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「ここは牛込、神楽坂、袋町」

「ここは牛込、神楽坂、袋町」

ご無沙汰しております。皆さんお元気でしょうか。おてごろ観光協会です。
交通費と珈琲代だけで一日楽しむ観光ガイド、静香ちゃんがトリノ・オリンピックで金メダル、梅の花開く本日、東京は牛込神楽坂をご案内致します。地下鉄有楽町線、飯田橋駅下車、神楽坂口から表に出ると神楽坂の坂下にでます。ゆっくりとした坂道にはどこにでもある雑多の店が並んでいますが、地形のせいで人情の懐に入って行く雰囲気に包まれます。
時空を超えた価値観に心を切り替えてください。神楽坂を楽しむことができます。坂を登りきった辺りに毘沙門天が鎮座しています。猫背にかまえた狛犬は西洋の悪魔を連想するでしょう。今にも襲いかかってきそうな形相をしています。三本指の男、宇野宗佑総理大臣が女性スキャンダルで権力の座からおわれた事件がありましたが、このドスケベ首相が車の中から神楽坂の芸者さんを見初めた。彼女に接近遭遇した運命の坂道はこの辺りです。三本指の男とは、「君、これでどうかね」と指を三本出し、月3万円のお手当で「わしの妾になれ」とくどいたことが世間に知れ渡り、その年の参院選挙は自民党が大敗、首相を引責辞任した事件のことです。コイズミはこの内閣で厚生大臣でした。辞任の心境を聞かれ宇野宗佑さんは「明鏡止水」と答えた。
「毘沙門天」を過ぎて左に曲がると更に上り坂が右折している。ここは袋町、地蔵坂。江戸時代は藁を商う藁店があったので、明治には和良店亭という色物を上演する寄席があった。夏目漱石が「それから」でこの辺りを描写している。袋町に住む主人公の男性が愛人と連れ立って、牛込丘陵をくだり、江戸川(現神田川)にかかる橋の上で女性を見送る。
地蔵坂を上りきるあたりの右側に出版クラブがあり。左側に天照寺がある。牛込という地名の由来となった牛込氏の江戸居城があった所だ。地蔵坂はこの寺に安置されている木製の地蔵像から名付けられた。さらに、歩けば箏曲「春の海」の宮城道雄記念館、「金色夜叉」の尾崎紅葉屋敷跡などがある。泉鏡花の名作「女系図」は師匠の尾崎紅葉が神楽坂芸者の「桃太郎」との仲を裂こうとしたという実話から生まれたという。「桃太郎」は泉鏡花夫人となり、泉鏡花は歴史に名を残す文豪になった。泉鏡花の小説は漢和辞典がないと読めない。
「ここは牛込、神楽坂、袋町」_c0013092_14513833.jpg「毘沙門天」の向かい側に、ひと一人通れるような細い路地がある。通り抜けると、そこは花街。石畳にそって、左右に料亭、置屋、待合が並ぶ。黄昏どきには着物姿の芸子さんと袖すり合うかもしれない。折れ曲り、迷路のような路地を下って行くと右側に粋な黒塀が見えてくる。旅館の格子戸には「和可菜」の文字、映画やテレビの脚本家が仕事場として利用している。山田洋次監督は路地に面した二階の部屋を定宿にして脚本を書く、女将の和田敏子さんは女優小暮実千代の妹、朝晩の食事は手料理を出してくれる。シナリオライターなら一度か、二度はお世話になっているはず。小暮実千代という大女優は田園調布の大邸宅に住んでいたが、中国留学生たちを寄宿させて世話をするなど、保護司としてボランティア活動に生涯を捧げた。満州から引揚て、日大芸術学部に入学、悪友の三木のり平らと江ノ島カーニバルの芝居にでるため鎌倉の寺(密蔵寺)を借りて宿泊稽古をやっていた。そこで松竹にスカウトされ、スター街道(「愛染かつら」がデビュー作品)を歩み始めたと云われている。(写真のクロネコは和可菜のメメちゃんです)
                                                                      おてごろ観光協会
by daisukepro | 2006-02-24 14:53 | 観光


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