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「沖縄密約」吉野文六氏(元外務省アメリカ局長)の証人決まる!



 8月25日16時、東京地裁103号法廷で沖縄返還密約文書の開示請求を求める第2回公判が開かれた。103法廷は東京地裁で最も大きい。100人を収容できる傍聴席は超満員だった。

 沖縄返還の交渉で何が密約されたかといえば、米軍基地にかかわる全費用を日本政府が負担するという密約だ。近ごろ思いやり予算とかいわれているが、日本政府は密約を忠実に履行しているってわけだ。国民はその事実を知らされていなかったのだ。自民党政権が対米従属といわれる非民主的な性格を現している。

 原告団(団長桂敬一)は密約の交渉当事者であった元外務省アメリカ局長吉野文六氏の証人を申請していた。既に吉野氏は密約があったことを当事者としてマスコミに告白している。それでも日本政府は秘密公文書の存在を認めなかった。公文書は廃棄されたのだから確認しようがないというのが政府の苦しい弁明だった。そのため、被告政府側代理人は吉野証人阻止に必死なった。
広い法廷の後部座席からは政府側代理人の声はほとんど聞き取れなかったが、裁判長の声は澄み渡り後ろまでよく届いた。

 杉原裁判長は「公務員の証人は外務大臣の認可がいる。正式には外務大臣の認可が下って決まるが、裁判所から大臣に正式に認可を求めるので裁判所としては審問日程を入れます」と毅然として訴訟指揮を下した。これで、次回10月27日原告被告が裁判長の宿題に答えを持参して審問準備、12月1日に吉野文六氏らの証人審問が決まった。

「宿題をだいぶ出したので、よろしいですか」と裁判長
原告団の女性弁護士が「大丈夫ですが、メモが取りきれなくて」というと裁判長「それではメモをあとで双方にお渡ししましょう」
その笑顔に人柄が伝わってくる気がした。この人物なら真相を追及してくれるに違いない。

 政府があがけばあがく程、合理的な追及に追いつめられて行く。
アメリカ側の密約文書が公開されたにもかかわらず、政府側代理人は「文書は廃棄したので文書があったかどうか確認が出来ない」と主張してきたが、裁判長は「外務省に306の関連文書が残されており、発信先の米側公文書が残されていて公開されたが、なぜ日本側は受信した公文書を破棄したか。また306の関連公文書がなぜ残されたのか明らかにすること」などを次回公判までの被告側の宿題とした。(宿題の詳細は別の機会でお伝えします)

12月1日の公判で交渉当事者の吉野証言が採用されると、密約文書が存在したことを裏付けることになり、これまでの政府側の主張が崩れる。日本政府側はその公文書破棄の理由を問われ、説明が求められる。存在していたはずの公文書破棄は「誰が、いつ、どこで、なぜ」行ったかが問われることになる。
 歴史的重い扉が徐々に開かれ、日米沖縄密約の情報公開が目前に迫っている。国民の知る権利を守る民主主義の第一歩が踏み出されることになる。どうなるか。
 官僚政治打破を旗印にしている新政権の姿勢も問われることになる。新政権の外務大臣は誰れがなるか。テレビ番組としては「清純派女優ノリピーの麻薬事件」よりよりこちらの方がもよっぽど面白いと思うのだが。
非核密約問題も交渉当事者が証言し始めたが、これもメモを破棄したとかで核密約はないというのが政府見解だ。
 沖縄核密約の情報公開をせまるこの裁判の決着が待ち遠しいと皆さん思いませんか。
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by daisukepro | 2009-08-26 00:21 | 裁判

沖縄密約情報公開訴訟 第2回期日のご案内

沖縄密約情報公開訴訟 第2回期日のご案内
吉野文六氏(沖縄返還交渉の当事者)の法廷証言が実現するか?
裁判長は、国側に、今度はどんな注文をつけるのか? 乞ご期待!

沖縄密約情報公開訴訟
第2回期日のご案内

日時:8月25日(火)午後4時から 
 場所:東京地方裁判所103号法廷

地裁で最大の法廷に変更されました!多くの皆さんの傍聴をお願いします!

当日、原告側は、吉野文六氏(元外務省アメリカ局長)の証人申請と、我部政明氏(琉球大学教授)の原告本人尋問の申請をします。吉野氏が証人として採用されれば、公開の法廷で初めて、元外務官僚が「沖縄密約」について証言することになります。

記者会見:午後4時30分~ 司法クラブ(裁判所合同庁舎2階)報告集会:午後5時00分~ 弁護士会館1003号室
※報告集会はどなたでも参加できます(無料)。弁護団と原告が出席します。

問い合わせ:東京共同法律事務所
 〒160-0022 東京都新宿区新宿1丁目15番9号 さわだビル5F
電話 03-3341-3133  担当弁護士:日隅 一雄
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by daisukepro | 2009-08-22 19:14 | 裁判

風雲ラピュタ城異変  その後

風雲ラピュタ城異変  その後

「天空の城ラピュタ」は宮崎アニメの代表作である。その名ラピュタを借用して阿佐ヶ谷で映画館(ラピュタ阿佐ヶ谷)を経営している男がいる。名前は才谷遼、本名川邊龍雄(57歳、大分県)、三里塚闘争を題材にした漫画を書いたこともあるらしい。映画館の他にフランス料理のレストラン(山猫軒)、アニメ出版社(フユージョンプロダクト)、アニメ学校、地下小劇場(ザムザ阿佐ヶ谷)などを経営している。若松孝二監督の映画「飛ぶは天国もぐるは地獄」のスタッフ(製作)に参加、配給がフユージョンプロダクトとなっているが、仕事ぶりは分からない。c0013092_22434819.jpg自称新左翼、父親がシベリヤ抑留者とかで左翼思想の影響を受けたという。昔は共産党に一票を入れてきたが、いまは支持していないそうだ。ジブリの高畑勳、映画評論家の山田和夫氏にアニメ学校の講師を依頼していることや共産党関係者を知っていることを自慢げに話す。
もっとも、山田和夫氏を共産党文化部長などと呼んでいるところから見るとかなりずさんな知合いかもしれない。自称が多いので正体はつかめない。(写真はラピュタ阿佐ヶ谷、風雪を感じる)

しかし、この男の行くところなぜか紛争が絶えない。労働審判、東京都労働委員会、東京地裁民事裁判など、まるで裁判のコンビニストアーである。なぜこの人物は人から訴訟を受けるのだろうか。

2007年の12月に次のような新聞記事が掲載された。「長時間労働と社長の叱責で出版社アルバイトの女性従業員が鬱病になり、自殺するという事件があったが、家族からの訴えで労働基準局は一審を逆転、過労死と認定した」この会社は才谷が経営するフユージョンプロダクトなのだ。
しかし、過労死と認定されても、この社長は反省するどころか、「本人と職場同僚がわるい」と遺族には素知らぬ態度を取り続けた。怒り心頭に達した遺族から損害賠償を訴えられ、現在、係争中である。2009年、つまり、明々後日の8月24日午後一時半、東京地裁で第2回目の審問が開かれる予定だ。才谷社長が出廷すればこの奇怪なる人物を生で見ることが出来るかもしれない。遺族支援のための傍聴歓迎。

労働災害が認定されたその年、ラピュタ従業員から才谷社長の女性従業員に対する暴言暴力行為が目に余るので暴力差し止め訴訟が起こされた。翌年2008年1月22日、裁判長から従業員に対して暴力、暴言を禁じる完璧な判決が下った。さすがにその時は謝罪したが、組合員や従業員に対する暴言はやまず、今度はラピュタ労働組合から不当労働行為で東京都労働委員会に提訴された。申立人らの審問が終わり、才谷社長の審問の番がやってきたが、経営困難を口実に出廷を拒んできた。しかし、ついに、7月13日、第2回の審問が開かれる運びとなった。
都庁舎34階にある審問室の傍聴席には10名程、支援者らしい人々が開廷を待っていたが、突然、20代の若い女性が15名ほど入ってきて後部席に陣取った。司法研修生ではなさそうだ。社長の噂がひろがっているのか、か弱い女性に暴力を振るう「女性の敵」だけのことがある。それとも近ごろ若い女性のブログで裁判傍聴記がはやっているが、その軍団かなと思った。
冒頭、弁護士の主尋問により才谷社長の陳述が始まった。
そのほとんどが、政治団体と労働組合の区別がつかず、共産党攻撃に終止する奇怪なものだった。そのはず、組合への組織介入は申立人らの陳述で立証済みであるばかりか、事実関係はご本人も認めているからだ。反対尋問に移る前に裁判長は休憩を宣言した。
傍聴人もほとんど退席したが、若き女性軍団の一人が私の肩を叩いた。
「おじさん、さっきからこの裁判を聞いているのですけど、何を争っているのかさっぱり分からないのですが教えて」と笑顔でいう。
話を聞くと女性たちは某有名私立大学生であり、法律の勉強をしているゼミの生徒で労働委員会の実習にきたのだ。申立人らが事件の争点とあらましの説明を終えた頃、委員会が再開された。申立人側弁護人の反対尋問だ。一問一答は長くなるので省略するが、背後の女子大生たちは事件のあらましを理解したらしく、社長が弁護士に追及されて答えに窮するとくすくす笑いが聞こえてきた。
弁護士は組合員に対するボーナスの支給差別、賃金カットの事実関係にしぼって追及する方針のようだった。社長は組合員だからではなく、アルバイトだから支給しなかったと弁明したが、組合結成以前に支給していたことは認めた。また、組合に対する暴力行為に話が及ぶと、「組合委員長が暴力をふるったことを前提なら認める」と声を荒げる始末で女子大生たちの失笑をかった。多くの陳述は弁護人がたずねてもいない支離滅裂な罵詈雑言、共産党攻撃に終始した。間もなく、こそ泥まがいの犯罪にに等しい時間外賃金不払いの地裁判決も下る。見学した女子大生は間違いなくラピュタやフユージョンを就職先に選ぶことはないだろう。
工場の門前から憲法は消え、職場で闘わない限り憲法がよみがえることはない。
「損害賠償請求裁判東京地裁526号法廷、8月24日13時半」はお忘れなく。次回都労委は9月10日14時が予定されています。
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by daisukepro | 2009-08-21 22:48 | 映画

オールドブラックジョー(サヨナラ!カメラマン堀美臣)

オールドブラックジョー(サヨナラ!カメラマン堀美臣)


8月9日、堀美臣カメラマンのお別れ会に出席した。c0013092_0111570.jpg渋谷は雨だった。会場は東急本店の裏にある小さな映画館であった。表階段を上がるとレストランがあり、そこで待たされた。20人はいたろうか、知った顔もちらほら見えた。しばらくして奥の部屋に案内された。映画館というより映写設備のある部屋である。にわか造りの椅子席を含めて約50席、満席になった。スクリーンには堀カメラマンのスナッップ写真が映し出されていた。その前で生前ゆかりの人々が次々と立った。
新体連、労働組合、仕事、そして交遊、自由人として生きた在りし日の姿が断片的に語られた。おぼろげに堀カメラマンの全体像が浮かび上がってきた。誰かが、「堀さんといえばこれとこれですね」と手振りを見せた。左手の指先でおちょこの形を、右手でタバコを挟む仕草をこしらえて2本指を口まで上げた。
お別れのスピーチが終わった。場内が暗転してCRTプロジェクターから映像が映し出された。タイトルは「記憶と記録の間で」、それは奇妙な短編映画だった。撮影スタッフらしき一行が会津若松を訪れるところから始まる。男がフレームインしてくる。無造作にフレームの手前から、しかも後ろ姿だ。振り向くとまぎれもなく掘カメラマンその人だ。小さなスーパーの店先のベンチに腰を下ろした。すっかりやせ細って痛々しい。メガネをかけ、コンチネンタル風の髭には白髪がめだった。
「さあ、いこか」
堀カメラマンは命令口調で言葉を発して立ち上がった。ロケ場所の案内をたのまれたのか、いかにも地元風の男性が付き添っていた。ジャガイモのしなびたような面立ちに濃いまつげ、その顔に見覚えがある。けれど、誰だったか思い出せない。
堀カメラマンが蛍を撮影したいというので、ジャガイモ男が案内した。その場所に沼はなく、蛍はいない。道路になっていた。結局、「望みの蛍が撮れないので、星空を撮った」というスーパーが入ると満天の星空が撮影されていた。星空を撮るのは結構難しい。場所や天気もあるし、技術も必要だ。このカメラマンかなり拘っている。驚いたことに生きた源氏蛍を撮影していた。昆虫図鑑のようだ。この記録映画に必要なカットとは思えないが、これも撮影に成功するためには特別な機材とカメラ技術が求められるのだ。何よりも時間がかかる。それで合成や写真で処理するのが普通だ。まだある、雨蛙が産卵?する瞬間、軒下で嘴を開いて餌をねだる子ツバメ。画面の外から堀カメラマンの声が聞こえる。「強いよ、強いよ。そうそれでいい」ツバメの巣に光があたったり、外れたりした。照明機材のレフを使っているのだろう。カメラマンが「それでいい」というとツバメの巣はコントラストがとれてバランスよく映るのだ。画面に映し出されているのはツバメの巣だけだが、声はフレームの外から聞こえてくる。「よーし、とれた、カット!」このやり取りを聞いているうちに、急に記憶がよみがえった。もしかするとこのレフを操作しているのは昔、撮影所にいた照明部のNちゃんではないか。
つぎのシーンでそのジャガイモ男はインタビューをうけていた。鈴木清順の「けんかエレジー」について「あれは会津文化そのもの」などと映画談義が果てしない。まぎれもなくNだった。30年以上も会っていなかったが記憶というものは不思議なものだ。
何故か中学生の頃、訳もわからずに読んだプルーストの長編小説「失われた時を求めて」の水中花の一節を思い出し、プルースト風の気分になった。
映画には会津弁で語るひょっとこ伝説や雪の農村を徘徊するひょっとこのイメージ映像が出てくるがいろいろな記憶に気を取られて消化不良をおこした。ひょっとこはどこか麻生に似てるなと思ったりした。c0013092_0114080.jpg「儲からない映画でも、映画人は映画を撮りたいものですかね」と短編映画が上映される前にプロデューサーが挨拶していたが、資金繰りに苦労している人らしい。
堀カメラマンには長年培った技術があった。それを発揮する機会がなかった。たとえワンカットの情景であっても堀カメラマンの気持ちが伝わってくる気がする。どんなに映画が撮りたかっただろうか。思う存分大作のカメラを回して欲しかった。
映画が終わるとスクリーンに静止画像が浮かんだ。病床の堀カメラマンだ。ベットで上半身をおこし何か書いているところだ。メッセージが読み上げられた。「僕は先に行っているが、急がなくていい。いつでも待っているから・・・・・・・・」
池袋で途中下車した。雨はいつの間にか上がり、白いビニール傘を杖にして家路に着いた。先月の終わりにシナリオライター「パウロ高久進」の葬儀に出たばかりだ。教会がある百合ケ丘の駅に降りると急に土砂降りの雨になった。仕方なく駅の売店で買ったものだ。
うろ覚えのオールドブラックジョーを鼻歌で歌いながら夜道を急いだ。

「 I'm coming, I'm coming, for my head is bending low,
I hear those gentle voices calling "Old Black Joe"」

「きっこのブログ」にひょっとこのポスターがのっていた。よく出来ているので無断で転載させてもらう。町中に張り出したいくらいだ。
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by daisukepro | 2009-08-14 00:14 | サヨナラ

「日本政府は米核政策の転換に反対だ」

「日本政府は米核政策の転換に反対だ」

固い話ばかりで、申し訳ない。今日は長崎に原爆が投下された日なのでお許しください。

一昨日(8月7日)、読売新聞朝刊の一面の左隅の記事に目が止まった。
一面トップは「裁判員裁判初の判決」、黒地に白抜きの四段抜きの大見出し、その記事は2段抜きで「米大統領広島・長崎訪問困難に」と目立たないように掲載されていた。しかし、読んでみるとすこぶる面白い。
オバマ大統領が年内に来日するという噂が流れていたが、知っての通り、今年11月初来日することが決まった。オバマ大統領が核廃絶の決意表明をしたプラハ演説に感動して「できたら被爆地を訪問して欲しい」というのが日本人の気持ちだろう。デザイナーの三宅一生氏もオバマ大統領のプラハ演説に感動して自らの原爆体験に触れながら大統領が広島を訪問するよう訴えたメッセージを送った。チェ・ゲバラも広島を訪れて涙を流したではないか。普通の日本人はオバマ大統領の広島・長崎訪問を歓迎する。勿論、どこの国にもいるように、歓迎しない人もいる。いまだ原爆症で苦しむ人々をみると、日本人の心情は原爆投下の責任を追及するより、原爆で苦しむ人々を二度と再びみたくない、人間を原爆で苦しませてはいけない、そのためには原爆を投下させてはならない、持たせたてはいけない、つくらせてはいけない、地球上から核兵器を廃絶したいと望んでいると思う。だから、オバマ大統領にも原爆の悲劇を直視して欲しいと切望しているのだ。

ところが、読売新聞の記事は以下のようになっている。
複数の日本政府関係者が6日、「オバマ大統領の被爆地訪問は困難であることを明らかにした。理由は原爆投下の意義をめぐる議論に発展しかねず米国内で反発を招く恐れがあるとの判断が強まった」のだという。滞在時間が1日程度となるから国内移動が難しくなったという事情もあるのだとか、日米関係筋は「初来日の際に歴史認識にかかわる問題を扱うのは難しい」とか、オバマ大統領の被爆地訪問を阻みたい思惑が見え見えではないか。

読売記事に出てくるこの複数の日本政府関係者、日米関係筋とは誰なのか。顔のないゴースト、その正体が見たい。「歴史認識にかかわる問題を扱うのは難しい」どころか大統領の歴史認識はプラハ演説ではっきりしている。オバマ大統領はプラハで下記のように演説している。

「私たちは、20世紀に自由のために戦ったように、21世紀には、世界中の人々が恐怖のない生活を送る権利を求めて共に戦わなければなりません。そして、核保有国として、核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任があります。米国だけではこの活動で成功を収めることはできませんが、その先頭に立つことはできます。その活動を始めることはできます。従って本日、私は、米国が核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意であることを、信念を持って明言いたします。」
オバマ大統領は解決しなければならない課題を挙げた後
「いずれの課題も、すぐに、あるいは容易に解決できるものではありません。いずれも、解決するには、私たちが相互の意見に耳を傾けて協力すること、時に生じる意見の相違ではなく、共通の利害に重点を置くこと、そして私たちを分裂させ得るいかなる力よりも強い、共通の価値観を再確認することが必要な課題ばかりです。これこそ、私たちが続けていかなければならない取り組みです。私がヨーロッパへ来たのは、その取り組みを始めるためです。」と述べている。

オバマ大統領は日本に何のために来るのだろうか。毎年8月6日、広島の式典に来て核廃絶の決意をのべながら、核の傘強化を平然とのべる日本の首相とは違う。

ゴーストたちの話に戻ろう。

憂慮する科学者会議のカラキ−氏から3分間の緊急メッセージが日本に送られてきた。ユーチューブから静かな声が流れてくる。

「日本の皆さんが知らなければならない重要なことがあります。それは、日本の外務省や防衛省で、外交安保にかかわる官僚たちが、米国のカウンターパートに対し、「日本政府は米核政策の転換に反対だ」と訴えているという事実です。
米政府内ではオバマの核政策転換に反対を唱える人々がいます。とりわけ国務省や国防総省、そして国家安全保障会議のアジア専門家から反対の声が上がっています。これらの人々が、米核態勢に求められている転換に反対する最大の理由が、日本政府が表明する「懸念」なのです。
米国の新しい核兵器政策が決定するのは、今年9月あるいは10月です。残された時間はあとわずかです。米核政策の転換は、プラハ演説でオバマ大統領が述べたビジョンの実現に不可欠です。
もし、オバマ大統領がプラハで訴えた米核政策の転換というビジョンが、人類の歴史上で唯一、核攻撃の犠牲となった国の政府の反対で、打ち砕かれるとしたら、それはまさに皮肉であり悲劇にほかなりません。日本の皆さん、今こそ日本政府、そして米政府に向けて、「私たちはオバマ大統領がプラハで示した米核政策の転換を力強く支持します」と声を上げていくことが重要です。

読売新聞の記事に出てくる日米関係筋とか、政府関係者は日本の外務省や防衛省、外交安保にかかわる官僚たちであり、アメリカのロビーにも出没していることが明白ではないか。彼らはオバマ大統領の被爆地訪問に最大の懸念を持ち、阻みたいのです。

これまでのアメリカの世論によれば、60%が原爆投下は戦争を終わらせるために意義があったと考えているようだ。
しかし、事実が明らかになるにつれて、アメリカの世論は変わりつつある。
写真家中村悟郎さんが5月にアメリカで写真展を開きロサンゼルスの大学で講演を依頼された。中村さんはベトナム戦争で使われた枯れ葉剤の被害を追及している写真家として著名です。

以下、中村さんのエッセイからの引用をしておきます。オバマ大統領になってからアメリカでも変化が起こっていることが分かります。

私は思い切って私の考えかたを枯葉剤会議の聴衆に伝えた。 「被害はベトナムのほうが何百倍も深刻である。 それに対する補償を米連邦最高裁が今年2月に最終的に拒んだのは客観的に見て不当である」 「アメリカがベトナムで行なった枯葉作戦は明らかに戦争犯罪といえる」。

 そして私はオバマ演説を引用しながらこうしめくくった。 第2次大戦後の歴代米大統領は 「ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下は正しかった。 それによって何万という米兵の命が失われずに済んだのだから」 といい続けてきた。 だがオバマ新大統領は違った。 「最初に核を使用した国の道義的責任として、 核廃絶を目指す」 とプラハで述べている。 すばらしい演説である。

 ところが、 フロリダのエグリン米空軍基地には現在も、 ベトナムで枯葉作戦を行ったC-123散布機が展示されていて、 その脇にはブロンズ製の顕彰碑がある。 そこには 「枯葉作戦は崇高な作戦であった。 それによって何万というアメリカ兵の命が失われずにすんだのだから」 という文字が刻み込まれている。 いかなる残虐兵器を使おうと 「正しかった」 としてしまうこのような思想とは決別すべき時がきたのではないか、 と。

 そのとたんに劇的な事態が起きた。 会場の人々が立ち上がりスタンディング・オベイションとなったのである。

会場にはいろんな立場いろんな考え方の人が居たはずである。 その人々がこうした反応を見せた。 言うべきことを言って良かったと思った。 アメリカは変化しているとも感じた。 この国の懐の深さに触れるとともに、 写真や言葉や、 さまざまな手段で臆せず働きかけることに充分意味があることを知ったのであった。

読売新聞の懸念はもはや幻想でしかない。世界は少しずつ変わろうとしているのだ。私たち日本人がオバマ大統領の広島・長崎訪問を切望していると声を上げよう。
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by daisukepro | 2009-08-09 13:43 | 憲法

横須賀、海賊、核の傘

横須賀、海賊、核の傘

日曜日の午後、横須賀軍港ツアーに参加した。一行は約30名、映画関連労働組合平和推進委員会の皆さんです。遊覧船は港内を45分で一周、停泊中の船舶をガイドしてくれる。1200円では安い。都心から参加すると交通費が往復2000円ほど加算される。帰りにはドブ板小路を抜けて三笠公園まで歩く。そこには戦艦三笠が保存されていて500円払うと艦内の見学ができる。ドブ板通りは観光地化して昔の面影はないが、それなりに終戦直後の占領ムードを漂わせている。c0013092_19504362.jpg日本人はとても買う気が起こらないような土産物を売っている店が並ぶ。私服の黒人兵や連れ立って歩く白い水兵服の海上自衛隊員とすれちがうこともある。
軍港は日米共同で使用している。一隻300億円もする自衛隊の潜水艦が係留されている。その奥にはアメリカ軍のイージス艦数隻が待機している。しかし、楽しみにしてきた原子力空母ジョージワシントンの姿はなかった。
c0013092_19495713.jpg
「核密約があった」という元外務次官の村田良平氏の証言を西日本新聞がスクープしたのは6月28日の朝刊。
日本政府はこれまで核密約はなかったと答弁してきた。麻生首相も「なかったというので調べるつもりはない」と記者会見で答えていた。もし、スクープが真実だとすれば、私たちが乗船した遊覧船がジョージワシントンの近くを通過すれば核兵器に最も接近した瞬間ということになる。サイトシーングも忘れがたいものに変貌するはずであった。

翌日のしんぶん赤旗をみると、不破哲三氏の談話が載っていた。大見出しでタイトル「これが核密約だ」、当時、共産党委員長だった不破氏は2000年の党首討論で密約全文を示し政府を追及した。不破さんが暴露した密約文書の表題は「相互協力及び安全保障条約討論記録」となっている。この奇妙な呼び名の条約表題がなぜ名付けられたか、米国の報告書には以下のように書かれている。「いかなる秘密取り決めの存在を否定するために日本政府の注文で討論記録と呼ぶことになった」と

今度のスクープ以後、新聞各社が歴代の外務次官を取材して証言を取っている。いずれも、密約を認め、歴代の外務大臣に手書きメモをわたして引き継ぎをしていたことが明らかになった。かくも長きにわたって政府は国民を欺いていたのである。これって、まさに二枚舌その一。
2000年に不破氏が密約を暴露した後、その翌年、田中眞紀子氏が外務大臣になったが、なぜか、この密約は報告されていない。メモが破棄されたともいわれている。

密約の仕組みと主な内容は2つある。岸首相とハーター国務長官が公式に取り交わした交換公文では「核兵器の持ち込みなど米軍の装備の重要な変更」「日本の基地を戦闘作戦行動への出撃に使うとき」(要約)は日本政府と事前協議する。となっているが密約では「核を積んだ軍艦や軍用機の立寄り、通過は、事前協議はいらない。米軍が日本から移動する場合は移動先が戦場であっても事前協議はいらない。米軍の自由である。」となっているのである。(全文参照)密約条文はマッカーサー駐日大使と藤山愛一郎外相が署名している。核の持ち込みとは「核兵器、中長距離ミサイル(短距離ミサイルは除く)のための基地の建設」と規定している。だから、米原子力空母は横須賀港に核兵器を搭載して自由に寄港していたのである。

しかし、今なぜ外務省高官が一斉に密約を認めた発言を始めたのかという素朴な疑問が浮かんでくる。元毎日新聞の池田龍夫氏によれば村田良平元外務次官は武器輸出三原則、非核三原則を批判、憲法を改正して集団的自衛権を鮮明にすることを切望している人物であるとマスコミ関連のホームページで解説している。あのテレビに出てきて「アメリカのいう通りにしていれば日本は安全です」という変なおじさん岡崎元駐米大使と同期の外務省エリートらしい。

すると、どうだろう4日提出された「安保防衛懇」の報告書を読むと北朝鮮の核開発と弾道ミサイルが脅威だとして、「専守防衛」「非核三原則」「PKO参加5原則」を見直してミサイル迎撃、敵基地攻撃の方策も必要だとして日本を「海外で戦争をする国に変える」提言を列挙しているではないか。

海上自衛隊の護衛艦2隻がソマリア沖に派遣されたのは3月、大量の武器弾薬を積載して佐世保港を出航して行った。この段階での武器使用は自衛隊法の枠内という制約があって自由に発砲することは出来ない。4月23日、海賊対処法案が可決、防衛省が必要と判断すれば恒久的に海外派兵が可能になり、武器の使用が認められる。そして、7月、恒久派兵法成立後、始めての第二次護衛艦が派遣されて行った。海外派兵は危険水域に入ったのだ。戦場はぐっと身近になった。歴史的な転換点といえる。

自衛隊の海外派兵は1991年のPKO派遣に始まり、9・11以後、派兵先と期限を限定した特別措置法で実施されてきた。アフガンへ「テロ特措法」、インド洋へ「給油法」、イラクへ「イラク特措法」
そして、今回の「海賊対処法」。海賊退治とは見せかけの衣で、この法案の中身はいつでも、どこでも自衛隊の海外派兵ができ、紛争解決の手段として武力行使ができるようにするための「海外派兵恒久法」なのだ。そして、最後の障害物である海外派兵を禁じた憲法九条第二項の改正を切望しているのだ。二枚舌のその二

デッキの上で潮風に吹かれながら考えた。
「戦争ができる社会体制が着々と構築されている。
戦争は急には起こらない。なし崩し的に戦時体制へ転換がすすんでいる。なんか変だなと気付いたときにはどうにも止まらない。アメリカ軍の指揮命令のもとに海外派兵が常識となる日が接近していることを忘れないぞ」
内閣の調査で自衛隊の海賊対策について問うと肯定的に考える人が63%なのだ。人を見かけで判断するのは用心しないとね。

二枚舌その三は麻生発言だ。8月6日、麻生首相は広島の式典で「私は改めて日本が今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます」と事務方の用意した原稿を棒読みした。これは麻生首相に限らず、歴代首相が必ず読み上げるものだ。歴代にはない麻生首相の優れた才能は、その舌のねも乾かないうちに式典直後の記者会見で「日本はアメリカの核の傘が必要だ」と持論を展開できるこことだろう。まさに、二枚舌の朝青龍。

ガイドの声が聞こえてくる。「船の上からのカメラ、ビデオなどの撮影は・・・・・・・・自由です」
私は辺野古ではこうは行かないと思いながら、ビデオカメラを回した。

追記
ここまでの記事を投稿しようとして読売新聞の夕刊(8月7日)が置いてあったので、ちらっと見ると、核密約「確認は不能」と三段抜き記事が目に止まった。外務省はアメリカでは公開済みの文書が日本では1981年の調査で文書本体が確認できなかったので密約を否定する方針だという。引き継ぎメモは消去されたと村田氏は言っているが・・・・・・。この国の外務省はどうなっているのだろう。




相互協力及び安全保障条約討論記録
東京 1959年6月
 1、(日米安保)条約第6条の実施に関する交換公文案に言及された。その実効的内容は、次の通りである。
 「合衆国軍隊の日本国への配置における重要な変更、同軍隊の装備における重要な変更並びに日本国からおこなわれる戦闘作戦行動(前記の条約第5条の規定にもとづいておこなわれるものを除く。)のための基地としての日本国内の施設及び区域の使用は、日本国政府との事前の協議の主題とする。」
 2、同交換公文は、以下の諸点を考慮に入れ、かつ了解して作成された。
 A 「装備における重要な変更」は、核兵器及び中・長距離ミサイルの日本への持ち込み(イントロダクション)並びにそれらの兵器のための基地の建設を意味するものと解釈されるが、たとえば、核物質部分をつけていない短距離ミサイルを含む非核兵器(ノン・ニュクリア・ウェポンズ)の持ち込みは、それに当たらない。
 B 「条約第5条の規定にもとづいておこなわれるものを除く戦闘作戦行動」は、日本国以外の地域にたいして日本国から起こされる戦闘作戦行動を意味するものと解される。
 C 「事前協議」は、合衆国軍隊とその装備の日本への配置、合衆国軍用機の飛来(エントリー)、合衆国艦船の日本領海や港湾への立ち入り(エントリー)に関する現行の手続きに影響を与えるものとは解されない。合衆国軍隊の日本への配置における重要な変更の場合を除く。
 D 交換公文のいかなる内容も、合衆国軍隊の部隊とその装備の日本からの移動(トランスファー)に関し、「事前協議」を必要とするとは解釈されない。
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by daisukepro | 2009-08-07 20:08 | 憲法