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風雲ラピュタ城主、ラピュタ労組委員長解雇撤回闘争で和解が成立

映演労連ニュースによると風雲ラピュタ城主と労組委員長解雇撤回闘争で和解が成立したそうです。詳しい報告が出たらお知らせします。(発見の会)以下9月15日付け11号ニュースの転載です。


ラピュタ須賀委員長解雇争議、和解なる!
──10月13日にラピュタ闘争中間報告集会──
 ラピュタ支部・須賀委員長の不当解雇事件は、東京地裁の仮処分裁判を舞台に和解交渉が続いていましたが9月7日、解雇を撤回したうえで合意退職し、解決金を支払う、という内容で和解が成立しました。職場復帰はなりませんでしたが、常軌を逸した経営者相手の闘いとしては大きな成果です。皆様の篤いご支援、本当にありがとうございました。
でもラピュタ闘争は終わりません。鈴木周三さん(ラピュタ支部組合員)の一方的賃金ダウンと残業代未払い問題、不当労働行為の制裁を求める闘いはこれからも続きます。働くものの権利と正義を貫くために、ラピュタ闘争にさらなるご支援をお願いいたします。
なお、ラピュタ闘争支援共闘会議は10月13日(水)18時45分より、東京・文京区民センター3D会議室でラピュタ闘争の中間報告集会を行います。ぜひご参加ください。
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by daisukepro | 2010-09-22 21:32 | 映画

未知との遭遇、ベビーパウダー首都地下鉄を止める。

未知との遭遇、ベビーパウダー首都地下鉄を止める。

天気は秋、朝夕は風が心地よい。裏路地を歩く。「つくつく法師」が鳴き、虫のさえずりが聞こえてくる。さて、「発見の会」の更新がとどこおり、ご愛読の皆さん、通りすがりにお立ち寄りいただいている皆さん、申し訳ない。心からお詫びいたします。

世界に誇る黒沢明監督は「書き始めたら、どんなに強引な手法でも最後まで書け」と教えている。途中で投げ出すとクセになるからというのがその理由だ。
それにしても、人生には思いがけない出来事が起こるものだ。また、予兆というものもある。酷暑が続く前は集中豪雨が全国的な災害をもたらした。その異常気象は我が家に厄害を呼び込むことになった。一度めは豪雨の重さに耐えかねたアジサイが幹の中頃からぽきっと折れた。二度目はロフトで昼寝をしている時のことだ。突然、重い物が倒れる音がして振動で家が揺れた。階下におりて見たが倒れた家具はない。窓外を見て驚いた。さくらの樹の大きな枝が折れて、地上につき刺さっている。折れた枝が屋根の上に落下したときの音であったことが分かった。「人生は二度ない。三度ある」は友人たちが好んだ言葉だが、この場合いやな感じがするのだった。「二度あることは三度ある」これは悪いことは重なるのたとえだ。8月31日、脳幹出血で倒れ、濹東病院の救急救命室に入院した従姉が息を引き取った。93歳で一人暮らし、他に身寄りがないので喪主を務めることとなった。続いて広告会社勤務の友人が倒れ、9月13日、赤坂のホテルでお別れ会があった。これは生前友人が関係したアニメ二社と広告会社が三社共同で開いたお別れ会だ。あまり、聞いたことがない。15日は東映アニメのOBの通夜が豊島園近くの会場であり参列した。「花に嵐のたとえもあるさ」ではないが、この辺で打ち止めにしたい。ところが、親しくしていた80歳になる近所のおばさんが会食中に倒れ、救急医療室に運ばれた。現在も入院中なのである。どこまで、続くのだろうか。c0013092_211031.jpg

さて、表題の「未知との遭遇」だが、写真は丸ノ内線新大塚のホームで撮影したもの。私がなぜにデジカメを常時携帯しているのかと言うと、何時、何に遭遇するか分らないからだ。なぜ、新大塚の駅にいたかというと、神保町にある事務所に2時に行く約束をしたからである。封書の袋詰めを手伝うためだ。ところが改札には人の行列がホームの方から続いているし、車両はホームに停車したままドアが開いている。「池袋駅で不審物が発見されました。池袋新大塚間は不通です。茗荷谷からは折り返し運転になっています。ただ今、処理班が現場検証をしております。再開の見通しは分かりません」というアナウンスが流れた。
サリン事件のイメージが浮かんできた。行列は不安になった乗客が事故証明書か何か、運賃の払い戻しを受取り急いで地上に脱出するためのものだった。地下鉄は30分ほど動かなかった。「不審物に異常がないことが確認されました。ただ今、池袋方面行きが発車いたしました。池袋に到着後、まもなく運転が再開されますが、まだ指示が出ていませんので暫くお待ちください」「異常がない」とはなんだろう。妙な表現だなと考えていると駅員同士の会話がもれ聞こえてきた。「不審物の中身はベビーパウダーだってよ」

私は写真撮影にはこれといったテーマを持たないために、行き当たりばったりに、珍しいものがあると写している。最近のカメラには便利なズームがついていてクローズアップが簡単に取れる。写真が上達しないのもこの機能に問題があるのではないか。池袋のサンシャイン通りで天才カメラマン、アラーキーが撮影している所に遭遇したことがある。しばらく見物していると、かれはズームを使わず決まったサイズで撮影していることが分かった。アップは被写体に近づいてシャッターを切っている。それ以来、私もズームの使用を止めてみた。すると、被写体の空間にテーマらしきものが浮かんでくるようになった。再開発と貧困、都会の生存競争、浸食するコンクリートなどが普通の情景の中に忍び込んでいるような気がしてくる。そして、折々の人びと心情などが風景の中に解けているような気持ちになる。不思議だ。フレームや構図が気にならなくなる。写したいという気持ちがすべてになる。車や人びと、それら動くものはフレームの中に入り込んでくるのだ。さりげない日常風景が異空間にみえる。見えないものが見えてくる。それがいいのだ。何かを発見できるかもしれない。できないかもしれない。デジカメの携帯は続けることにしたい。また、しばらくおつきあいください。
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by daisukepro | 2010-09-20 21:04 | 文化