2017年 11月 24日 ( 4 )

原電、東海第二の延長申請 40年超原発、首都圏不安

首都圏で唯一の原発で、来年十一月で四十年の運転期限を迎える東海第二原発(茨城県東海村)について、運営する日本原子力発電(原電)は二十四日、原子力規制委員会に最長二十年の運転延長を求める申請書を提出した。東海第二は事故を起こした東京電力福島第一の原子炉と同じ「沸騰水型」で、同型の延長申請は初。申請は全国で四基目で、東日本では初となる。

 原電の石坂善弘常務執行役員がこの日、規制委を訪れ申請書類を手渡した。石坂氏は報道陣に「今回の申請はあくまで審査の一環。再稼働や廃炉の判断とは直接関係ない」と話した。防潮堤の建設など約千八百億円をかけて、二〇二一年三月までに対策工事を終えた上で、再稼働を目指す。

 東海第二が再稼働するためには、規制委が運転延長を認めるほかにも、新規制基準に基づいた審査で「適合」と判断される必要がある。規制委はこれまでに想定される津波の高さなど、新基準に適合するかどうかの審査をほぼ終えており、年明けにも「適合」の判断が示される見通し。

 原電は運転延長の申請のため、原子炉などの劣化状況を調べる点検を十月末までに終えていた。今月二十八日が期限だった。原発の運転期間を巡っては、福島第一の事故を受け、原子炉等規制法で原則四十年に制限された。ただし規制委が認めれば、一回に限り、最長二十年の運転延長が可能となる。これまでに、福井県の関西電力高浜1、2号機と美浜3号機の二原発三基が延長申請され、規制委は、いずれも認めている。

 ただ、東海第二原発の三十キロ圏には約九十六万人が生活し、十四市町村が避難計画を作ることになっているが、いまだにまとまっていない。また、原電は再稼働する際、立地する県と村のほか、三十キロ圏の水戸や日立など五市の同意を取ると表明しており、ハードルがある。原電の村松衛(まもる)社長は二十一日、茨城県の大井川和彦知事と面会し、二十四日に延長申請する方針を伝達していた。

◆30キロ圏96万人どう避難

<解説> 東海第二の運転延長が申請されたことで、再稼働にまた一歩近づいた。だが、原発三十キロ圏には全国最多の約九十六万人が生活し、大事故が起きた時に、無事に逃げ切れるのかという問題を残したままだ。住民の不安を拭うことが、最も大切になる。

 福島の事故では、放射性物質が広範囲に飛び散り、避難も大混乱した。その反省から、避難計画の策定対象が、原発三十キロ圏の市町村に、法で義務付けられた。

 どの原発でも、避難計画が「机上」にとどまり、実際の事故で使えるのかが問われている。

 茨城県が二〇一五年に作った案では、三十キロ圏の住民は、県内のほか、栃木、千葉、福島など周辺五県に避難する。だが、原発事故と、地震や津波が同時に起きる複合災害や、避難先が同時に被災するケースなどを想定していない。

 自治体による避難の説明会では、住民から「高齢者や障害者が一人で逃げられない」「長期避難の生活が心配だ」と不安が漏れた。

 避難計画は再稼働にかかわらず、原発がある限り必要で、今も住民は危険にさらされている。そもそも、百万人近い人を想定した避難計画を作るのは、無理ではないかとの疑問がある。

 原電は再稼働前に立地する県や東海村のほか、水戸など五市も新たに同意を取る方針を示した。自治体側が、再稼働の是非を判断することになる。住民の安全を確保する最善の選択は何か。自治体側にボールは預けられた。 (山下葉月)

(東京新聞)

運転期間延長を申請した東海第二原発(左)=茨城県東海村で、本社ヘリ「おおづる」から

運転期間延長を申請した東海第二原発(左)=茨城県東海村で、本社ヘリ「おおづる」から


[PR]
by daisukepro | 2017-11-24 23:32 | 核廃絶

潮流(赤旗転載)

 〈漂泊(さすらひ)の信濃びとわれ東京のこの地に生きて世を終へむとす〉―長野県の農村に生まれ、50年以上を東京都文京区で暮らした歌人・窪田空穂(くぼたうつぼ)(1877~1967年)の生誕140年・没後50年を記念して、文京ふるさと歴史館で特別展が開かれています▼生涯に1万4千首以上の歌を詠んだ空穂。青天に映える春の桜、照り返す夏の若葉、夕日を集める秋の紅葉、白い富士山を望む冬の椿(つばき)などが、湯島天神や護国寺、住まいのある目白台を背景に細やかに歌われ、それは日々の生活を慈しみ、精いっぱい生き抜こうとする強い意志そのものに感じられます▼故郷で代用教員をしていた頃の教え子だった妻を三女の死産に伴って亡くし、47年に次男がシベリアで戦病死した空穂は、愛する者たちの命を惜しみ、そのかけがえのなさを歌に刻み続けました▼長歌「捕虜の死」は、生死不明だった次男の最期を帰国した戦友に知らされ詠んだ痛恨の挽歌(ばんか)です。極寒の土室の収容所で、高粱(こうりゃん)の粥(かゆ)に下痢は止まらず、着た切りの軍服に巣くうシラミにたかられ、チフスでもだえながら死んだというわが子を描出します▼「子を憶(おも)ふ」と題した歌〈いきどほり怒り悲しみ胸にみちみだれにみだれ息をせしめず〉にやり場のない憤怒と苦悩を込め、晩年になっても〈死にし子の年を数ふる愚かさをしばしばもしぬ愚かなり親は〉と詠んだ空穂▼この慟哭(どうこく)を今、胸に焼き付けたい。子が殺されることも、わが子を殺され親が嘆き続けることもない社会の実現に向けて。



[PR]
by daisukepro | 2017-11-24 12:08 | 潮流(赤旗)

(赤旗)南スーダンPKO 昨年7月 陸自宿営地に弾頭落下 首都ジュバ 戦闘そのものだった 近傍に戦車、頭上飛ぶ砲弾 資料に明記、防衛省認める

陸上自衛隊が南スーダンPKО(国連平和維持活動)に参加していた昨年7月、首都ジュバで発生した政府軍と反政府勢力の大規模な戦闘で自衛隊の宿営地上空を砲弾が通過し、複数の弾頭が宿営地内に落下していたことが、防衛省への情報公開請求や取材で分かりました。


写真

(写真)陸自中央即応集団司令部が作成した「モーニングレポート」2016年7月11日付に示された地図。「日本隊宿営地」のすぐ近くで「激しい戦闘」「RPG着弾」「TK(戦車)砲を射撃」などと記されています

 安倍政権は国会答弁で「発砲事案」などと言い換えて矮小(わいしょう)化し、派遣継続に固執しました。実際は戦闘そのものであり、一歩間違えれば現場の自衛官の生命にかかわる状況だったといえます。

 本紙は防衛省への情報公開請求で、陸上自衛隊研究本部が派遣部隊の報告に基づいて作成した「教訓要報」を入手しました。

 このうち、昨年7月の戦闘を経験した第10次派遣施設隊の「教訓要報」(今年4月13日作成)によれば、昨年7月8日午後5時30分ごろ、大統領府近傍で銃撃戦が発生。11日午後6時にキール大統領が停戦命令を発令しました。この間、自衛隊宿営地のあるトンピン地区付近の「トルコビル」で「戦車や迫撃砲を含む衝突」が発生したと明記されています。

図

 さらに、「宿営地への弾頭等の落下状況(平成28年7月14日までの時点)」との記述がありましたが、詳細は非開示でした。

 これに関して防衛省は本紙の取材に対して、「7月7日~11日にかけて大規模な武力衝突が発生し、戦車や迫撃砲が使用された。当時、日本隊宿営地で複数の弾頭を発見した。近傍で発砲した流れ弾が宿営地上空を飛来しており、その一部が落ちた可能性が高い」と回答しました。

 こうしたことから、南スーダン政府軍(SPLA)と反政府勢力(マシャール副大統領派)が宿営地をはさんで戦車や迫撃砲で砲撃戦を行い、その過程で弾頭が宿営地に落下したとみられます。

 今年5月28日放映のNHKスペシャルは、戦車の砲弾が宿営地上空を飛び交う中、家族あての遺書を書いたとの複数の隊員の証言を放映しています。

 国連は2011年7月の南スーダン独立に伴い、UNMISS(国連南スーダン派遣団)を創設。日本政府は12年1月から陸自部隊を派遣しましたが、昨年7月の大規模戦闘を受け、9月に撤退を検討。今年5月までに全面撤退し、活動を終了しました。



[PR]
by daisukepro | 2017-11-24 11:55 | 戦争への道

爆風16

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(16) 17/11/20

明日へのうたより転載

 武井技手は宮城少尉に「ありがとうございます。その時は一緒にお願いします」と頭を下げて別れ、自宅へ引き返した。しばらくすると同僚の小野伴作技手が玄関を開け、「私は逃げるので家で預かっている電話交換手の女性2人をお願いします」と言う。武井は「預かりましょうう」と即座に引き受けた。

 そこへ慌しく駆けこんできた30人ほどの一隊。左官の大蔵班長に率いられた工員たちだ。「武井技手殿、一緒に戦いましょう。我々はこのままただ死ぬのは嫌だ。ソ連軍に一矢報いて死にたい。警戒の人たちが軽機関銃を持って吉野山に籠ったそうです。我々も合流して戦いましょう」。と意気込む。

 武井はみんなを宥めて「諸君の気持ちはよく分かる。しかし陛下は何と仰せられたか。忍び難きを忍び、耐え難きを耐えと申されたではないか。今我々が一時の感情に逸り、ソ連軍に歯向かえば逆に殲滅されることは必至だ。私は戦わない。諸君も軽挙妄動を慎んでくれ」と諭した。てっきり先頭で戦ってくれると信じていた武井の言葉に拍子抜けした大蔵班長たちはうなだれて引き上げていった。

 それから間もなく近所の田島夫人が顔を出した。「武井さん。お宅はどうします」と聞く。「私のところは死にには行きません」と答えると夫人は考え込んた顔で帰っていった。

 すぐに隣家の山崎藤三次技手から声がかかった。「ほとほと弱りました。私は部隊長のお供をして死ぬつもりでした。覚悟を決めて身辺を片付け、書類や神棚を焼却しました。夕方になったので子ども6人と妻、私と8人揃って食卓を囲みました。妻がつくった精一杯のご馳走です。

 食事が終わって私は記章や勲章を胸につけて正装し、『俺は部隊長のお供をする。これから学校へ行くが、お前たちも一緒に行かないか』と言いました。すると11歳の長女と10歳の長男が『お父さん、行かないでください。死ぬのは嫌です』と泣きながら私にすがってくるのです。私は身動きできず途方に暮れています。どうしたらいいのでしょう」。山崎技手は心底困惑の様子だ。

 武井は「山崎さん死ぬのは止めましょう。なんとかなるかも知れませんよ。なんでしたら私の家へ皆で来ませんか」と誘った。武井の言葉に触発されて山崎の頭に冷静な思考が戻った。《ここは一つ運を天に任せてみるか。いざという時にはカプセルの白い粉を飲めばいい》。山崎は妻子を促して家庭用防空壕に入り、じっと様子をうかがうことにした。

 


[PR]
by daisukepro | 2017-11-24 05:22 | 爆風