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私たちは忘れない

東京九段/靖国神社は明治2年、明治維新でなくなられた人々のことを、いつの世まで伝えるために明治天皇がたてたとパンフ(やすくに大百科)に説明されている。いまから130年前のことです。
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東京招魂社という名でしたが、明治12年に靖国神社に改名した。それから10年後、大日本帝国憲法、翌年教育勅語が発布され、5年後日清戦争が始まる。日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、支那事変、第二次世界大戦とつづきます。この戦争に尊い命をささげられた方々が神様として靖国神社にまつられている。合計246万6千余名、そのうち約213万が第二次世界大戦の戦死者である。その中には戦争犯罪人として処刑された1068名の人々も含まれている。1978年、14名のA級戦犯が合祀され、総理大臣ら閣僚の公式参拝がはじまった。靖国神社は東京裁判は連合国(戦勝国)の一方的裁判なので認みとめられない。ぬれぎぬを着せられて犠牲になった人々を「昭和殉難者」としてA級戦犯を合祀するのは当然と説明しています。しかし、戦争で犠牲になったのは軍人や統治者ばかりではない。空襲や原爆で無抵抗のまま焼き殺された日本を含めたアジアの人々のことを私たちはわすれない。連合国兵士のことを私たちはわすれない。すべて、.勝っても負けても戦争の結果なのである。戦死者をともらい、遺族の生活を保護するのは国の責任だ。戦争の痛ましい犠牲となった人々をともらう心は誰でももっている。しかし、国家権力のすべてを行使して戦争を遂行した人々を同列にはできない。まして、侵略を受けた国の人々にとっては堪え難いことだろう。中国の抗議によって、今年、小泉首相の年頭参拝は見おくられた。

さて、地下鉄東西線九段下から地上にでると靖国神社の大鳥居がそびえている。長い参道をのぼると、ど真ん中に銅像がそびえている。日本陸軍を創設した大村益次郎の銅像だ。第二の鳥居をくぐると神門、拝殿がまっている。神門をとじると二つの巨大な菊の紋章が訪問者を威圧する。参拝をすませて左折するとそこには戦争博物館がある。大砲や飛行機、戦車、人間魚雷などの武器が陳列してある。韓国ソウルにも立派な戦争博物館があるが、そこには歴史的な武将や抵抗者たちがまつられている。かれらは侵略者とたたかい命がけで国をまもった英雄なのである。
日本の戦争の大部分は内戦を除いて外国の地でおこなわれている。同じ戦争博物館でもかなりムードが違うのはそのためかな。遊就館(戦争博物館)で日本会議制作のドキュメント映画「私たちは忘れない」を上映している。入会費2000円を払って、日本会議広報会員に入会するとビデオは無料で贈呈される。展示室は有料ーーー
靖国神社をたずね、あらためて戦争の歴史をかんがえよう!
              ーーーーーーーーーーーおてごろ観光協会
by daisukepro | 2005-01-02 22:25 | 観光


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