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石原特攻映画異聞

石原特攻映画異聞

もうすぐ大相撲11月場所が始まる。あの元時津風はいま何処に、リンチ殺人に加わった若い衆の素顔が見たい。朝青龍はモンゴルでジンギスカンを食っているか。日本に戻って謝罪すれば、また東の正横綱になるのか。八百長疑惑はどうなっているのか。相撲協会にそこが聞きたい。
亀田反則事件は長男だけの謝罪でいいのか。全日本プロボクシング協会のコメントが聞きたい。さんざん亀田親子をほめまくったテリー伊藤、「反則はいけないが、これまでのやり方は悪くない」、「記者会見、興毅は若いのに父親のかわりによくやった」。テレビ局はこの連中に自己弁護させて、また同じことを繰り返すつもりか。プロボクシングには裏社会の賭けがつきもの、テレビスポーツ局がそれを知らないなんてことはない。でも、口にするコメンテーターはいない。TBSのスポーツ局の悪の構造、人脈、そこが伺いたい。「亀田選手は放さない。みなさん見たいだろう」、この社長の弁明、どこかで似たようなコメントを聞いたことがある。それでも、あなたはTBS社長なのか、それとも風俗店長なのか。盗人にも一分の理屈意。テレビカメラが亀田を追う。自宅から空港、メキシコまでも。テレビ局ってなんなのさ。視聴者は見たくもない亀田一家を見せ続けられるのか。いやになるほど、ネタにつまれば、また亀田家は事件を起こすだろう。人間が犬に噛みつけば記事になるが、優等生の亀田家ほどシクラメンなものはない。

前置きはこのくらいにして、本題に入ろう。石原特攻映画異聞_c0013092_233949100.jpg
石原特攻映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」は石原東京都知事の期待に背いて惨敗に終わった。写真は事務所開きの机の上に置いてあった日本酒だが、ラベルの文字が空しい。この映画の制作費は7億かかったと推測されている。興収12億では制作費はとてもペイできない。石原将軍は「弟子の監督が金を使いすぎたので」と語って責任を「敗残の兵」に転嫁した。この映画についてこれ以上話す気もないが、なぜ、多くの兵士たちが自発的に特攻を志願したのか。そこが知りたい。
2007年10月21日(日) 午後9時〜9時49分NHK綜合で放送されたドキュメント[学徒兵 許されざる帰還〜陸軍特攻隊の悲劇〜]はこころを打つ、まぎれもない傑作であった。
昭和18年の10月、戦局が急速に悪化する中、2万5千人の若き学徒が動員され、太平洋の激戦地へ送られていった。その中で飛行兵を志願したものの多くが特攻兵となった。参謀たちの作戦計画では戦闘機に爆弾を積んで敵艦の上空から急降下して体当たりするというものだったが、時速300キロを超えると操縦不能になり、350キロで空中分解する。これで敵艦を轟沈するのは不可能と分かり、海上をすれすれに飛行して体当たりすることを命じられた。しかし、これには高度の操縦技術が必要とされる。敵の集中砲火をかいくぐって敵艦まで到達しなければならなかった。わずか1年足らずの訓練で、急ごしらえされた志願航空兵の技術では無理であった。最後の沖縄戦では、海面に激突して300人を超える学徒兵が散った。将軍は出撃前の特攻兵と茶碗酒をのみ交わし、「諸君は既に神である。心配するな、諸君だけをやらない、私も最後にはゆく」と死にに行く若き兵士たちを見送った。しかし、将軍は約束を守らなかった。自分だけは生き伸びて、長寿をまっとうしたという。
特攻のためにあてがわれた戦闘機は旧式のものが多かった。目的地に着く前に飛行不能になった。そのため半数の特攻兵は不時着、または、帰還を余儀なくされた。生き残った志願兵は次の特攻任務が決まるまで、収容所に軟禁された。生きて帰還する特攻兵は存在してはならなかったからだ。その中のひとりが特攻隊の真実を次のように証言した。
ある日、参謀が訓練基地にやってきた。若き学徒航空兵を兵舎に集め、参謀はきびしい戦局と特攻作戦について演説した。そして、全員に一枚の紙片を配布して部屋から出て行った。そこには(特攻を)「熱烈に希望する。希望する。希望しない」と書いてあった。いずれかに◯を付けろと言われた。最初、多くの兵士は希望しないに◯を付けたが、一人の兵士が立ち上がって「この基地まで参謀がやってきたことを重く受け止めないといけない」と発言した。それから、部屋の雰囲気は一変した。熱烈に希望するに丸印を書き換えるものが続出した。
後で知ることになったが、生還した兵の中には希望しないに◯をしたものがいた。どこに、印をつけて態度を表明しようが、結果は同じだったのだ。
これが、志願と云う名の命令の実相ではなかろうか。
生還した老兵は最後にこう語った。「出撃の前夜、戦友と語り明かした。人の命は地球よりも重いことを知っている。何のために死ぬのか。理由もなく死にたくない。死んだらどうなるのだろうか。死後にはなにがあるのか。だが、結論はでなかった。」戦友の言葉をいまも忘れない。「もし俺が生まれ変わったら、戦争のない国に生まれたい。そして、教師になって、生徒に尊敬される先生になりたい」戦友はこの最後の言葉を残して帰還しなかった。「戦争のない国に生まれたい」。老兵は戦友を思い浮かべて泣いた。
by daisukepro | 2007-11-05 23:41 | 映画


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