<   2007年 11月 ( 5 )   > この月の画像一覧

マスコミが伝えない、世にもデジャブな不連続未遂事件



 四国で起こった殺人事件はなんとも救いのない痛ましい話だ。報道に主観は避けられないが
取材する人々の偏見がカメラのアングルから伝わってくる。「犯人はオヤジに間違いない」とレポータの顔がしゃべっている。やりきれない気持ちになった。外国の昔話だが、あるプロパガンダ映画で裏切り者役を見事に演じた俳優がいた。その映画がある炭坑で上映された。その俳優に瓜二つの男がその町にいた。映画を見た大衆が実在の男と勘違いしてその男をリンチ撲殺するという事件が起こった。チェコスロバキア時代の話だ。日本のメディアがこのレベルでは、我が国でもチェコと同じような事件が起こらないとも限らない。松本サリン事件の教訓などは、メディアはきれいさっぱり忘れている。

 さて、池袋周辺のO町で奇妙な出来事が続く。ことの始まりはO駅の近くで、嬰児を棄てた女性がいた。ビルのゴミ集配所にゴミを捨てにきた住民が、子どもの泣き声に気付いた。何と、声はロフトの黄色い紙袋の中から聴こえてくるではないか。しばらくの間、O駅前広場に設置された立て看板に黄色い袋の写真が掲示されていたが、いまはない。捨て子の親の行方はいまだ知れず。事件のことは忘れ去られている。

 早稲田からO駅を抜けて三ノ輪まで路面電車が走っている。昔、巣鴨刑務所が道沿いにあったので、地元では「刑務所通り」と呼ばれている二車線のストリートが線路を横切っている。深夜、遮断機が降りていたにも関わらず、踏切でタクシーが電車に激突して大破した。大掛かりなレスキュー隊が出動する騒ぎになったが、乗客に怪我ひとつなかった。私にとって、この出来事はデジャブだ。

 20年ほど前だが、友人の脚本家と新宿で酒を飲み、上機嫌でタクシーを拾った。刑務所通りまでさしかかると突然、タクシーが何かに激突した。私は嫌と云うほど天井に頭をぶつけた。
表に飛び出して、みると、タクシーの前面はグシャッとつぶれていた。あまりの衝撃の大きさに足が震えた。よく命があったものだ。運転手は青ざめた顔で、呆然と立ち尽くしている。脚本家は傷ひとつない。運転手は「対向車のライトが目に入ってハンドルを咄嗟に左に切った」と上の空で弁解した。そして、「会社に電話してきます」と言い残して逃げるように立ち去った。運転手は待てども、暮らせども、帰ってこない。腹が立ってくる。考えてみると、自宅までの距離は歩いて帰れなくもない。二人は相談して現場を後にすることにした。料金を踏み倒したことは言うまでもない。思い出すといまでも、ぞーっとする。私は頭にこぶがひとつできた。

 この沿線で、深夜、警察官が挙動不審な男を職務質問したところ、その男は麻薬を所持していたので現行犯逮捕したというニュースがTVで流れた。男は著名なミュージシャンであった。いつの間にか、池袋からO駅までのベルト地帯は麻薬の売人が出没する危険地帯になっていたのだ。私は池袋で飲んで、酔い覚ましに歩いて帰宅することがしばしばあるが、危ないことが身に迫っているのかもしれない。
 地下鉄東池袋駅近にコンビニエンスストーアーがある。店の前の横には小さな階段があった。
店の角を直角に曲がるより、近いのでいつもその階段を利用している。あたりは薄暗くなり始めている。私はビデオカメラが入ったケースを肩にかけて階段をおりた。左折した途端、頭上からなにかがバッさと足元に落ちた。ビニールの袋だ。小物が入っている。私は袋をよけて二三歩行きかけた。気配を感じて後ろを振り返って、驚いた。男が仰向けに倒れている。中肉中背の青年だ。両手を上に突き出して、苦痛で顔を歪めているではないか。咄嗟に何が起こったのか飲み込めない。発作でも起こし倒れたのか。やがて、男は目を開き、倒れたまま、あたりを見回している。私の背後で何が起こったのか。頭の中でフィルムを逆回してみる。「私はコンビニの前を通過する。階段を降りるあたりで、店から男が出てくる。左手に商品を入れたビニール袋を下げている。階段を下りる私。男は急ぎ足で私の背後に迫る。歩きなれた場所なので、男は何かに気を取られたまま、階段を下りようとして、足を踏み外した。弾みで、ビニール袋は舞い上がり、私の頭上を越えて足元に落下する。」その後何があったか。皆さんの想像にお任せします。
 しかし、この出来事にも私のデジャブがあった。前にも同じようなことがあったのだ。
数年前のことだ。水道橋辺りで友人としたたか飲んだ。地下鉄後楽園駅で友人がトイレに行きたいと云うので先に上りのエスカレーターにのった。全長10メーターはある。ホームに到着していた電車から足元が危ない酔っぱらいが私の方に向かって直進してきた。男は私とぶつかりそうになりながらすれ違った。途端、凄い音がした。振り返る。男の姿が消えていた。私は下りのエスカレーターを覗き込む。男は下で、くの字になって倒れていた。10メートル真っ逆さまに転落したのだ。死んだかと思った。
 駅員が駆け寄り、声をかけ男を助け起こした。男は気がついたが、何が起こったか飲み込めない様子でわめいた。何故か私はほっとした。
 O町に住む私としては、これが何かの警告でなければいいと思っている。
[PR]
by daisukepro | 2007-11-30 16:03 | 未設定

「もう一歩、捧げ銃、帽振れ」

「もう一歩、捧げ銃、帽振れ」
捧げ銃は「捧げつつ」と発声します。銃を両手で垂直に持つ敬礼のスタイルのことです。(写真)c0013092_1610971.gif

軍艦がゆっくりと港を出て行く光景を思い浮かべてください。水兵さんが全員、デッキの上に整列している。捧げ銃の号令で水兵さんは一斉に敬礼する。そして、銃を直して、水兵帽を振り,別れの挨拶をする。女性は何のことか、直ぐには飲み込めないフレーズですが、
実は、帝国海軍が男子用トイレのマナーを新兵に伝授したものだそうです。水兵さんは用を足すたびにこのフレーズを浮かべたことでしょう。
ダイヤモンド社が去年の暮れに出版した「愛国者の条件」と云う本がある。「捧げ銃」はこの本の中に書かれています。
著者は半藤一利、戸高一成さん、前者は文芸春秋の元編集長、後者は戦艦大和ミュージアム館長、二人とも大日本帝国海軍オタクの知識人です。同じ海軍でも戸高氏は改憲論です。半藤さんは護憲論です。二人とも反戦です。大日本帝国陸海軍の戦争責任を追及しています。ここでは憲法問題は取り上げませんが、できるだけレッテルで判断しないようにするがの肝心です。改憲論者でも小林節さんのようにいまの憲法を守れない奴に改憲する資格はないという人もいます。

ところで、靖国神社に東条英機元首相をはじめ戦争責任者が合祀されています。分祀したらという意見がありますが,靖国神社は一度合祀したら、教義上できないと言っています。ある日、半藤さんが靖国神社に電話をしました。「失礼なことをお伺いしますが、横井さんと小野田さんは一度おまつりされたと思いますが、復員された後はどうなったのでしょうか?」すると相手は「え!」とおどろかれて、調べてから「名簿から剥がしました」と答えたそうです。
戦争責任者を名簿から剥がせば、靖国参拝問題の話は終わりです。

あの非情な特攻命令を下した責任者はだれか。その責任問題を問わなければ死んだものは浮かばれない。「俺もあとから行くから」と約束して「死んでこい」と命令した責任者の中で、約束を守ったのは大西中将と宇垣中将の二人だけだった。あとのものは、「死ぬことよりも、戦後の復興につくすことが私の役目」と命をかけた約束を守らなかった。しかも、あれは、命令ではなく自発的志願だったと主張し、責任をかき消そうとし続けた。この問題を棚上げして、命を落とした特攻隊員を美化しても、彼らの御霊が安まることはない。
[PR]
by daisukepro | 2007-11-20 16:14 |

パキスタンの軍事政権

今週のクイズな人は前パキスタン首相のベナジル・ブットさんです。
c0013092_15482260.jpg

現政権のムシャラク大統領は軍人で独裁政権です。ブット氏は1988年に政権を獲得したが、1999年、贈収賄容疑で国外に追われた。11月に行われる統一選挙で返り咲きをねらって帰国したが、カラチの集会に向かう途中、自爆テロで暗殺されそうになった。ムシャラク大統領は直ちに非常事態宣言をだし、ブット氏を自宅軟禁した。更に、ニュース専門チャンネルのジオTVの放送を停止するなど、報道規制を始めた。これでは、まともな選挙が行われる保証はない。ブット氏の自宅拘束だけは解かれたようだが、軍事政権との間で緊張関係が高まっている。地中海沿岸からカスピ海までの諸国は石油利権の争いが続いているが、ビルマ、パキスタン、アフガニスタンなどはインド洋から中国、ロシアに至るまでの天然ガスの利権争いが不安定な状況を生んでいる要因だ。アメリカのブッシュ政権はこれを「テロ戦争」と呼び、無期限、無制限の戦争を世界各地で起こし、空爆を行い、地上軍を派遣して貧しい人々を終わりなき殺戮の連鎖に巻き込んでいる。
[PR]
by daisukepro | 2007-11-18 15:50 | クイズな人

ビルマ軍事政権のルーツ

今週のクイズな人は再びビルマからです。

軍事政権が国や都市の名を変えたので現在ビルマはミャンマーと呼ばれています。サンクト・ペテルブルグをレニングラード、またペテルブルグと呼ぶよりはましですが、ビルマをミャンマーと呼ぶのは権力欲を感じて嫌なものです。なので、同好会は昔の名のビルマでいきます。
写真の将軍は軍事政権の最高権力者タン ・シュエ将軍です。
c0013092_1712775.jpg
独裁者と呼びましょう。サン・スーシーさんを軟禁した人物です。将軍は国際社会からの経済的制裁を解除させるためにサン・スーシーさんを利用しようとしていますが、12年間も軟禁状態を続けている異常な状態を正して、彼女の政治活動の自由を認めることが先でしょう。
この将軍の先代はネ・ウイン将軍です。彼は1962年の軍事クデターで独裁体制をつくり、88の民主化運動で退陣しました。その後を受け継いだのが写真の将軍です。ネ・ウイン将軍は独立義勇軍に参加しました。みなさん、知ってのように、独立義勇軍は戦前の日本軍が育成した軍隊でした。ですから、日本軍から深い影響を受けています。なぜ、軍事政権は民主化運動を敵視して、流血の弾圧を繰り返すのか。歴史の中に謎を解く鍵がありそうです。
ビルマは、ひどく貧しい国です。国際的な統計で、ビルマ人口の32%が極貧階層以下に属します。ごく少ない金持ちのエリートを除いて、残りは極貧ラインの周辺にいます。「私たちは民主主義を望むけれど、いま最も重要なものは平和と十分な食物を食べることです」これが民衆の切実な声です。
再び、パコックの町でデモがありました。軍事政権を支持する集会に抗議して100人ほどの僧侶が抗議デモを行いました。しかし、国際世論を警戒して、軍隊は動きませんでしたが、ビルマ全土に緊張した関係は依然として続いています。
[PR]
by daisukepro | 2007-11-11 17:18 | クイズな人

石原特攻映画異聞

石原特攻映画異聞

もうすぐ大相撲11月場所が始まる。あの元時津風はいま何処に、リンチ殺人に加わった若い衆の素顔が見たい。朝青龍はモンゴルでジンギスカンを食っているか。日本に戻って謝罪すれば、また東の正横綱になるのか。八百長疑惑はどうなっているのか。相撲協会にそこが聞きたい。
亀田反則事件は長男だけの謝罪でいいのか。全日本プロボクシング協会のコメントが聞きたい。さんざん亀田親子をほめまくったテリー伊藤、「反則はいけないが、これまでのやり方は悪くない」、「記者会見、興毅は若いのに父親のかわりによくやった」。テレビ局はこの連中に自己弁護させて、また同じことを繰り返すつもりか。プロボクシングには裏社会の賭けがつきもの、テレビスポーツ局がそれを知らないなんてことはない。でも、口にするコメンテーターはいない。TBSのスポーツ局の悪の構造、人脈、そこが伺いたい。「亀田選手は放さない。みなさん見たいだろう」、この社長の弁明、どこかで似たようなコメントを聞いたことがある。それでも、あなたはTBS社長なのか、それとも風俗店長なのか。盗人にも一分の理屈意。テレビカメラが亀田を追う。自宅から空港、メキシコまでも。テレビ局ってなんなのさ。視聴者は見たくもない亀田一家を見せ続けられるのか。いやになるほど、ネタにつまれば、また亀田家は事件を起こすだろう。人間が犬に噛みつけば記事になるが、優等生の亀田家ほどシクラメンなものはない。

前置きはこのくらいにして、本題に入ろう。c0013092_233949100.jpg
石原特攻映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」は石原東京都知事の期待に背いて惨敗に終わった。写真は事務所開きの机の上に置いてあった日本酒だが、ラベルの文字が空しい。この映画の制作費は7億かかったと推測されている。興収12億では制作費はとてもペイできない。石原将軍は「弟子の監督が金を使いすぎたので」と語って責任を「敗残の兵」に転嫁した。この映画についてこれ以上話す気もないが、なぜ、多くの兵士たちが自発的に特攻を志願したのか。そこが知りたい。
2007年10月21日(日) 午後9時〜9時49分NHK綜合で放送されたドキュメント[学徒兵 許されざる帰還〜陸軍特攻隊の悲劇〜]はこころを打つ、まぎれもない傑作であった。
昭和18年の10月、戦局が急速に悪化する中、2万5千人の若き学徒が動員され、太平洋の激戦地へ送られていった。その中で飛行兵を志願したものの多くが特攻兵となった。参謀たちの作戦計画では戦闘機に爆弾を積んで敵艦の上空から急降下して体当たりするというものだったが、時速300キロを超えると操縦不能になり、350キロで空中分解する。これで敵艦を轟沈するのは不可能と分かり、海上をすれすれに飛行して体当たりすることを命じられた。しかし、これには高度の操縦技術が必要とされる。敵の集中砲火をかいくぐって敵艦まで到達しなければならなかった。わずか1年足らずの訓練で、急ごしらえされた志願航空兵の技術では無理であった。最後の沖縄戦では、海面に激突して300人を超える学徒兵が散った。将軍は出撃前の特攻兵と茶碗酒をのみ交わし、「諸君は既に神である。心配するな、諸君だけをやらない、私も最後にはゆく」と死にに行く若き兵士たちを見送った。しかし、将軍は約束を守らなかった。自分だけは生き伸びて、長寿をまっとうしたという。
特攻のためにあてがわれた戦闘機は旧式のものが多かった。目的地に着く前に飛行不能になった。そのため半数の特攻兵は不時着、または、帰還を余儀なくされた。生き残った志願兵は次の特攻任務が決まるまで、収容所に軟禁された。生きて帰還する特攻兵は存在してはならなかったからだ。その中のひとりが特攻隊の真実を次のように証言した。
ある日、参謀が訓練基地にやってきた。若き学徒航空兵を兵舎に集め、参謀はきびしい戦局と特攻作戦について演説した。そして、全員に一枚の紙片を配布して部屋から出て行った。そこには(特攻を)「熱烈に希望する。希望する。希望しない」と書いてあった。いずれかに◯を付けろと言われた。最初、多くの兵士は希望しないに◯を付けたが、一人の兵士が立ち上がって「この基地まで参謀がやってきたことを重く受け止めないといけない」と発言した。それから、部屋の雰囲気は一変した。熱烈に希望するに丸印を書き換えるものが続出した。
後で知ることになったが、生還した兵の中には希望しないに◯をしたものがいた。どこに、印をつけて態度を表明しようが、結果は同じだったのだ。
これが、志願と云う名の命令の実相ではなかろうか。
生還した老兵は最後にこう語った。「出撃の前夜、戦友と語り明かした。人の命は地球よりも重いことを知っている。何のために死ぬのか。理由もなく死にたくない。死んだらどうなるのだろうか。死後にはなにがあるのか。だが、結論はでなかった。」戦友の言葉をいまも忘れない。「もし俺が生まれ変わったら、戦争のない国に生まれたい。そして、教師になって、生徒に尊敬される先生になりたい」戦友はこの最後の言葉を残して帰還しなかった。「戦争のない国に生まれたい」。老兵は戦友を思い浮かべて泣いた。
[PR]
by daisukepro | 2007-11-05 23:41 | 映画