2018年 02月 05日 ( 6 )

渡具知氏の当選によって市民が新基地建設を容認したと受け止めるのは早計である(琉球新報社説)

琉球新報の社説もご覧ください。

<社説>名護市長に渡具知氏 新基地容認は早計だ
2018年2月5日 06:01

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題が最大の争点となった名護市長選は、建設を推進する政府が推す無所属新人の渡具知武豊氏が、辺野古阻止を訴える無所属現職の稲嶺進氏を破り初当選した。

 渡具知氏の当選によって市民が新基地建設を容認したと受け止めるのは早計である。渡具知氏は、建設容認を明言せず、問題を解決するために国と対話する姿勢を示しただけだからだ。
 安倍晋三首相は2日の衆院予算委員会で、沖縄の基地負担軽減について「移設先となる本土の理解が得られない」との認識を示した。普天間飛行場の県内移設は、軍事上ではなく政治的な理由であることを首相が初めて認めたことになる。政治家として無責任で沖縄に対する差別発言だ。渡具知氏の当選をもって、他府県に移設できない新基地を名護市に押し付けることは許されない。
 当選した渡具知氏は辺野古移設について「国と県が係争中なので注視していく」と語っている。新基地容認とするのは牽強(けんきょう)付会である。
 一例を挙げれば、名護市長選を前に、琉球新報社などが実施した電話世論調査から市民の態度は明白だ。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画について、53・0%が「反対」、13・0%が「どちらかといえば反対」を選択し、66%を占めた。一方で「賛成」は10・5%、「どちらかといえば賛成」が17・8%と3割に満たない。
 渡具知氏の当選は、新基地建設の是非を争点化することを避けて経済を前面に出し、前回自主投票だった公明の推薦を得た選挙戦術が奏功したと言える。
 渡具知氏は「国と県の裁判を注視していく」と語りつつ「岸本建男元市長が辺野古移設を受け入れた。私はそれを支持し容認した」とも述べている。
 当時、岸本市長は受け入れに当たって、住民生活や自然環境への影響を抑えるための(1)環境影響評価の実施(2)日米地位協定の改善と15年の使用期限(3)基地使用協定の締結−など7条件を提示した。条件が満たされなければ「移設容認を撤回する」と明言した。岸本氏が示した条件は満たされていない。渡具知氏はこの点に留意すべきだ。
 一方、普天間の県外国外移設を求めている公明党県本部は、自民党が推薦する渡具知氏を推薦した。金城勉代表は渡具知氏と政策協定を結んだ理由について「地位協定の改定と海兵隊の県外、国外の移転を求めるということで合意に至った」と述べている。それなら海兵隊が使用する新基地は必要ないではないか。
 名護市の課題は新基地問題だけでなく、経済活性化や雇用促進も重要だ。基幹病院整備は早急に取り組む必要がある。福祉、教育、人口減なども切実だ。これらの課題にしっかり取り組んでほしい。
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by daisukepro | 2018-02-05 21:40 | 沖縄

沖縄県民があきらめないかぎり、辺野古新基地をつくることは絶対にできません。

2018年2月5日 日本共産党幹部会委員長 志位和夫
一、沖縄県・名護市長選挙で、稲嶺ススム市長の勝利がかちとれなかったことは、たいへんに残念です。大奮闘された稲嶺ススム市長と「オール沖縄」のみなさん、ご支援いただいた全国のみなさんに心からの敬意を表します。
一、当選した自民・公明推薦候補は、選挙戦を通じて、辺野古新基地の問題を一切語りませんでした。選挙結果は、名護市民が辺野古新基地を受け入れたことを意味するものでは決してありません。それは、各種メディアが行った出口調査で、6割以上の名護市民が「辺野古新基地建設反対」と答えていることからも明らかです。
一、「勝つ方法はあきらめないこと」——沖縄県民があきらめないかぎり、辺野古新基地をつくることは絶対にできません。
 たたかいは、これからです。
日本共産党は、沖縄と本土の連帯のたたかいをさらに強め、辺野古新基地建設の中止、普天間基地の無条件返還、基地のない平和で豊かな沖縄をつくるために、引き続き全力をあげるものです。


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by daisukepro | 2018-02-05 21:36 | 沖縄

財務省理財局の国有財産審理室長だった田村嘉啓氏が安倍晋三首相の妻昭恵氏付の政府職員から照会を受けた際、「森友学園に関係しての照会であったことは認識していたと思う」

 学校法人「森友学園」への国有地売却問題で2015年11月、財務省理財局の国有財産審理室長だった田村嘉啓氏が安倍晋三首相の妻昭恵氏付の政府職員から照会を受けた際、「森友学園に関係しての照会であったことは認識していたと思う」とする見解を、同省が共産党の宮本岳志衆院議員に文書で示していたことが31日、分かった。

     同省の佐川宣寿前理財局長(現国税庁長官)は昨年3、5月に国会で、照会は「(国有地賃料についての)制度に関する一般的な問い合わせ」などと説明。森友学園関連と田村氏が認識していたかどうかは「私は承知していない」と明言せず、あいまいなままだった。

     宮本氏は「財務省が早い時期から森友学園と昭恵氏のつながりを意識していたことが分かった。昭恵氏の存在が、国有地売却の際の値引き対応につながったのではないか」と指摘している。

     昭恵氏は15年9月から昨年2月まで、学園が大阪府豊中市の国有地で開校を目指した小学校の名誉校長に就いていた。

     学園は15年5月、国有地について国と定期借地契約を締結。学園前理事長の籠池泰典被告=詐欺罪などで起訴=は賃料値下げなどを求める同年10月26日消印の手紙を、昭恵氏付の政府職員を務めていた谷査恵子氏に送った。谷氏は国有地の管理や処分を担う田村氏に照会し、その結果を同年11月、籠池被告にファクスで返信した。

     籠池被告が昨年3月の国会の証人喚問で経緯を明らかにし、菅義偉官房長官はファクスの内容について「ゼロ回答だ」として問題はないとの認識を示している。(共同)


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    by daisukepro | 2018-02-05 12:24 | モリカケ事件 総理大臣の犯罪 

    佐川宣寿国税庁長官が理財局長当時に答弁していた内容が国会審議で次々と破綻

     国有地が格安で売却された森友学園問題で、財務省の佐川宣寿国税庁長官が理財局長当時に答弁していた内容が国会審議で次々と破綻している。一方、安倍晋三首相は佐川氏の国税庁長官への昇格を「適材適所」と強調。政府・与党は佐川氏の証人喚問などの国会招致に応じない構えだ。(金杉貴雄)

     財務省の太田充理財局長は一日の参院予算委員会で、国有地売却を巡り学園側との交渉に関する内部文書を、昨年十一月の会計検査院の報告前日まで提出しなかったことについて「文書に気付かなかった。おわびする」と釈明。公表した五件以外にも、同様の文書があると明らかにした。

     佐川氏は理財局長当時の国会答弁で「交渉記録は廃棄し、残っていない」と全て廃棄したとの認識を繰り返してきた。

     共産党の辰巳孝太郎氏は一日の参院予算委で「われわれは国会で再三提出を求めてきたのに出してこなかった。明らかな隠ぺいで、政権は隠ぺいを許容している」と批判した。

     破綻している佐川氏の答弁は、これだけではない。八億円もの大幅値引きでの売却について、国有地の地下で見つかった新たなごみの量を推計した結果を「適正」と主張したのもそうだ。会計検査院の報告も「十分な根拠が確認できない」としている。

     値引きに至る経緯も同様だ。佐川氏は「価格を提示したこともなく、先方からいくらで買いたいといった希望があったこともない」と事前の価格交渉を否定していた。だが実際は、近畿財務局の担当者が売買契約前に学園の籠池泰典前理事長と協議し、籠池氏から値引きを求められると「ゼロに近い金額まで努力する作業をやっている」と伝えていたことが分かっている。

     立憲民主党の枝野幸男代表は一月二十四日の衆院本会議で、佐川氏の一連の国会答弁を「虚偽」と指摘し、更迭を求めた。



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    by daisukepro | 2018-02-05 08:30 | モリカケ事件 総理大臣の犯罪 

    マルクス家の告白ゲーム4補足 ディドロの思想「もし私に神を信じさせたいとお思いでしたら、あなたは私に神にふれさせなくてはなりません」(平岡昇氏訳

    ディドロの生涯と思想

    La vie et la pensee de Diderot

     ドゥニ・ディドロ Denis Diderot、1713年-84年。フランスの哲学者・作家・編集者。たびたびの出版弾圧、執筆者の離散を跳ね返しながら1772年に図版集を含む『百科全書』の完結という大事業を成し遂げた。思想的にみると、若い頃は理神論的な立場をとっていたが、次第に独自の無神論に進んだ。ロシアの女帝エカテリーナ2世との交流も有名で、『百科全書』完結後の1773年、ロシアを訪問した。
     シャンパーニュのラングルの生まれで、家は刃物師。ラングルのイエズス会の学校で学んだ後、1728年にパリに出た。パリでは、はじめ語学、数学などを学んだが、就職問題で父と対立し、なかば放浪状態のなかで、1742年にパリに出てきたばかりのルソーと知り合った。この頃のディドロは、スタニヤンの『ギリシア史』の翻訳、シャフツベリーを自由翻訳した『人間の真価と美徳に関する試論』の出版などを行っていた。
     転機が訪れたのは1745年で、この年、ル・ブルトン書店が英国で成功したチェインバースの百科事典の翻訳の話をディドロにもちかけ、ディドロは単にこれを翻訳するのではなく、それをさらに網羅的なものにして刊行することをル・ブルトンに逆提案し、受け入れられた。また自分より若いがすでに科学アカデミーの会員で社会的知名度の高いダランベールを共同編集者に引きずり込んだ(ダランベールは1759年に編集から撤退)。ディドロの報酬は総額7,200リーヴルと決められた。
     この間、女性性器(宝石)が過去の自分の情事の話をするという『お喋りな宝石』を匿名で出版し(1748年)、当局ににらまれる原因をつくった。
     またこれに続いて、1749年には、やはり匿名で『盲人に関する手紙(盲人書簡)』を出版したが、その内容が無神論的であるとしてヴァンセンヌに投獄された。神を讃美する牧師に対し、「もし私に神を信じさせたいとお思いでしたら、あなたは私に神にふれさせなくてはなりません」(平岡昇氏訳、「ディドロ著作集第1巻」所収、法政大学出版局)とする盲目の学者の言葉は、とりわけ有名である。獄中では、プラトンの『ソクラテスの弁明』の翻訳を行った。知のあり方をめぐって理解なき市民や国家に警鐘を発し続けたソクラテスは、晩年にいたるまでディドロの範の一人であった。入獄中にルソーが訪問し、ディジョンのアカデミーの懸賞論文(のちの『学問芸術論』)への応募について話し合ったことも有名。
     出獄後、ディドロは『百科全書』刊行のための仕事を精力的に再開し、1751年の刊行にこぎつけた。これ以降のディドロの執筆活動は、『百科全書』を核に展開する。
     しかし『百科全書』の出版事業には宗教界などからの反発が多く、エルヴェシウス『精神論』発禁事件の余波を受けて、1759年ついに発禁処分を受けた。これ以後ディドロは、その刊行再開を期してひそかに『百科全書』の記事の執筆・編集を続けることとなった。その後、『百科全書』は1762年にまず図版の刊行から事業が再開され、1765年に本文刊行も再開し、1772年に全巻が完結した。
     『百科全書』の編集が非合法化された1760年代からは、その記事の執筆のみならず、他の著作活動も活発に行うようになったが、その大半は出版せず、雑誌に寄稿したり知人に回覧させるだけだった。このため、生前は、こうしたさまざまの分野での活動はほとんど知られず、同時代人にはもっぱら『百科全書』編集者として遇された。
     代表的著作に『盲人に関する手紙(盲人書簡)』Lettre sur les aveugles(1749年刊)、『修道女』La Religieuse(1760年執筆)、『ラモーの甥』Neveu de Rameau(1761年執筆開始)、『ダランベールの夢』Le Reve de d'Alembert(1769年執筆)、『ブーガンヴィル航海記補遺』Supplement au Vayage de Bougainville(1772年執筆)、『運命論者ジャックとその主人』Jacques le fataliste et son maitre(ロシア滞在中に執筆)、『哲学者セネカの生涯とその著作』Essai sur la vie de Seneque le philosophe(1778年刊)など。その小説の多くは、明確なストーリーをもたずに復層的に展開する実験的なものである。
     またグリムの「文芸通信」に断続的に掲載されたサロン展の批評によって近代的美術批評の祖ともされる。その批評論は『絵画論』Essai sur la peinture(1766年刊)に結実した。
     遺言により、遺体は医学実験のために解剖された。
     ディドロの遺稿は、弟子のネジョン、ロシア宮廷、娘アンジェリクのもとに分散し、手許の遺稿をもとにまずネジョンが初の全集を刊行した(1798年、全15巻)。しかし、たとえばネジョンが原稿をもっていなかった『ラモーの甥』はこの全集に含まれておらず、たまたまそのコピーを入手したゲーテのドイツ語訳によって初めて刊行される(1805年)など、ディドロの思想の全貌は没後もなかなか明らかとならなかった。アンジェリクの子孫に伝わった遺稿をも含む全集が刊行され出したのは、20世紀に入ってからである。

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    by daisukepro | 2018-02-05 08:14 | 文化

    辺野古新基地建設を推進する政府の支援を受けた渡具知武豊氏が当選 3458票差

    米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題が最大の争点となった名護市長選は4日に投開票され、移設を推進する政府が推す無所属新人の渡具知武豊氏(56)=自民、公明、維新推薦=が2万389票を獲得し、初当選した。移設阻止を訴えた無所属現職の稲嶺進氏(72)=社民、共産、社大、自由、民進推薦、立民支持=は1万6931票で、3458票差だった。

     市長が移設反対派から変わるのは8年ぶり。日米両政府が進める辺野古移設が加速していくことは確実で、移設阻止を訴える翁長雄志知事ら「オール沖縄」勢力には、秋に予定される知事選に向け大きな打撃となった。

    米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設が最大争点となった4日投開票の名護市長選で、移設を推進する政府与党に支援を受けた渡具知武豊氏(56)が移設阻止を掲げた稲嶺進氏(72)を下し、初当選した。政府は2017年4月に護岸工事に着手して以降、工事を推し進めている。渡具知氏が当選したことで政府は工事をさらに加速させそうだ。

     辺野古新基地建設を推進する政府の支援を受けた渡具知武豊氏が当選したことで、国は「名護市民は新基地を容認した」とけん伝し、工事を一層加速させてくると思われる。これまで、地元の民意を根拠に辺野古新基地建設阻止の方針を掲げていた翁長県政は厳しい状況に追い込まれる。衆院選など各種全県選挙で辺野古新基地建設反対の民意が示されていることから、知事は引き続き辺野古新基地ノーを堅持する見通しだが、その実現への戦略は見直しを迫られそうだ。県知事選への翁長氏自身の動向も注目される。
     渡具知氏は選挙期間中、辺野古の新基地建設の是非の明言は避け「(県と国の)裁判の行方を注視する」と述べるにとどめてきた。しかし、基地受け入れが条件とされる再編交付金については「特段断る理由はない」などとし、受け取る意向を示している。
     再編交付金の受け取りと新基地建設反対が両立し得ないことを考えると、渡具知氏が近く辺野古新基地「容認」の姿勢を示す可能性が高い。名護市長は美謝川の水路切り替えなど工事を進める上での許認可を有しており、市長判断が基地建設の進展に大きな影響を与える。
     県は今後、これまでの全県レベルでの選挙で新基地建設ノーを掲げる候補が当選しているという事実や護岸工事着手に際し、度重なる県の行政指導を無視し工事を進める国の対応などを根拠に新基地建設反対の理論武装をしていくとみられる。埋め立て承認の撤回やそれに関連する県民投票、秋の知事選など重大局面が続く。(仲井間郁江


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    by daisukepro | 2018-02-05 06:19 | 沖縄