に電通が制作に関わっている番組はニールセンの数字に較べてビデオリサーチの方が高いといった話はつとに伝えられていた。
さらに、2・3年ほど前からニールセンは個人視聴率調査を行なうようになって、各テレビ局から次々と契約を打ち切られ、いまでは日本で視聴率調査を行なっているのは事実上ビデオリサーチ社となってしまっている。いわば民法テレビに強大な影響力を持つ電通が視聴率調査を完全に握ってしまっているのである。
このようなアンフェアーな調査方法によって打ち出される視聴率の数字を、番組の制作者たちは崇拝しており、視聴率のためなら何でもまかり通る世界が出来上がってしまっているのである。特にワイドショーでその傾向が顕著である。
ワイドショーに対する主な批判として「芸能ゴシップ・スキャンダルに偏っている」「くだらない話題を毎日どの局も流し続ける」というものが挙げられるが、実際それらの原因をつきつめていけば結局「視聴率至上主義」に帰結してしまうのではないだろうか。
 例えば99年の「サッチー騒動」の時は、「スーパーモーニング」「ザ・ワイド」「2時のホント」などは、本当に来る日も来る日も飽きもせずに野村沙知代氏を話題に、時間の大半を費やしていた。報道して問題にすべきことは経歴査証疑惑くらいしかないにもかかわらず、野村氏の私的なトラブルに至るまで、たくさんのコメンテーターが並んで大真面目な顔であれこれ「分析」していた。あたかも今の日本で最も重要な問題が「サッチー」であるかのように。
当時問題となっていた、ガイドライン法や盗聴法案、国旗国家法案などを差し置いて、なぜ「サッチー」が報道が氾濫したのか。その原因は言わずと知れた視聴率である。現に朝日テレビの社長は、記者会見の席で「報道することは経歴査証疑惑くらいしかないが、数字がいいので現場のディレクターは燃えている。正直言って止められない。」と述べているのである。
 しかしこうした問題はワイドショーに限ったことではなく、テレビメディア全般に対して言える事である。現在、地上波テレビ局の収入の9割はスポンサーからの広告収入である。広告媒体としての映像メディアの評価は高く、他のメディアの後発にも関わらず60年にはラジオを、75年には新聞を抜いている。そうした広告収入で成立している民放としては当然のことだが、スポンサーの口出しも多い。番組制作上のタブーも出てくる。
言わば民放局にとっての本当のお客様はスポンサーなのである。製作者側がどっちを向いて番組を作っているかといえば、やはり製作上一番気にするのは広告代理店でありスポンサーなのである。だから結局民放にとっての売上になってくる視聴率はそれさえ上げれば番組の中身や放送の社会的使命というようなことは二の次三の次になってしまうのである。


 また局の上層部においては免許権を握っている政府の方へ意識が向いている。野村沙知代氏に対して「こんな人が議員になったらたまらない。」という事は出来ても、小沢一郎氏に「なんであんな人を候補者に載せたんだ。」とは言えない体質になっている。「視聴率が上がるからやっている」と弁解するワイドショーの関係者は政治家には突っ込まない。ワイドショーが芸能人のスキャンダルばかり取り上げるのは、こうした「強気になびき、弱気を叩く」という精神も原因の一つでは無いだろうか。
ワイドショーやテレビの批判は取り上げればきりが無いので、とりあえずこの辺でやめにして、最後にワイドショーの今後を考えて見たいと思う。


 ーーーーーー続く
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by daisukepro | 2005-01-12 10:53 | マスコミ

視聴率戦争

編成局はテレビ局の頭脳、心臓部である。
局によって掲示の仕方はさまざまだが、室内にはいると「月間三冠王達成、四冠王達成」など壁の張り紙に筆で大きく書かれた文字が目に飛びこむ。プロ野球の選手成績ではない。視聴率を稼ぐために日夜奮闘しているテレビマンたちを激励するために行っている長年の風習、だから誰も何ともおもわない。c0013092_105444100.jpg外から見るとかなり異常だ。テレビ局に知り合いがあればたずねて、そのついでに見学してくることをおすすめします。


まず三冠王の三とはなにか説明しましょう。テレビ番組は時間帯によって区分されている。ゴールデン(午後7〜10時)、プライム(午後7〜11時)、全日(午前6時〜深夜0時)の平均視聴率をテレビ局はきそっている。視聴率が高ければ たかいほど宣伝効率がよいという理屈で料金も決まる仕組みだ。この三区分ともに視聴率でトップに立てば三冠王達成となる。
ちなみに、今年は10年間三冠を独走していた日本テレビがフジテレビに主の座を奪われる見通しとかーーーーー
スポンサーが商品を売るために宣伝が必要だ。テレビは広域宣伝媒体としもっとも有効な手段である。しかし、自社のコマーシャルを放送するためには莫大なコストがかかる。
まず、放送する時間帯を購入する。次いで、番組をつくるための制作費を負担する。その上にコマーシャルを制作しなければならない。数社で経費を分担する場合もある。これが商品のコストに加算され、その商品を視聴者が購入して負担することになる。NHKは有料で、民間放送は無料とというのは錯覚でどちらも視聴者がはらうのである。
仕組みはこれだけでは終わらない。広告代理店というのが存在する。もちろん広告業務を代行するのであるが、たいていの時間帯は大手の広告代理店が事前に買い占めているのである。代表的なのは電通である。中小企業が入り込む余地はすくない。
いささか前置きが長くなったが、一昨年の秋、おどろくべき事件が発覚した。
「視聴率をあげることは至上命令だ。半端ではできない、なんでもやれ」という社長訓示を真に受けた日本テレビの社員がその言葉通りに、興信所をやといビデオリサーチのモニターを割り出し事前に買収してセットインを頼んだという事件である。
当人の懲戒解雇は当たり前だが 教唆した社長は降格減俸で公正厳格な処分はおわった。BPO [放送倫理・番組向上機構] (清水秀夫理事長)は、記者会見を行い、下記の事項を提言した。
「・量的な視聴率調査だけでなく、番組の質を測定する視聴質調査の導入も検討すること。
・広告界も新しい評価基準づくりに向けて、積極的に協力してほしいこと。
・放送人のモラルを高め、自律を強める倫理研修の必要性。
・視聴者(市民)の番組に対する積極的な発言を期待する。
・新聞や雑誌が視聴率至上主義の増幅に加担しないでほしいこと。」
憲法の権威、清水先生にしてはずいぶんとなげやりだな。やりきれない気持ちはわかります。
視聴率は現在ビデオリサーチ社が独占、関西地域のリサーチをメインにしていた外資系のニールセンは撤退した。ビデオリサーチは電通が支配している。完全に信頼していいかどうかわからない。
人の噂も75日、いつものように幕があきーーーーー三冠王争い、視聴率戦争はつづく。

日本テレビの氏家斉一郎会長は先月、「2位以下の皆さんが努力されたということ」と感想をのべた。フジの村上光一社長は「日テレさんのスピードが落ちたこともある」と控えめながらも、「昨年から人気番組が途切れずにつづき、10年間ためてきたパワーを爆発できた。来年に向け悪い材料はない」と自信をみせた。」(毎日新聞)
よしもわるしも巨大な怪獣テレビをもっとしりたい。
我が家の愛犬はテレビの前が好きだ。ソニーの音声を聞きながらよくねむる。
私は犬になりたいーーーーーー
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by daisukepro | 2005-01-08 00:08 | マスコミ

続続々責任ある自由


「俺の胃が痛くなるような特ダネは禁止」

■権力にシンパシー生む記者クラブ制度
 こうした報道姿勢をもたらしている元凶として、記者クラブへの批判が多い。当局の発表を垂れ流すだけの「発表ジャーナリズム」批判であり、大新聞とテレビ局が独占してきた閉鎖性に対する批判である。しかし、一番の問題は、当局に対する批判を手控えてしまうことにあると私は指摘したい。
 なぜ、そうなるのか。理由は、2つある。
 うかつに批判記事を書いて嫌われたくない、ネタを他社に流されたら困る?という恐怖感。もう一つ、長期間の密着取材を続けるうちに当局に強いシンパシーを持つようになりがちだ。警察、検察の権力機関のクラブ記者にその傾向が特に目立ち、警察官や検事の目で世の中を見るようになってしまう記者も少数だがいる。
 しかし、記者クラブの存在とクラブ記者の資質を問えば事足れりという話ではない。それだけでは問題を矮小化してしまう。編集局幹部の事なかれ主義により大きな問題があると私は考えている。
 私がつとめていた新聞では官庁クレジットが入った記事が優遇されがちだった。特に東京地検、警察庁、警視庁など捜査当局ものは発表ネタであろうと大きな扱いになることが多い。編集幹部から見て「安心できる記事」なのだ。
 反対に記者が苦心してつかんだ記事、とくに攻撃性の強い記事になると編集局幹部が些末なことにまでチェックを入れてくる。批判記事を書いても上層部が押さえにかかり、もみ消してしまうことさえあった。
 私の体験だが、かつて上司の社会部長から「俺の胃が痛くなるような特ダネは禁止」と冗談めかして言われたことがあったが、目は笑っていなかった。
 ここ数年、政府は盗聴法、個人情報保護法、有事法制などなど報道の自由に関わる法案を立て続けに出してきた。司法の場でも名誉毀損賠償額の高額判決が目立っている。
 新聞はこうした動きに抗して報道の自由をどこまで貫けるのか、甚だ危ういと思う。個人情報保護法ではそれなりのキャンペーンを展開したが、有事法制では有効な反撃がほとんどできなかった。
 新聞が対抗力を発揮できない主因は、はっきりしていると思う。読者の支持を失いかけ、影響力に翳りが出ているからだと痛感する。
 各新聞社も危機感は持ってはいるが、効果的な改革に踏み切れないでいる。
「報道被害」批判への対応策として各社は、捜査当局に身柄を拘束された人を呼び捨てにせず「容疑者」の呼称をつけるようになった。私に言わせればやらないよりはましかもしれないが、小手先の話であり、読者向けの「反省のポーズ」といったレベルでしかない。

■検証機関は建前か
 また朝日新聞は外部の有識者を委員に招いて「紙面審議会」「報道と人権委員会」を設け定期的に会合を開いている。02年12月23日朝刊で「報道と人権委員会」第11回定例会の論議内容と結果を報道している。それによると、「読者・市民の視点から検証する姿勢が大切なことを再確認し、公権力の監視など報道本来の責務を積極的に果たすことが読者の信頼感、共感につながると強調した」とある。
 正論ではあるが、これが日々の紙面に具体的に反映されているとは到底いえない。新聞社側の「お説、受けたまわりました」に終わっているのが実情だ。かくあるべし論をどれほど並べたてても意味がないばかりか、こうした「建前」を紙面に掲載することで良心的新聞のポーズを取っているだけだという酷評も聞こえてくる。時間を割いて会合に出てくる各委員にも礼を失するのではないか。
 週刊文春の記事が東京地裁で差し止め処分を受けたことを受け、朝日夕刊「素粒子」はニューヨークタイムズがペンタゴン文書をすっぱ抜いたことを引き合いに出して「彼らには志がみなぎっていた。いま、週刊文春の『志』とは何か」となじった。
 新聞記者をしていた私はこのコラムを恥ずかしいと思った。ものの言い方も嫌みだが、そもそも「朝日の記者や編集幹部にNYタイムズに比肩する志はあるのか」と私は反問せねばならない。

■新聞社こそ情報公開を
 古巣の新聞に厳しいことを書き連ねたが、そこだけが問題だということではもちろんない。少数ではあるが、会社上層部と衝突しながら頑張っている後輩記者がいることを知っている。「組織内個人プレー」を多少許容する空気が読売よりも我が社にあったと思うが、残念ながらこうした記者は急速に排除されつつある。
 新聞は官庁や企業に情報公開を求めながら自らについては極めて閉鎖的である。経営情報、紙面の作成過程などまず表に出ない。改革の方向について言及する紙数はないが、新聞社は自らの情報公開に真剣に取り組むことから初めてほしいと思う。(元新聞編集委員)
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by daisukepro | 2005-01-07 05:38 | マスコミ

続々責任ある自由


「権力に対するチェックを怠らぬことこそジャーナリズムの原点だ」

■三井氏逮捕劇
「 当局の情報操作に踊らされることもしばしば起きる。
 02年4月、大阪地検が大阪高検公安部長の三井環氏を逮捕するという未曾有の事件が起きた。三井氏は検察の調査活動費を使った裏金作りを国会などで実名告発する準備を進めていた矢先だった。しかも最初の逮捕容疑は形式犯の微罪。口封じを狙ったことは明らかだった。
 この時、新聞は何を、どう報じたのか。読売新聞は逮捕の日の朝から三井氏宅に張り込んでいた。検察から事前リークを受けていなければできないことだ。読売だけでなく、各紙の紙面は「三井悪徳検事」報道で埋まった。例えば朝日新聞は「三井氏は保有するマンション収益を税務申告していなかった疑いも持たれている」と記事にした。しかし、三井氏が大阪国税局から申告漏れや脱税で摘発受けた事実はない。検察のリークを裏もろくに取らずに記事にした結果である。
 警察や検察に限らず官庁側はなかなか利口なのだ。リークしたくてしょうがない情報を夜回りの記者に恩着せがましく教える。記者の方は特ダネだと信じ込んでデカデカと記事にするという図式である。
 権力に対するチェックを怠らぬことこそジャーナリズムの原点だと私は自分に言い聞かせてきた。しかし、朝日を含め各社の担当記者は警察や検察の組織的な悪事には見て見ぬふりを決め込んできたし、編集局幹部もそうした記事を嫌う。

■消極的だった警察裏金取材
 私は96年以降、警察の組織的な裏金づくりを記事にしてきた。きっかけは愛知県警総務部の裏帳簿を入手したことだった。裏金づくりは国民の税金をくすねる明らかな犯罪行為であり、その裏帳簿は愛知県警の組織犯罪を示す動かぬ証拠だった。私一人の力では物理的に限界があるためチーム編成を急ぐように社会部長にもちかけたが、「他の仕事に人手を取られており、割ける記者がいない」という反応だった。
 一人ではどうしても効果的なキャンペーンにまでは展開できず、社内の冷視を浴びながら切歯扼腕の状態が続いた。
 最近になって北海道警を皮切りに静岡県警、福岡県警など全国の警察本部で裏金づくりが次々と発覚している。「ようやく」という思いの一方で、このままでは竜頭蛇尾に終わってしまうことを危惧している。頑張っているのは北海道新聞など一部の地方紙に限られる。朝日、読売など全国紙も報道はしているが、「事実報道」の域にとどまり、積極的に疑惑をえぐり出し、厳しく批判する姿勢は乏しい。c0013092_9155325.jpg 静岡県警は不正経理で捻出した裏金を県に返還することにしたと新聞は報じたが、それ以上の批判は加えなかった。ドロボーが盗んだ金を持ち主に返すからと言えば警察は刑事罰を免除するだろうか。もちろん日本の警察はそんなに甘くはない。
 法務省が98年、盗聴法案(通信傍受法)を持ち出してきた。警察や検察の捜査当局が電話盗聴を合法的に行えるようにしようというものだ。組織犯罪を効果的に取り締まるためという大義名分だが、悪用された場合、国民が脅威にさらされる危険もあった。
 当時の社会部長を説き伏せて99年5月に取材チームを編成した。連日、関係記事が載った。ところが、警察担当のベテラン記者から編集局幹部に「警察を一生懸命に回っている全国の記者のことも考えろ」と怒りの電話があったという。
 人権侵害を引き起こしかねない記事を垂れ流す一方で、本当に伝えなければいけない記事は書きたがらない。ーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーー ーーーーーー続く
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by daisukepro | 2005-01-06 07:54 | マスコミ

続責任ある自由

大手新聞の元編集委員の見識ある発言を紹介しよう。読売新聞社ではありません。
長いので数回に分けてお伝えします。原文は匿名ではありませんが、「発見の同好会」として配慮してあります。

「私は昨年5月に新聞社を退社するまで社会部記者、社会部デスク、編集委員として過ごした。新聞で半生を過ごした私は、新聞に生き残ってほしいと願っている。こう言わねばならぬほど新聞の危機は深い。手をこまねいて衰退の進行を許せば、多くの読者に見放される時期は遠くないのでないかと危惧している。
 新聞は今、読者と権力の両側から批判を受けている。私は読者からの批判に危機感を覚えるが、新聞経営者は権力や企業からの批判に神経を尖らせがちだ。個別配達制度、再販制度が大発行部数を支えており、読者の不満を余り気に留めていないように見える。読者に伝えるべきニュースを新聞がきちんと伝えてきたと胸を張って言えないのはひどく残念なことである。本稿は自省を込めた体験的新聞批判としてお読み頂ければと思う。

■横並び、権力依存
 新聞に対する批判は多岐にわたるが、(1)横並びの洪水報道、(2)官・権力依存報道? の2つに大別できる。この2点は相互に絡み合っている。
 洪水のごとき横並びの大報道は過去から現在まで絶えることなく続いている。ここ数年だけでも、野村サッチー脱税、辻元清美・元衆議院議員の秘書給与詐欺事件、そして今は三菱自動車が欠陥車問題で集中砲火を浴びている。いずれも警察や検察の強制捜査の対象になったケースである。
 社会部記者時代、「水に落ちた犬は叩くんだ」とはっきり口にした上司のデスクがいたが、警察や検察の発表やリークに依拠して書いているのだから、という安心感に支えられている。いわゆる「権力依存報道」である。
 警察や検察に逮捕されると安易に「犯人」扱いをしてしまう。逮捕されたら裁判を待たずに社会的に葬られてしまうのである。
 こうした報道姿勢は人権侵害を引き起こす。松本サリン事件がその代表的な例だし、仙台北陵クリニック事件では仙台弁護士会が昨年11月、朝日、毎日、読売、河北新報の4社に人権侵害にあたる報道があったとして勧告書を送っている。宮城県警に逮捕された容疑者を頭から犯人扱いした記事への警鐘である。「報道被害」という報道関係者には至って不名誉な言葉まで生まれた。
ーーーーーーーーーーーー続く
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by daisukepro | 2005-01-05 08:16 | マスコミ

責任ある自由ーーー


元旦、東京は雪がつもった。
c0013092_2181652.jpg
新聞をひらく。二面の「読売信条」という囲み記事が眼にはいった。「読売新聞は責任ある自由を追求する」そして、「人間主義、国際主義、公正な報道、勇気と責任ある言論」とここでも責任という言葉がでてくる。これだけでは「教育勅語」のようで、なんのことかわからない。新聞社の倫理綱領のようなものだろう。左を見ると社説がのっている。
「脱戦後、国家戦略を構築せよ」が大見出し、その横に小見出し「対応を誤れば日本は衰退する」「戦後民主主義の残滓」「改正すべき教育基本法」「平等偏重から転換を」ーーもう読まなくても内容は一目瞭然、極右ナショナリストのアジテーションまがいの下品な論文。これって社説で書いていいのかな。言論の自由ってゆうじゃなーい。それにしてもこんな傲慢な上司がいたらたまらないね。内容をよむ。また、オッドロクーーー中学生のころ先生におそわったものだ。フランス革命の人権宣言は「人は生まれながらにして自由、権利において平等、そして国民主権、思想、言論の自由、所有権は侵せない」と明記している。
論説は「戦後民主主義は自由に伴う創意と自己責任よりも平等を重視するイデオロギーだ。
だから、平等偏重から転換をはかり、金持ちや企業をさらに優遇することになる最大の不公平税、消費税の増税をしないと日本は滅ぶと豪語する。愛国心の否定、個の尊重が規律心の低下、学力の低下を招いているので憲法とセットで制定された教育基本法を改正すべきという。がさらに、米国は世界的な規模での米軍再編に着手しているのだから、軍事的アレルギー感覚と一線を画し米国に追従すべきだ。つまり、米軍と一緒に戦争やれってことなの。ずいぶん思い切ったことをおっしゃる。勇気がある。
ああ、これは狂気の沙汰だな。政府公報の上を行くばかりでなく、政府の尻をたたいている
もはや、これは新聞ではない。自由の意味もわからないで社説書くな!
友人が送ってくれた資料がここにある。
評論家の森田実さんによるとアメリカの「編集責任者の倫理規定」は次のようになっているそうだ。
ーーーーーーー米国の「原則規定」の第1条は「責任」です。ここにはこう規定されています。
 「ニュースおよび意見の収集とその流通の第一の目的は、一般大衆が時事的問題に関して判断を下せるよう情報を提供し、公衆の福祉に資することである」
 「米国新聞業界に自由が認められているのは、単なる情報の伝達、討論の場の提供のためだけでなく、あらゆる政治的指導者を含め、社会の権力に対する独立した監視の役割を担うためである」
自由に責任をもつ必要があるのは読売新聞の論説委員ではないのか。こんな新聞、犬のトイレにしよう。
それとも、購読やめるか。
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by daisukepro | 2005-01-04 13:46 | マスコミ

NHKされどNHK

NHK職員の番組制作費詐取事件で東京地検は24日、270万円余の詐欺罪で、元チーフプロデューサーとイベント企画会社社長を起訴した。
 NHKの調査では、磯野被告が1997−2001年、上原被告の会社に約4800万円を不正に支出していたことが判明。ほかにも業務実態の確認できない支払先があるとされ、警視庁が余罪を調べている。c0013092_6522956.gifこれは俗にいうキックバックという手法、業界ではしらぬものなし。通常の番組制作費に上のせして支払い その何割かを発注元にバックして、それを双方で着服するのである。賄賂をとるものも払うほうも損はない。視聴料をはらっている視聴者のみ知らぬがほとけとなる。
しかし、民放各社でもこのうわさの種はつきない。特に音楽番組は要注意である。
管理者はたいてい気づいているが黙認している。この事件は氷山の一角と見るのが自然とおもう。NHK会長は一連の不祥事を謝罪したが、辞任はしない。なぜだろう。組織改革が責務という。ドロボーの親分にそれができるとは思えない。では、なぜNHKはこの時期に摘発をおこなったのだろう。
いつのまにか有事立法が成立、国民保護法により内閣総理大臣が必要とおもう団体を指定公共機関に指定できることになった。NHKをはじめとして広域民間放送局も指定された。
大規模テロなどの有事のさいはもとより、あらかじめ予防のためにも内閣が必要とおもう情報を報道する義務が課せられることになる。しかし、あくまでも建前は通常の職務の範囲で自発的におこなうものと政府は説明しているが法的根拠はない。
しかし、報道統制をするには職場の抵抗が問題となる。無抵抗な職場にするために賄賂の摘発は一石二鳥の効果がある。
ベネゼラのチャペス政権転覆をはかったクーデター事件をおもいだす。
アメリカ石油企業に支配された民間放送局は真実をゆがめた映像を繰り返して放送した。
その中で唯一国営放送局のみが真実の報道をまもり、クーデターを未遂に防いだのである。わが、国営放送ともいうべきNHKはどうなるのだろうか。真実の報道はまもれるのだろうか。NHKされどNHKーーーーー紅白歌合戦をみるのはやめようかな。
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by daisukepro | 2004-12-28 07:58 | マスコミ