カテゴリ:憲法( 98 )

普天間は飛行場なのか、基地なのか

普天間は飛行場なのか、基地なのか

毎朝、新聞のテレビ欄を見てチェックを入れる。それからヘッドラインだけは必ず目を通す。NHKの日曜討論はテーマと顔ぶれで視聴するかどうかを決める。テレビ欄には普天間基地結論先送りとでている。あれほど年内に結論を出さないと日米関係が破綻すると岡田外務大臣を筆頭に囀っていた方々の虚言妄想はどこ終え消えてしまったのか不思議だ。常識的に見て、ベルリンの壁崩壊後、東西冷戦構造の枠組みがなくなり、アメリカ大統領がチェンジすればアメリカの世界戦略が転換することは軍事専門家でなくても分かる。c0013092_23543591.jpg(写真は普天間米軍基地嘉数高台から撮影)
それでなくても財政危機が深まるアメリカが世界中に点在している米軍基地を再編するためには膨大な経費がかかる。当たり前のことである。アメリカの価値観で世界を統一しよなどという考えは妄想でしかない。そうした角度でみると元高官の発言のお里が知れようと言うものだ。アメリカの政府高官すじがしばしばマスメディアに登場して普天間基地の移設が失敗するとアメリカの戦略が頓挫するかのようにインタビューに答えている。その人物にはきまって元が付いている。つまり、ブッシュ政権で高官だった人ばかりである。インタビューの人選はマスコミの主観で行われるとは知っていても、これほど露骨とは思わなかった。往生際が悪い。
読売新聞は12月20日の一面で日米亀裂という特集を組んでいるが、解説しているのはケントカルダー特別補佐官、彼も元が付いている。正式には元駐日大使特別補佐官だ。連載4回目の記事は「鳩山政権による米軍普天間飛行場移設問題の決着先送りは、ワシントンに不安と失望を読んでいる」から始まっている。
頭に米軍とついているから米軍の施設とは分かるが、略して表記すれば普天間飛行場となる。基地と飛行場の移設では終戦と敗戦程の違いがある。問題の核心は米軍再編成にともなう米軍基地再編成なのだがこれを米軍飛行場再編成と表現すれば問題の核心がぼんやりとかすむことになる。世界中で見れば米軍基地は再編成によって半減しているが、増加しているのは日本だけなのである。
米軍戦略上、必要がなくなった基地は即時無条件に撤退すべきものだ。経済的な理由で基地存続をのぞむ人でも、感情では他国の基地の共存をのぞむ人はいるだろうか。核の抑止力などという幻想でいつまでも米軍基地を置いておくことこそ不自然なのである。
日本の米軍基地は朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争の出撃基地として活用されてきたが、日本防衛に使われたことは60年の長きわたって一度もないのである。
普天間基地からの米軍撤退はその第一歩になるのだ。普天間飛行場の移設問題などではない。すべての新聞がNHKのように普天間基地と記述する日がくれば、間違いなく米軍から接収された基地が沖縄の人々にもどってくる日になると思う。哀しいことに新聞記事で普天間基地という記述を見つけるのは砂地でダイヤモンドを発見するようなものだ。嘘だと思ったら近く図書館に行って探してみよう。
普天間基地が返還された日、嘉数高地の展望台に立って米軍ヘリコプターのいない元米軍飛行場をながめながら泡盛で祝杯をあげる日が来ることを楽しみにしている。そうなれば10年後に沖縄の米軍基地をすべてなくすことだって不可能ではない。
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by daisukepro | 2009-12-20 23:57 | 憲法

「日本政府は米核政策の転換に反対だ」

「日本政府は米核政策の転換に反対だ」

固い話ばかりで、申し訳ない。今日は長崎に原爆が投下された日なのでお許しください。

一昨日(8月7日)、読売新聞朝刊の一面の左隅の記事に目が止まった。
一面トップは「裁判員裁判初の判決」、黒地に白抜きの四段抜きの大見出し、その記事は2段抜きで「米大統領広島・長崎訪問困難に」と目立たないように掲載されていた。しかし、読んでみるとすこぶる面白い。
オバマ大統領が年内に来日するという噂が流れていたが、知っての通り、今年11月初来日することが決まった。オバマ大統領が核廃絶の決意表明をしたプラハ演説に感動して「できたら被爆地を訪問して欲しい」というのが日本人の気持ちだろう。デザイナーの三宅一生氏もオバマ大統領のプラハ演説に感動して自らの原爆体験に触れながら大統領が広島を訪問するよう訴えたメッセージを送った。チェ・ゲバラも広島を訪れて涙を流したではないか。普通の日本人はオバマ大統領の広島・長崎訪問を歓迎する。勿論、どこの国にもいるように、歓迎しない人もいる。いまだ原爆症で苦しむ人々をみると、日本人の心情は原爆投下の責任を追及するより、原爆で苦しむ人々を二度と再びみたくない、人間を原爆で苦しませてはいけない、そのためには原爆を投下させてはならない、持たせたてはいけない、つくらせてはいけない、地球上から核兵器を廃絶したいと望んでいると思う。だから、オバマ大統領にも原爆の悲劇を直視して欲しいと切望しているのだ。

ところが、読売新聞の記事は以下のようになっている。
複数の日本政府関係者が6日、「オバマ大統領の被爆地訪問は困難であることを明らかにした。理由は原爆投下の意義をめぐる議論に発展しかねず米国内で反発を招く恐れがあるとの判断が強まった」のだという。滞在時間が1日程度となるから国内移動が難しくなったという事情もあるのだとか、日米関係筋は「初来日の際に歴史認識にかかわる問題を扱うのは難しい」とか、オバマ大統領の被爆地訪問を阻みたい思惑が見え見えではないか。

読売記事に出てくるこの複数の日本政府関係者、日米関係筋とは誰なのか。顔のないゴースト、その正体が見たい。「歴史認識にかかわる問題を扱うのは難しい」どころか大統領の歴史認識はプラハ演説ではっきりしている。オバマ大統領はプラハで下記のように演説している。

「私たちは、20世紀に自由のために戦ったように、21世紀には、世界中の人々が恐怖のない生活を送る権利を求めて共に戦わなければなりません。そして、核保有国として、核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任があります。米国だけではこの活動で成功を収めることはできませんが、その先頭に立つことはできます。その活動を始めることはできます。従って本日、私は、米国が核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意であることを、信念を持って明言いたします。」
オバマ大統領は解決しなければならない課題を挙げた後
「いずれの課題も、すぐに、あるいは容易に解決できるものではありません。いずれも、解決するには、私たちが相互の意見に耳を傾けて協力すること、時に生じる意見の相違ではなく、共通の利害に重点を置くこと、そして私たちを分裂させ得るいかなる力よりも強い、共通の価値観を再確認することが必要な課題ばかりです。これこそ、私たちが続けていかなければならない取り組みです。私がヨーロッパへ来たのは、その取り組みを始めるためです。」と述べている。

オバマ大統領は日本に何のために来るのだろうか。毎年8月6日、広島の式典に来て核廃絶の決意をのべながら、核の傘強化を平然とのべる日本の首相とは違う。

ゴーストたちの話に戻ろう。

憂慮する科学者会議のカラキ−氏から3分間の緊急メッセージが日本に送られてきた。ユーチューブから静かな声が流れてくる。

「日本の皆さんが知らなければならない重要なことがあります。それは、日本の外務省や防衛省で、外交安保にかかわる官僚たちが、米国のカウンターパートに対し、「日本政府は米核政策の転換に反対だ」と訴えているという事実です。
米政府内ではオバマの核政策転換に反対を唱える人々がいます。とりわけ国務省や国防総省、そして国家安全保障会議のアジア専門家から反対の声が上がっています。これらの人々が、米核態勢に求められている転換に反対する最大の理由が、日本政府が表明する「懸念」なのです。
米国の新しい核兵器政策が決定するのは、今年9月あるいは10月です。残された時間はあとわずかです。米核政策の転換は、プラハ演説でオバマ大統領が述べたビジョンの実現に不可欠です。
もし、オバマ大統領がプラハで訴えた米核政策の転換というビジョンが、人類の歴史上で唯一、核攻撃の犠牲となった国の政府の反対で、打ち砕かれるとしたら、それはまさに皮肉であり悲劇にほかなりません。日本の皆さん、今こそ日本政府、そして米政府に向けて、「私たちはオバマ大統領がプラハで示した米核政策の転換を力強く支持します」と声を上げていくことが重要です。

読売新聞の記事に出てくる日米関係筋とか、政府関係者は日本の外務省や防衛省、外交安保にかかわる官僚たちであり、アメリカのロビーにも出没していることが明白ではないか。彼らはオバマ大統領の被爆地訪問に最大の懸念を持ち、阻みたいのです。

これまでのアメリカの世論によれば、60%が原爆投下は戦争を終わらせるために意義があったと考えているようだ。
しかし、事実が明らかになるにつれて、アメリカの世論は変わりつつある。
写真家中村悟郎さんが5月にアメリカで写真展を開きロサンゼルスの大学で講演を依頼された。中村さんはベトナム戦争で使われた枯れ葉剤の被害を追及している写真家として著名です。

以下、中村さんのエッセイからの引用をしておきます。オバマ大統領になってからアメリカでも変化が起こっていることが分かります。

私は思い切って私の考えかたを枯葉剤会議の聴衆に伝えた。 「被害はベトナムのほうが何百倍も深刻である。 それに対する補償を米連邦最高裁が今年2月に最終的に拒んだのは客観的に見て不当である」 「アメリカがベトナムで行なった枯葉作戦は明らかに戦争犯罪といえる」。

 そして私はオバマ演説を引用しながらこうしめくくった。 第2次大戦後の歴代米大統領は 「ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下は正しかった。 それによって何万という米兵の命が失われずに済んだのだから」 といい続けてきた。 だがオバマ新大統領は違った。 「最初に核を使用した国の道義的責任として、 核廃絶を目指す」 とプラハで述べている。 すばらしい演説である。

 ところが、 フロリダのエグリン米空軍基地には現在も、 ベトナムで枯葉作戦を行ったC-123散布機が展示されていて、 その脇にはブロンズ製の顕彰碑がある。 そこには 「枯葉作戦は崇高な作戦であった。 それによって何万というアメリカ兵の命が失われずにすんだのだから」 という文字が刻み込まれている。 いかなる残虐兵器を使おうと 「正しかった」 としてしまうこのような思想とは決別すべき時がきたのではないか、 と。

 そのとたんに劇的な事態が起きた。 会場の人々が立ち上がりスタンディング・オベイションとなったのである。

会場にはいろんな立場いろんな考え方の人が居たはずである。 その人々がこうした反応を見せた。 言うべきことを言って良かったと思った。 アメリカは変化しているとも感じた。 この国の懐の深さに触れるとともに、 写真や言葉や、 さまざまな手段で臆せず働きかけることに充分意味があることを知ったのであった。

読売新聞の懸念はもはや幻想でしかない。世界は少しずつ変わろうとしているのだ。私たち日本人がオバマ大統領の広島・長崎訪問を切望していると声を上げよう。
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by daisukepro | 2009-08-09 13:43 | 憲法

横須賀、海賊、核の傘

横須賀、海賊、核の傘

日曜日の午後、横須賀軍港ツアーに参加した。一行は約30名、映画関連労働組合平和推進委員会の皆さんです。遊覧船は港内を45分で一周、停泊中の船舶をガイドしてくれる。1200円では安い。都心から参加すると交通費が往復2000円ほど加算される。帰りにはドブ板小路を抜けて三笠公園まで歩く。そこには戦艦三笠が保存されていて500円払うと艦内の見学ができる。ドブ板通りは観光地化して昔の面影はないが、それなりに終戦直後の占領ムードを漂わせている。c0013092_19504362.jpg日本人はとても買う気が起こらないような土産物を売っている店が並ぶ。私服の黒人兵や連れ立って歩く白い水兵服の海上自衛隊員とすれちがうこともある。
軍港は日米共同で使用している。一隻300億円もする自衛隊の潜水艦が係留されている。その奥にはアメリカ軍のイージス艦数隻が待機している。しかし、楽しみにしてきた原子力空母ジョージワシントンの姿はなかった。
c0013092_19495713.jpg
「核密約があった」という元外務次官の村田良平氏の証言を西日本新聞がスクープしたのは6月28日の朝刊。
日本政府はこれまで核密約はなかったと答弁してきた。麻生首相も「なかったというので調べるつもりはない」と記者会見で答えていた。もし、スクープが真実だとすれば、私たちが乗船した遊覧船がジョージワシントンの近くを通過すれば核兵器に最も接近した瞬間ということになる。サイトシーングも忘れがたいものに変貌するはずであった。

翌日のしんぶん赤旗をみると、不破哲三氏の談話が載っていた。大見出しでタイトル「これが核密約だ」、当時、共産党委員長だった不破氏は2000年の党首討論で密約全文を示し政府を追及した。不破さんが暴露した密約文書の表題は「相互協力及び安全保障条約討論記録」となっている。この奇妙な呼び名の条約表題がなぜ名付けられたか、米国の報告書には以下のように書かれている。「いかなる秘密取り決めの存在を否定するために日本政府の注文で討論記録と呼ぶことになった」と

今度のスクープ以後、新聞各社が歴代の外務次官を取材して証言を取っている。いずれも、密約を認め、歴代の外務大臣に手書きメモをわたして引き継ぎをしていたことが明らかになった。かくも長きにわたって政府は国民を欺いていたのである。これって、まさに二枚舌その一。
2000年に不破氏が密約を暴露した後、その翌年、田中眞紀子氏が外務大臣になったが、なぜか、この密約は報告されていない。メモが破棄されたともいわれている。

密約の仕組みと主な内容は2つある。岸首相とハーター国務長官が公式に取り交わした交換公文では「核兵器の持ち込みなど米軍の装備の重要な変更」「日本の基地を戦闘作戦行動への出撃に使うとき」(要約)は日本政府と事前協議する。となっているが密約では「核を積んだ軍艦や軍用機の立寄り、通過は、事前協議はいらない。米軍が日本から移動する場合は移動先が戦場であっても事前協議はいらない。米軍の自由である。」となっているのである。(全文参照)密約条文はマッカーサー駐日大使と藤山愛一郎外相が署名している。核の持ち込みとは「核兵器、中長距離ミサイル(短距離ミサイルは除く)のための基地の建設」と規定している。だから、米原子力空母は横須賀港に核兵器を搭載して自由に寄港していたのである。

しかし、今なぜ外務省高官が一斉に密約を認めた発言を始めたのかという素朴な疑問が浮かんでくる。元毎日新聞の池田龍夫氏によれば村田良平元外務次官は武器輸出三原則、非核三原則を批判、憲法を改正して集団的自衛権を鮮明にすることを切望している人物であるとマスコミ関連のホームページで解説している。あのテレビに出てきて「アメリカのいう通りにしていれば日本は安全です」という変なおじさん岡崎元駐米大使と同期の外務省エリートらしい。

すると、どうだろう4日提出された「安保防衛懇」の報告書を読むと北朝鮮の核開発と弾道ミサイルが脅威だとして、「専守防衛」「非核三原則」「PKO参加5原則」を見直してミサイル迎撃、敵基地攻撃の方策も必要だとして日本を「海外で戦争をする国に変える」提言を列挙しているではないか。

海上自衛隊の護衛艦2隻がソマリア沖に派遣されたのは3月、大量の武器弾薬を積載して佐世保港を出航して行った。この段階での武器使用は自衛隊法の枠内という制約があって自由に発砲することは出来ない。4月23日、海賊対処法案が可決、防衛省が必要と判断すれば恒久的に海外派兵が可能になり、武器の使用が認められる。そして、7月、恒久派兵法成立後、始めての第二次護衛艦が派遣されて行った。海外派兵は危険水域に入ったのだ。戦場はぐっと身近になった。歴史的な転換点といえる。

自衛隊の海外派兵は1991年のPKO派遣に始まり、9・11以後、派兵先と期限を限定した特別措置法で実施されてきた。アフガンへ「テロ特措法」、インド洋へ「給油法」、イラクへ「イラク特措法」
そして、今回の「海賊対処法」。海賊退治とは見せかけの衣で、この法案の中身はいつでも、どこでも自衛隊の海外派兵ができ、紛争解決の手段として武力行使ができるようにするための「海外派兵恒久法」なのだ。そして、最後の障害物である海外派兵を禁じた憲法九条第二項の改正を切望しているのだ。二枚舌のその二

デッキの上で潮風に吹かれながら考えた。
「戦争ができる社会体制が着々と構築されている。
戦争は急には起こらない。なし崩し的に戦時体制へ転換がすすんでいる。なんか変だなと気付いたときにはどうにも止まらない。アメリカ軍の指揮命令のもとに海外派兵が常識となる日が接近していることを忘れないぞ」
内閣の調査で自衛隊の海賊対策について問うと肯定的に考える人が63%なのだ。人を見かけで判断するのは用心しないとね。

二枚舌その三は麻生発言だ。8月6日、麻生首相は広島の式典で「私は改めて日本が今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます」と事務方の用意した原稿を棒読みした。これは麻生首相に限らず、歴代首相が必ず読み上げるものだ。歴代にはない麻生首相の優れた才能は、その舌のねも乾かないうちに式典直後の記者会見で「日本はアメリカの核の傘が必要だ」と持論を展開できるこことだろう。まさに、二枚舌の朝青龍。

ガイドの声が聞こえてくる。「船の上からのカメラ、ビデオなどの撮影は・・・・・・・・自由です」
私は辺野古ではこうは行かないと思いながら、ビデオカメラを回した。

追記
ここまでの記事を投稿しようとして読売新聞の夕刊(8月7日)が置いてあったので、ちらっと見ると、核密約「確認は不能」と三段抜き記事が目に止まった。外務省はアメリカでは公開済みの文書が日本では1981年の調査で文書本体が確認できなかったので密約を否定する方針だという。引き継ぎメモは消去されたと村田氏は言っているが・・・・・・。この国の外務省はどうなっているのだろう。




相互協力及び安全保障条約討論記録
東京 1959年6月
 1、(日米安保)条約第6条の実施に関する交換公文案に言及された。その実効的内容は、次の通りである。
 「合衆国軍隊の日本国への配置における重要な変更、同軍隊の装備における重要な変更並びに日本国からおこなわれる戦闘作戦行動(前記の条約第5条の規定にもとづいておこなわれるものを除く。)のための基地としての日本国内の施設及び区域の使用は、日本国政府との事前の協議の主題とする。」
 2、同交換公文は、以下の諸点を考慮に入れ、かつ了解して作成された。
 A 「装備における重要な変更」は、核兵器及び中・長距離ミサイルの日本への持ち込み(イントロダクション)並びにそれらの兵器のための基地の建設を意味するものと解釈されるが、たとえば、核物質部分をつけていない短距離ミサイルを含む非核兵器(ノン・ニュクリア・ウェポンズ)の持ち込みは、それに当たらない。
 B 「条約第5条の規定にもとづいておこなわれるものを除く戦闘作戦行動」は、日本国以外の地域にたいして日本国から起こされる戦闘作戦行動を意味するものと解される。
 C 「事前協議」は、合衆国軍隊とその装備の日本への配置、合衆国軍用機の飛来(エントリー)、合衆国艦船の日本領海や港湾への立ち入り(エントリー)に関する現行の手続きに影響を与えるものとは解されない。合衆国軍隊の日本への配置における重要な変更の場合を除く。
 D 交換公文のいかなる内容も、合衆国軍隊の部隊とその装備の日本からの移動(トランスファー)に関し、「事前協議」を必要とするとは解釈されない。
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by daisukepro | 2009-08-07 20:08 | 憲法

海賊退治に飛び立ったオライオン

平成21年度補正予算が衆議院を通過、参議院で否決されたが60日ルールが適用されて予算案は成立することになった。
一般会計の中にはソマリア海賊対策費、182億3800万円が計上されている。5月15日、浜田防衛大臣はロキード社製哨戒機P3C、2機のソマリア派遣を命じた。
6月中旬から4ヶ月間、飛行隊はソマリア海域で哨戒の任務に就く。派遣航空部隊の編成は海自隊員100名(飛行隊40、整備補給隊30。基地業務隊40、警衛隊30)、陸自隊員50名、約150名っである。最高司令官は自衛艦隊司令官である。旧海軍の軍令部に相当するのだろうか、山本五十六連合艦隊司令長官の名が思い浮かぶ。
ソマリア対策費のうち自衛隊海賊対策費は145億500万円(含む 艦艇の諸経費45億円、P3C派遣の諸経費95億円)であるという。もちろん、兵士が使用するであろう武器弾薬の経費はこの中に含まれている。
P3C、その名をオライオンという。
c0013092_23593872.jpgギリシャ神話の神の名をつけた、2機の「オライオン」はジブチをめざして5月28日、雨降る厚木基地から飛び立った。そこで米軍と合流して、ソマリア沖で米第7艦隊との共同作戦に組み込まれる。何が起こるか。政府にとって都合の悪い事件は軍事機密としてベールに包まれることになる。武器密輸、麻薬ルートのソマリア近海における取材は命がけにならざるを得ないだろう。現在参議院で審議中の海賊対処法案は参議院で廃案にならない限り成立する見込みだ。海賊退治は警察行動だから憲法が禁止している軍隊の武力行使ではないという乱暴な解釈で武力行使が可能になる。すでに補正予算が成立する数ヶ月前から自衛隊は準備と訓練を実施して、国会審議を横目で見ながら、艦隊はソマリア沖で活動している。大量の武器弾薬を搭載していることは言うまでもない。この法案成立と同時に、いつでも現地実行部隊が海賊退治と判断すれば交戦することができる。兵士は遭遇した相手が、難民か、漁民か。それとも海賊か、敵かそうでないか、瞬時に決断しなければならない。世界中いたるところで闘うアメリカ特殊部隊の活動を描いた米国テレビ番組(「ザ ユニット米国特殊部隊」「24」など)が若者たちに人気だ。21世紀は国家と国家間の戦争はなくなったが地域紛争は激増し、超大国の目線で見た山賊、海賊、テロリストはいたるところに潜在している。テレビ番組の素材に事欠くことはない。アメリカ軍は世界中に基地を置き、軍事力でこの国境なき敵に対処しようとしてる。日本は国際紛争の解決に集団的自衛権と武力を行使しないという誇り高き憲法をもつ。「戦争をしない国」日本を「戦争をする国」、「終わりなき戦争をする醜い国」にしてはならないと思う。戦争は始めたら歯止めが利かない。日本が「戦争する国」になりたいなら、闘う価値のある敵はいたるところにある。海賊退治、テロ退治を選ぶ必要はない。ガン細胞退治、疫病退治、貧困退治、温暖化退治戦争に挑戦したらどうだろう。
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by daisukepro | 2009-06-04 00:03 | 憲法

海賊対処は名ばかり、闇の奥の奥ーアメリカの軍事的な枠組みに組み込まれる危険

「海賊対処」法案は4月23日午前中に総括質疑を終えて、委員会で採決した後、急遽本会議を開き自民党、公明党が採決を強行、賛成多数で可決した。わずか6日間の審議で質疑を打ち切り、自衛隊の恒久的海外派兵と武力行使に道を開いた。明らかに憲法九条2項に反する。私たちの理想、日本国憲法をいとも簡単に放り投げていいものだろうか。法案に賛成した国会議員たちを許すことはできない。

スマップの草薙事件報道がメディアの時間と空間をハイジャックしている間に、「海賊対処法案」はあっという間に衆院を通過して参議院に送られた。参議院の審議は「外交防衛員会」で行われる。現在、審議中の「グアム協定」が成立すれば、5月11日頃から「海賊対処法」の審議が開始される。もしここで徹底審議をすれば、会期延長が必要になる。世論の動向によっては廃案の可能性が出てくる。「海賊対処法」が解釈改憲であり、自衛隊が米国軍再編に組み込まれるようとしていることを明らかにすることがメディアの責任ではないか。責任は重大です。現在の世論調査では「海賊を退治するのがなぜ悪い」が過半数です。マスコミの報道姿勢に影響されたこれらの声が改憲したい勢力の背中を押している。

ソマリア沖に出没する海賊はマラッカ沖の海賊とは質が違う。マラッカ沖の海賊は船舶を襲って金品や積み荷を強奪するのが目的だが、ソマリア沖の海賊は金品には目もくれないで乗組員を人質に取り身代金を要求する。被害総額は約110億円に達していると国連が発表している。GPSと衛星電話を装備している大型母船を使い、自動小銃などで武装した海賊がいくつかの小型漁船に乗り込み船舶を襲う。身代金の受け取り方もヘリコプターを使用するなどきわめて組織的に行われていることが特徴と言われている。

獨協大学の竹田いさみ教授の論文(世界3月号、ソマリア海賊の真相に迫る)によれば、「2008年10月に海賊保険がイギリスで誕生した。海賊対策と海賊被害補償をパッケージにした商品を売る英国の民間安全保障コンサルタント会社のハートセキュリティとスウイングルハースト(1999年設立)である。ハートセキュリティを育てた人物はイギリス陸軍特殊空挺部隊出身のリチャードウエストベリー卿、フォークランド、北アイルランド、ソマリアなどの紛争地での経験が豊富であり、世界13カ国に事務所を構えている。9、11以後海洋テロ対策で業績を伸ばした。内戦下のソマリアでプントランド地方の有力者が一方的にプントランド自治政府を樹立したが、この自治政府のコーストガードの創設をハートセキュリティ社が請け負った。(写真はプントランドコーストガード)c0013092_22561239.jpg同社は沿岸警備のノウハウをソマリア人に教えた。しかし、契約金の支払いを巡り自治政府と対立して、2002年ハート社はプントランド自治政府から完全に撤退した。この頃から、ソマリア海賊が出没するようになった、プントランドのコーストガード出身者が変身したのがソマリア海賊の正体ではないか」という。また、「ソマリアの無政府状態を悪用してアフガニスタン、パキスタン、ソマリアを結ぶ国際犯罪シンジケートが結成され武器や麻薬の密輸ルートを形成している」と竹田教授は指摘する。

アジア、中東、アフリカを繋ぐ要にあるのがアデン湾なのである。ソマリアはこの地帯と東南アジアと日本、韓国、台湾を結ぶラインとアフガン、パキスタンのライン、そして紛争が頻発しているアフリカ諸国への軍事作戦などを展開するためのアメリカ世界戦略の要衝なのだ。

まだ、法案が審議中にも関わらず、自衛隊はP3Cの派遣を決めた。なぜ急ぐのか。ソマリアの隣国ジブチの国際空港を利用してP3Cを配置、既にジブチにある米軍基地と共同作戦が展開できる。さらに防衛のため特殊部隊を含む陸上自衛隊を約1000名派遣するという。これらの事実を報道するだけでも視聴者は今回の海賊対処法が単に海賊退治のための法案ではないことが推測できる。海賊対処とは名ばかりのこの法案でアメリカの軍事共同作戦へ参加の法的根拠が出来る。アメリカは特別にアフリカ総司令部を新設している。この司令部はアフリカ資源争奪戦をコントロールする軍事組織である。しかも、日本は海賊対処法によって国会の審議なしに、内閣の決定があれば自衛隊の参戦を決めることができる。アメリカの軍事行動に巻き込まれかねない危険な法案なのである。テロ対処や内紛対処の軍事行動は憲法に規定している国家間の戦争でないから憲法9条に違反しないとする、こんな詭弁的解釈が通るなら、日本国憲法は圧殺される。そして、いつでも、世界中どこでもアメリカの戦争に自衛隊は駆り出されることになる。現憲法がある限り許してはならない。私たち同好会員がこの海賊対処法案に反対する理由である。
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by daisukepro | 2009-04-26 23:04 | 憲法

安全安心まちづくり都条例改悪で繁華街は不安で夜も眠れない!

安全安心まちづくり都条例改悪で繁華街は不安で夜も眠れない!


明日、3月17日、東京都議会で総務委員会がひらかれる。そこで、安全安心まちずくり条令の改正案が審議され、翌日、18日には委員会を多数決で通過する見込みである。c0013092_13203424.jpg27日の都議会で採決される。たった3日のスピード審議である。なぜ急ぐのか。この条例は2003年春に制定されたものだ。今回の改正にあたって東京都は有識者会議を開いた。そこで審議された内容が報告書にまとめられ告知されたのは2月10日、18日の第1回都議会定例会議で改正案が提案された。改正のポイントは繁華街の安全安心の確保を規定した第6章18条の2項、3項、4項である。
警察関係者によれば、「今後、失業者の増加が予想される。(条例改正は)治安の確保のために急ぐ必要がある」という。c0013092_13211693.jpg閉塞感を爆発させる秋葉事件のようなケースを未然に防ぐための措置だという話もある。
では、条例の改正案を見てみよう。その第6章18条は下記のように書かれている。


第6章 繁華街等における安全・安心の確保等

第18条の2(繁華街等における安全・安心の確保)
繁華街その他の店舗が集積し、多数の来訪者を抱える地域において、店舗、駐車場その他の施設若しくは土地を所有し、若しくは管理する者又は事業を営む者、地域住民、ボランティア及び来訪者(以下「事業者等」という。)は、次条に規定する繁華街等に関する指針に基づき、当該繁華街等の安全・安心を確保するために必要な措置を講ずるように努めるものとする。(アンダーラインは同好会)

要約すると「繁華街にかかわるすべての者は繁華街の安全を確保するために必要な措置を講ぜよ」ということである。この条令では繁華街は繁華街関係者と来訪者で構成される。安心安全を乱す可能性のあるのは主として来訪者という想定である。文脈から治安を任務とする行政官の作文であることがすぐにわかる。けれども条例の主語は繁華街関係者である。行政官が市民の自発性を利用して治安の目的を達しようとする条例の狙いが見えてくる。さて、繁華街関係者が来訪者に対して講ずる必要な措置とはどのような措置なのか。その指針は次条に規定してあると書いてあるので3項を読んでみよう。

第18条の3(繁華街等に関する指針の策定)
知事及び公安委員会は、共同して、繁華街等における安全・安心の確保に関する指針を定めるものとする。
指針は都知事と公安委員会が(勝手に)決めることを規定している。

不思議なことに条例が出来上がる前からすでに指針は出来上がっている。この規定では公安委員会がいつでも指針を変更も追加も出来ることになる。そのような恐ろしい指針は以下のように定めている。繁華街関係者が講ずる措置はこの指針に基づかなければならない。世間で言えばこの指針の指揮命令に従う措置であり、知事と公安員会の指揮命令に従う措置を講じることが規定されているのだ。

2 基本的な考え方

第1 通則
1 目的
この考え方は、昼夜を問わず安全・安心な繁華街等を形成するために必要な方策を示すことにより、繁華街等における安全・安心を確保することを目的とする

(1)繁華街等における安全・安心の確保は、行政・警察の基本的責務であるが、繁華街等において、店舗、駐車場その他の施設若しくは土地を所有し、若しくは管理する者又は事業を営む者(以下単に「事業者」という。)、地域住民及びボランティアが自主的な取組を推進することで、より安全・安心な繁華街等を形成するとともに、街の活性化にも資する。
(2)繁華街等において店舗、駐車場その他の施設又は土地を所有しているが、繁華街における地域の取組に直接関与していない者も、この考え方の対象となる。
(3)来訪者もこの考え方に基づいて、繁華街等の安全・安心の確保に寄与するように努めるものとする。
(4)この考え方に基づく対策は、防災対策、福祉のまちづくり、活性化対策等まちづくり全般を視野に入れて行うものとする。
(5)この考え方は、関係法令等を踏まえ、繁華街等における犯罪発生状況等、繁華街等の実状に応じて運用するものとする。
(6)この考え方は、社会状況の変化、技術の進展等を踏まえ、必要に応じて見直すものとする。

指針の目的は繁華街の安全安心の確保であることを規定している。しかし、治安確保は警察、行政の責務であることを前提に繁華街関係者は自主的に治安維持に取り組めと規定している。矛盾している主張だが、警察の治安維持に繁華街関係者や(善良な)訪問者(市民)は協力せよということを持って回ってこの条令の心は主張しているのだ。だから、この条令はどこか日本語として変なのである。一般人は確保という言葉を使うことはあまりない。
元は軍隊用語で「陣地を確保」などとして使われるが、警察用語では「犯人確保」などとよく使われる。安全確保とは言うが、安心を確保したとは言わない。安全と安心を一緒にすると治安という。治安確保と表現すればいいのに、なぜ持って回って安全安心などというのだろう。この条例の本質が治安維持を目的としていることをオブラートに包むから奇妙な言い回しになるのだ。もうお分かりのことと思うがこの条令は治安維持条令なのである。
しかし、この条例はさらに一歩踏み込んでいる。戦前基本的人権を蹂躙した治安維持法はお互いに隣を監視し合う隣組組織を基礎にして威力を発揮した。この条例は治安確保のための組織の設置を提起している。それが推進協議会である。しかも官民一体の組織なのだ。以下を読んでみてください。




第2 推進協議会
1 推進協議会の設置
繁華街等の安全・安心を確保する対策を推進するため、事業者、地域住民、ボランティア、区市町村、管轄警察署その他の関係行政機関などにより構成される協議会(以下、「推進協議会」という。)を設置するものとする。
なお、同趣旨の協議会等が既に存在する場合は、これを活用することができるものとする。

まず、条例はこの組織が警察と行政機関と繁華街関係者で構成される官民一体の組織であることを規定している。繁華街関係者の自発的組織ではないのである。しかも、知事と公安委員会の指揮命令に基ずく組織なのだ。もちろん不特定多数の訪問者は含まれない。取り締まり対象者なのだから当然のことだ。
では、この組織が何をやるのか、役割は何か。先に進もう。

2 推進協議会の役割
(1) 本考え方に基づく対策の対象とする繁華街等の区域を定めるとともに、安全・安心な繁華街等の形成に向けた行動目標及び具体的な活動計画を策定の上、各種活動を推進するものとする。

まず、組織の縄張りを決めようと言うのだ。構成メンバーを見れば所轄警察署の区域に準ずることは明らかだ、そう書いてないだけである。そして、組織(推進協議会)は指針(公安委員会の指揮命令)に基ずく行動、活動計画を策定して各種活動(治安維持活動)を推進するのだ。各種活動とは何か、次のように具体的に規定されている。



(2)活動計画には、繁華街等の地域特性に応じて、次のような事項を規定するものとする。

ア 自主防犯パトロールの実施及び必要な資器材の整備に関すること。

イ 安全・安心な繁華街等の形成に資する研修会その他のイベントの企画及び開催に関すること。

ウ 犯罪の防止に配慮した環境整備に関すること

エ ゴミ・タバコのポイ捨て、歩行喫煙の禁止等ルールやマナーの遵守に係わる啓発活動に関すること。

オ 放置自転車・自動二輪車や違法看板の撤去、路上清掃、落書き消去等の環境美化活動に関すること。

カ 街頭や歩行者天国において大衆に多大な迷惑となるパフォーマンス等、街の秩序を乱す行為の防止に係わる啓発活動に関すること。

キ 外国人の不法就労防止に係わる啓発活動に関すること。

ク 人に不安感や嫌悪感を抱かせるような客引き行為や客待ち行為等の自粛に係わる啓発活動に関すること。

ケ みかじめ料の不払い運動、暴力団追放キャンペーン等環境浄化に係わる啓発活動に関すること。

コ 事件・事故発生時における対応マニュアルの作成及び訓練並びに必要な装置、器具に関すること。

ここに規定されている事項が示すイメージを想像していただくとして、啓発活動とはどんな活動か考えてみよう。辞書を引くと啓発=「人が気づかずにいるところを教え示して、より高い認識・理解に導くこと」とでている。
タバコのポイ捨てする人(訪問者)に推進協議会員がポイ捨てはマナーに反する行為であり、自ら認識を深め以後ポイ捨てはやらないように啓発する活動ということになるが、実際はどうか。条例の指針に「反する行為だからやめろ」と注意するだけである。啓発は実際には警告になり、警告に従わなかったり、反抗的態度や言辞を弄すれば警察に連絡、駆けつけた警官が再び警告、従わなければ条例違反として公務執行妨害で拘束する根拠があることになる。
パフォーマンス等はいかなる行為を規定しているか曖昧だが、それが大衆に多大な迷惑をかけていると誰が判断するのか、街頭署名活動や労働組合の社前抗議行動、市民運動の宣伝活動など取り締まりの根拠が指針(公安委員会が決める)となれば無限に広がりかねない。憲法の基本的人権、表現の自由に関わる問題でもあるので慎重に議論する必要があるのではないか。条令という名目で知事や公安委員会に白紙で判断をゆだねていい問題であるかどうか深い疑念がある。法律家はどう考えているのだろうか。
最後の4項は行政(公安員会)や警察署長が繁華街関係者(推進協議会)に情報提供することを定めたものだ。以下を見てみよう。


第18条の4(事業者等に対する情報の提供等)
① 都は、繁華街等における事業者等に対し、繁華街等の安全・安心を確保するために必要な情報の提供、技術的助言その他必要な措置を講ずるものとする。
警察署長は、その管轄区域内において、事業者等に対し、繁華街等の安全・安心を確保するために必要な当該繁華街等における犯罪の発生状況等の情報の提供、技術的助言その他必要な措置を講ずるものとする。
同時に繁華街関係者が警察への情報提供を言外に求めていることは協議会の構成、あり方から推測できる。実際の協議会活動は条例違反者の摘発、情報提供という名の密告が組織的に行われることになりかねない。
むしろ、条例の文章からそのような組織を作ること目的としている、推進協議会が出来てしまえば運営上恐ろしい組織に化けるという疑念を消すことはできない。このような条例は民主主義を圧殺して、本来は警察の責務である治安維持に市民を巻き込み、地域ぐるみで密告社会の温床を形成するものであり危険きわまりない。議席の多数派によって決めてはならない憲法違反の治安維持条令ではないかと思うのです。議決を急ぐ理由はどこにもない。形式民主主義にならないように都議会議員は党派を超えてしっかりと議論してもらいたい。なし崩し的に条例改正を繰り返し、いつのまにか人権をおびやかす法律を作ったと同じ結果になる。ぼくの邪推であることを期待したいが、このままでは世の中が嫌な感じの坂道を転げ落ちそうに思える。警察機構が治安維持を責務にするこを否定しないが、警察の価値観に基づいた警察協力市民団体を東京につくり、この条例が望んでいる全国ネットワーク化の企てにはとてもじゃないが賛成しかねる。議員のみなさん、市民の皆さんはどう思いますか。
(写真;東京都公式ホームページより転載)
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by daisukepro | 2009-03-16 01:13 | 憲法

なぜ、アメリカは広島、長崎に原爆を落としたか

3月8日、東京渋谷のCCレモンホールで「九条の会講演会」が開かれ、取材に行った。2000人を収容するホールは満席、2300人が会場にあふれた。
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会場外では右翼が街宣車で「九条の会は解散せよ」と叫び緊張感のある集会であった。国会では自公民の新憲法制定議員連盟が「九条の会」を改憲に反対する社会的勢力として結束を呼びかけるなど再び、憲法九条をめぐる動きが蠢動を始めた。「九条の会」はこの節目の時に東京を皮切りに全国各地で講演会を継続的に開く予定である。また、講演会は昨年7月に亡くなられた小田実さんの志を受け継ぐ集いでもあり、市民運動家として小田実の考え方を問い直す機会になった。集会の結論は「小田さんは亡くなったけれども、私たちと一緒にいる。小田実は死なない、これからのポスターからも消えることはない」であった。加藤周一さんは「小田実は戦争がなし崩し的に始まり、拡大していくものだということを見抜いた。生きていたらその転換点を指摘したろう」と語り、私たちひとりひとりが歴史の転換点にたっていることを言外に呼びかけた。
小田さんの親友である鶴見俊輔さんは「小田実は(フルブライト)でアメリカに留学したが、自分が受けた空爆を上空からの目線にすり替えることをしなかった、地上からの目線を決して崩さなかったことが他の留学生とは違っていた」と述べた。
翌、日曜日の朝、時事放談(TBS)が鶴見俊輔と筑紫哲也と対談を放送した。この集会の前に録画したものだろう。鶴見さんは好物の焼きおにぎりを頬張りながら大切な印象に残る発言をした。3月9日の夜間から10日の早朝にかけて東京はB29編隊の空爆を受けて約10万人が焼き殺された。その後、日本各地の大都市が空爆を受けた。小田さんもその爆撃のしたに生きていたひとりだ。それから、広島、長崎の原爆投下に至るのだが、アメリカがなぜ原爆を投下したか、その真実はいまだに明らかにされていない。アメリカ政府、日本政府も、真実を語ろうとしない。
アインシュタインはナチドイツが原爆製造を計画していることを知って、原爆製造に協力した。第二次世界大戦末期、アメリカはすでに日本の連合艦隊は壊滅、アメリカを攻撃する兵器の生産も出来ない状態であることを知っていた。アメリカは原爆投下を「戦争を早く終わらせ、これ以上アメリカ軍兵士の犠牲を阻止するため」と説明しているが、日本は既に抵抗力がなく、敗戦は時間の問題だった。すでにナチドイツは降伏し、原爆を使用する理由はどこにもなかったのだ。
鶴見さんは一枚のDVDを取りだした。「二度、被爆した人」の証言が収録されているものらしい。まず、その日本人は広島で被爆して、故郷の長崎に避難して,そこでまた被爆したのである。彼は次のように語った。「なんだか、弄ばれたような気がする」。鶴見さんは「この言葉こそ被爆がなんであったか、被害者側の真実を現している」と述べた。(記憶で書いているので正確ではないがーー)。では、なぜアメリカが二つも原爆を落としたのか、その真実はアメリカが、原爆を二つ生産して所有していたからなのである。
「アメリカの将軍の中にも原爆使用に反対する人がいたが、大統領になったばかりのトルーマンは国家が高い経費をかけて製造した原爆を使用しないという決断がつかなかったのではないか」と鶴見さんは語った。
重慶、上海で始まった日本軍の都市空爆によって、戦争はその様相を転換、空爆による市民の無差別大量殺戮が行われるようになった。そして、いま、私たちはアメリカ軍の原子力兵器使用によって、核兵器が世界中に拡散する時代に生きているのだ。戦争はぜったいしてはならない、いまこそ、世界にとって憲法九条が必要な時代になのだ。小田実の「今こそ旬、憲法九条」という言葉を噛みしめながら、土曜日の繁華街を駅まで親しい友と一緒に重いカメラを担いで歩いた。渋谷駅前は青年男女が群がっていた。
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by daisukepro | 2008-03-09 20:38 | 憲法

続々続「南京事件の真相」

続々続「南京事件の真相」
福田首相が訪中します。中国は歓迎ムードのようです。発言はテレビで生中継されるそうで、注目したいものです。

さて、「南京記念館」は正式には「南京大虐殺同胞記念館」と云います。
「旧日本軍の南京での暴行をあばき、人々が歴史の真相を知り、歴史を鑑(かがみ)として平和を愛する」ことを目的として開設されました。
この記念館の開設に反対する日本の人々がいます。「南京大虐殺はなかった。幻だ。記念館の展示はでたらめ、闘った日本軍人をおとしめるものだ」「あの展示を見た日本人がひとつひとつ頭を下げるのを中国人がみたら南京虐殺が本当にあったと思うだろ」と云うのが反対の理由です。また、民間人でなく捕虜を処刑したのだから虐殺ではないと言う人がいますがこれも問題外です。日本の若い世代の将来を損ねないためにも南京事件の真相を直視する事が求められています。

去年の秋、大江健三郎さんは南京大虐殺記念館を初めて訪れました。「館内には展示品がたくさんあるが、大江氏は一つひとつに丁重に頭を下げていた」「頭を下げた回数は全部で100回を超えているだろう」と伝えられています。

苦痛ですが日記の続きを読みましょう。
12月16日付け、現場の下士官の日記です。第13師団砲兵隊第19連隊第8中隊近藤栄四郎伍長の出征日記からの転載です。虐殺現場での目撃ですから凄惨な様子が骨まで伝わってきます。実際に見たものでなければかけない描写で鬼気迫るものがあります。
「午後,南京城の見学の許しが出たので勇躍して行馬で行く、遂に二万の内三分の一、七千人を今日揚子江畔にて銃殺と決し護衛に行く、そして全部処分を終わる、生き残りを銃剣にて刺殺する。月は十四日(十五夜の一日前)、山の端にかかり皎々として青き影のところ、断末魔の苦しみの声は全くいたましさこの上もなし、戦場ならざれば見るを得ざるところなり、九時半頃帰る、一生忘るる事の出来ざる光景であった。」

同じ13連隊の第三大隊の黒須忠信上等兵は陣中日記に次のように記している。「二三日前捕虜せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出し機関銃を以て射殺す、その後銃剣にて思う存分に突き刺す、自分もこの時ばかりと憎き支那兵を三十人も突き刺した事であろう。」「山となっている死人の上をあがって突き刺す気持ちは鬼をもひしがん勇気が出て力一杯に突き刺したり,うーんうーんとうめく支那兵の声、年寄りも居れば子共も居る、一人残らず殺す、刀を借りて首をも切ってみた、こんなことはいままでに中にない珍しい出来事であった。—————帰りしは午後八時となり腕は相当つかれていた」
これだけの人間を銃殺するには小銃ではなく、機関銃による乱射が行われた。それでも、足りず命あるものを銃剣で刺し殺したのだ。
一人の下士官は「いたましさでこころが痛み生涯忘れることができない」と書き記し、もう一人は「こころを鬼のようにして刺し殺し、刀を借りて、首をはねた」と述べている。そして、「支那兵の捕虜の中には年寄りも子どもも居たが一人残らず殺した」というのだから虐殺としか言表わしようがない。
 
 さて、南京入場式の当日はどうだったか、前回に紹介した宮本少尉の日記を見てみよう。
12月17日「本日は一部は南京入場式に参加、大部分は捕虜兵の処分に任ず、小官は8時半出発南京に行軍、午後晴れの南京入場式に参加、荘厳なる史的光景を目の当たりに見る事が出来た。」
もう一度南京入場式の映像を見てください、この入城行進の外では捕虜兵の処分が行われていたのだ。

「夕方漸く帰り直ちに捕虜兵の処分に加わり出発す、二万以上の事とて終いに大失態に会い友軍にも多数死傷者を出してしまった。中隊死者1傷者2に達す」
教授の説明によると大失態とは多数の捕虜兵を取り囲み、四方から銃撃したために味方を撃って死者がでてしまったと云う事らしい。

12月18日「昨夜来の出来事にて暁方漸く寝につく、起床する間もなく昼食をとる様である。午後敵死体の片付けをなす、暗くなるも終わらず、明日又なす事にして引上ぐ、風邪寒し」
処分が夜まで続き、宿舎に着いて寝たのが明け方になった。起きたら昼頃になっていた。午後から死体の処理を始めたが夜になっても終わらず、明日にする事にしたという。遺体は穴を掘って埋めたか、揚子江に流したかとおもわれるが、いずれにしろもの凄い作業であったろう。
翌12月19日、「昨日に引き続き、早朝より死体の処分に従事す、午後四時までかかる。」
結局,2万人近くの遺体の処理は一日では終わらず、翌日の4時までかかったと云う事だ。
しかし、これは宮本中隊から見た出来事であって、処分はその後も続いていたのだ。
 5日後12月24日に南京に到着した第16師団小原孝太郎特務兵の日記には次のように記している。「さて、岸壁の下をのぞいたら、そこの波打ち際の浅瀬に、それこそえらいもの凄い光景を見た。何と浜の真砂ではないかとまがうほどの人間が、無数に往生しているのだ。それこそ何百、何千だろう。南京の激戦はここで最後の幕をとじたに違いない。決定的のシーンだ。数えきれない死体が往生している。敵はここまで来て,水と陸より挟み撃ちにあって致命的な打撃をうけたわけなのだ。わが南京陥落はかくてなったわけなのである」と小原特務兵はそれが捕虜兵の処分であったとは知らずに南京陥落の戦場の跡としてその印象を書き残した。教授の話によると、連隊によって程度の差はあるが、日本軍は上陸作戦以来各地で虐殺、略奪、放火、性暴力を繰り返し、1937年12月から38年3月の間に、20万人前後の戦闘員、捕虜、一般市民を殺害したという。日本軍「慰安所」が設置されたのもこの作戦の経緯から生まれたとも言われている。
これ以上の記述を続けると嘔吐しそうになるので連載はここでとどめておくが、私は中国の皆さんにこころからの謝罪をするとともに、戦争をしないという日本憲法の誓いを実現するための活動を命ある限り続けていきたいと思う。
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by daisukepro | 2007-12-27 18:39 | 憲法

続々「南京事件の真相」

続々「南京事件の真相」
12月13日、中国で南京記念館がリニュアールされて13日に新装公開されました。記念館は大量の犠牲者の遺体が埋められた場所に立てられています。中国の人々は、その場所を「万人抗」と呼んでいます。
c0013092_15484517.jpg発掘された遺骨はそのままの場所に囲って展示され、歴史の記憶をとどめています。私たちが広島の原爆記念館を訪れた時、胸を締め付けられる思いをしますが、中国の人々はこの記念館を訊ねて犠牲者とその家族を思い
胸が痛むことでしょう。アルジャジーラやBBCが南京事件を特集しています。いずれの記事も、日本では南京事件そのものがなかったと主張するものがいて、過去の戦争犯罪の隠蔽をはかろうとしていると驚きを隠さず伝えています。
さて、陣中日記の続きを読んでみましょう。12月16日の日記です。記録映像に残っている南京入場式の前日の出来事です。第13師団歩兵第65連隊・第4中隊の宮本省吾少尉の日記にはこう書かれています。「警戒の厳重は益々加わりそれでも午前十時に第二中隊と衛兵を交代し一安心す、しかし、それもつかの間で午食事中に俄に火災おこり
非常なる騒ぎとなり三分の一程延焼す、午後三時大隊は最後の取るべき手段を決し、捕虜約三千を揚子江岸に引率しこれを射殺す、戦場ならではできず又見れぬ光景である。」
南京占領後の張りつめた様子が伝わってきます。
同じ12月16日の第八中隊遠藤高明少尉の陣中日記は以下のように書いています。「定刻起床、午前九時三十分より一時間砲台見学に赴く、午後零時三十分捕虜収容所火災のため出動を命ぜられ同三時帰還す、同所に於いて朝日新聞記者横田氏に逢い一般情勢を聴く、捕虜総数1万7025名、夕刻より軍命令により捕虜三分の一を江岸に引き出し第一大隊に於いて射殺す」
この日記から火災が起こったのが捕虜収容所であったことが分かる。遠藤少尉が朝日新聞記者から聞いた情報では捕虜の総数が17025人、このとき第一大隊が揚子江岸で射殺した捕虜は、宮本少尉の日記で約3000人とある。それにしても、もの凄い数である。日本軍は捕虜総数の三分の一の約7000名の大量処刑を命じたということになる。さすがの遠藤少尉も大量処分命令について疑問を感じたのか、軍命令の理由を次のように推測している。少尉は「一日二合宛給養するに百俵を要し兵自身徴発により給養し居る今日到底不可能事にして軍より適当に処分すべしとの命令ありたりものの如し。」
つまり、約2万人の捕虜の食糧をまかなうためには一日米俵百俵必要になる、兵隊の食糧も徴発でまかなっているのに、それは不可能だ。だから殺してしまえと軍が命令を下したのかなあと宮本少尉は日記に書き残したのだ。当時の戦争であっても理由もなく捕虜を殺害する事は国際法で禁じられている。「食わせられないから殺してしまえ」とは乱暴な、極悪非道そのもの、戦争犯罪ではないか。アメリカ映画「硫黄島からの手紙」でも、投降してきた日本兵を見張っているのが足かせになるからと米兵が日本軍捕虜を卑劣にも射殺する場面が描かれているが、この米軍兵と日本軍ゼネラルは同類である。次回は大量遺体の処理についての陣中日記を読んで見る事にする。
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by daisukepro | 2007-12-23 15:09 | 憲法

続・歴史の真実は消せないー「南京事件の真実は」


  昭和11年(1936年)、日本では二二六事件がありました。その年の終わり、抗日民族統一戦線が結成され、ようやく中国は一つになろうとしていた頃です。(このくらいのことは学校で習った記憶があります)翌年の昭和12年7月7日、盧溝橋で発砲事件が起こり、これをきっかけに紆余曲折はありましたが、日中戦争が始まります。上海を中心に激しい戦闘が行われ、同月11日、早くも日本政府は朝鮮と満州から2個師団、日本から3個師団の派兵を決定します。宣戦布告もなにもありません。中国政府軍は上海から南京へ後退していきます。北部では中国共産軍と日本軍が戦う全面戦争になった。日本軍は首都さえ落とせば勝利であると考えて、ひたすら南京を目指して進撃しました。占領後の占領政策など何もありませんでした。各師団は先陣を争うように進撃を続けました。特に揚子江沿いに東から侵攻した部隊はかなり激しく追撃したと云われています。南京が陥落したのは12月13日でした。c0013092_1027444.jpg
講演で大学教授は南京攻略作戦を指揮した第16師団長・中島今朝吾中将のその日の日記を読みました。

「本日正午高山剣士来着す。時恰も捕虜7名あり。直ちに試斬を為さしむ。」
「到る処に捕虜を見、到底其始末に堪えざる程なり」「大体捕虜はせぬ方針なれば、片端より之を片付くることとなしたり」「、、、、中々実行は敏速には出来ず。」「佐々木部隊丈にて処理せしもの約一万五千、平安門に於ける守備の一中隊長が処理せしもの約一三◯◯、其仙鶴門付近に結集したるもの約七、八千人あり。尚続々投降し来る」「七、八千人を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当たらず。一案としては百、二百に分割したる後、適当のヶ処に誘て処理する予定なり。」

「剣士が来る?」時代劇のようですね。著名な剣術の達人が来たので、捕虜7人を腕試しに軍刀で処刑させたと言うのでしょうか。「始末」とか「処理」とか「片付ける」とか出てきますが、ゴミの処理とは違います。処刑したと云うことです。c0013092_10263269.jpg(この記事(大阪毎日、東京日々新聞)はでっち上げと云う人がいますが、この日記は否定出来ないでしょう。)
「敵兵を捕虜にしない方針」だと言うのですから、第16師団は敵を皆殺しにすると決めていたことになります。捕虜にすれば、捕虜を収容する場所がいります、また、警護する兵隊もいります。食糧が必要です。だから、捕虜は片っ端から片付けることになります。ところが捕虜の数が予想をはるかに超え、その処理方法に困ります。「相当大なる壕を要し中々見当たらず」、つまり遺体を処理するための大きな穴がいるが、何千人となると適当な壕が見つからない。そこで、「百、二百に分割して」適当な場所に連行して処刑しようと考えたと日記に書かれています。(日記だけでなく、将兵の目撃証言は山ほどあります。)

当時の国際法では捕虜を裁判にもかけず、処刑することは禁じられていたのです。日本の外務省のホームページでも「日本政府としては日本軍の南京入城後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは否定出来ない」と認めています。楷行社発行の「南京戦史」には「通常の中国軍将兵の戦死者約3万人、将兵の生存者約3万人、それ以外に中国軍捕虜、便衣隊の撃滅、処断による死者1万六千人、一般市民の死者約1万五千七百六十人」と記載されています。合計すると約3万人が国際法に違反の日本軍の行為によって虐殺されたと言えます。(つづきは次回で)
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by daisukepro | 2007-12-13 22:48 | 憲法