裏路地の猫異聞と夜のプラットホーム
間の悪いことは続くものだ。 このところ、足腰が弱くなり、鍛え直すために毎朝、足枷をつけて20分ほど裏路地を徘徊している。足枷と言っても1キロほどのウエイトリストバンドだが、ただ歩くより、鍛錬している気持ちになる。10年ほど前に、登山好きの友人からプレゼントされたものだ。みのもんたが8時またぎをやっている頃、坂道を下り、いつものように左折する。 昔、川が流れていたところが暗渠になって、曲がりくねった路地になっている。さすがに自動車は通り抜けできないが、時々、自転車やバイクとすれ違うので油断はできない。音楽を聴きながら歩くことは危険だ。前方に一人の女性がかがみ込んでいる。近づくと何かつぶやいている。生け垣の中に差し入れた右手の先に白いものが見える。何だろう。植木の陰にある物体を女性はさすっているのだ。猫だ。身動きひとつしない。死んでいる。見てはいけないものを見たような気分になって、声を掛けず通り過ごしたが、気がかりで仕方がない。 昼頃、裏庭で植木の手入れをしていると、近所のおばさんが訪ねてきた。思い詰めた顔で「道で猫が死んでいる。始末したいけど、誰に頼んでもいやがる。できたら、お宅の庭に埋葬してくれない?」と言う。「ううんーーー、飼い主はわかりますか?」「さあーー」「朝、気がついていたんですけどね」見て見ぬ振りをした自分が恥ずかしく、情けなかった。 「ともかく区役所に相談してみみましょうか。だめなら、考えましょう」 この心優しいおばさんは宮古島で生まれた。父親は島の校長先生だ。遥か遠い島からご主人と二人でこの地にやってきた。去年、ご主人に先立たれたが、今は地域の診療所で賄いのボランティアをやりながら孫たちと暮らしている。路地に少しでも土があると植物を植え、鉢植えで花を咲かせ、毎朝、周囲の路地や階段の清掃を日課にしている。なので、近隣で知らない人はいない。区役所の代表番号にダイヤルして事情を説明すると「それは道路課ですね」、窓口の女性はこの種の苦情になれた様子で答えた。道路課は「死骸のある場所が区道であればすぐに行きます」という。「さあ、その区別は分からないんですけど」「じゃあ、どの辺りですか」「表通りにペットショップがあります。その裏路地側が裏庭というか駐車場になっていて、そのう植え込みに死体があるのです」「商店街の裏ですか」「そうですね。路上ではねられて死んだ猫を誰かがそこに置いたのではないかと皆さん言っていますが」ととっさに答えた。 「分かりました、とにかくそちらへ行きます」「正月早々、済みませんね」割りきった声で職員は電話を切った。職員がすぐに来てくれると伝えるとおばさんはほっとした様子で帰っていった。私は庭仕事に戻った。30分ほどして現場を見に行く。おばさんがこちらに向かって歩いてくる。両手で×をつくった。まだ職員が来ていないのかと思ったが、「遺体は片付けられて、無くなっていた」という合図だった。夕食どきにおばさんがまた訪ねてきた。お礼にと紙包みを差し出した。中身は上等な牛肉だった。素直に受け取ることにした。しばらくして、仕事から妻が戻った。夕食のおかずを買ってきたが、包みは同じ肉屋のものだった。開くとメンチとコロッケが出てきた。とりあえずその日の夕食はソースをかけて冷たいコロッケがおかずになった。職員に感謝しながら食した。上等な牛肉はごぼう巻きになって別の日の食卓にのった。 次の日は雨だった。 よる9時に会議が終わる。私たちを「闇の奥」から支配し続けている二つの司令塔が行き詰まり正体をさらけだしてどうしていいのかわからずに混乱している。私たちはアメリカ軍の空爆で家を焼かれ放り出されたが、今は貧しい人々が人でなしの経営者に家を追われゴミのように路上に放り出されている。新年会で記者のインタビューに大企業の社長は薄笑いを浮かべて「派遣切りと言うが、切ったのではなく、(派遣労働はあらかじめ)そう言う契約で働いてもらったのです」と平然と答えた。ガザ市民が避難している学校を砲撃して、子供たちを殺戮しながら「戦場だから民間人に犠牲者がでるのは仕方が無い」と言い放つイスラエル政府要人の顔と重なる。 愛知県で契約切りになった派遣労働者が故郷の姉夫婦を頼って札幌に行ったが、そこにも居場所がなかった。市街をさまよううちに体調をくずし、医療生協の病院にたどり着いた。そして、表の階段に倒れ込んだ。その青年は幸いなことに医師に発見され救助されたのだが、この報告には胸を締め付けられる思いがした。年の暮れ日比谷公園には派遣切りの被害者を救うために延べ1700人のボランティアが参加したという。 代々木駅のホームでJR山手線を待つ。雨の中、電車が滑り込んでくる。ぎょっとなった。どの車両も窓が真っ黒なのである。停車してドアが開いた。すし詰め状態になっているのだ。乗客は横向きに立ち、顔だけねじってこちらを黙って見ている。強制収容所に送られるユダヤ人のイメージが重なる。おりる人もなく、ホームの人々を詰め込むだけ詰め込んで電車は出て行く。次を待てば必ず空いたのがくると寺田寅彦の随筆に書いてあったのを思い出す。インフレエンザの流行も気になる。電車を見送った。あたりを見回すとホームに残ったのは私一人だけだ。誰もいなくなった。ゴッドファーザーのシーンのような沈黙がながれた。しかし、何事も起こらず、次に到着した電車は空いていた。ほっとする。映画ならここで刺客に襲われるところだ。ターミナル駅の新宿では下車する乗客が多く座席に空きができた。鞄を膝の上にのせて座る。二駅を通過した頃、隣の婦人の咳が気になりだした。席替えをするのもわざとらしいので、我慢しているとその婦人は袋から何か取り出して口の中に放り込んだ。カゼ薬かなと思った。ガリガリと噛み砕く音がした。のどの薬を噛んでいるのかもしれない。しばらくするとせんべいのにおいが咳と一緒に漂ってきた。どうにも我慢できず、席をたった。帰宅後、いつもより念入りにウガイをした。
by daisukepro
| 2009-01-11 22:50
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