2018年 02月 14日 ( 6 )

沖縄米海兵隊 過去最大 配属歩兵3個大隊

沖縄米海兵隊 過去最大 配属歩兵3個大隊

政権「負担軽減」どこへ

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(写真)日米共同演習で演習場内に投入され、展開する米海兵隊員=2017年3月10日、群馬・相馬原演習場

 沖縄県名護市の米海兵隊キャンプ・シュワブに司令部を置く第4海兵連隊に、米本土やハワイから増強されている歩兵大隊が過去最大の3個大隊になっていることが米海兵隊のニュースなどでわかりました。安倍内閣の強調する「沖縄の負担軽減」とは正反対に、米軍がアジア重視戦略のもとで朝鮮半島やインド・アジア太平洋地域での有事に即応するための海兵隊の増強・強化が進んでいます。

 今年1月の時点で第4海兵連隊に配属されているのは第8海兵連隊第1大隊(ノースカロライナ州、昨年8月から)、第1海兵連隊第2大隊(カリフォルニア州、昨年10月から)、第3海兵連隊第3大隊(ハワイ州、昨年12月から)の3個大隊です。米海兵隊の歩兵大隊は定数960人で、これだけで3000人規模の増強です。

全土に訓練拡大

 昨年10月から配属の第1海兵連隊第2大隊は、12月末から東富士演習場(静岡県)での訓練を開始。合わせるように今月15~22日には東富士、北富士(山梨県)両演習場でMV22オスプレイの離着陸訓練も予定されています。

 第4海兵連隊に配属された歩兵大隊は、沖縄県内のキャンプ・ハンセンやジャングル戦闘訓練施設、東富士演習場や隣接する米海兵隊キャンプ富士、北富士演習場(山梨県)などでの訓練を実施。昨年3月、相馬原(群馬県)、関山(新潟県)両演習場や12月に大矢野原演習場(熊本県)で実施した「フォレスト・ライト」など日米共同演習にも参加しています。

 昨年8月に北海道で行われた「ノーザン・ヴァイパー」には、歩兵大隊だけでなく砲兵大隊や、オスプレイやCH53E、AH1Z、UH1Yヘリも参加。沖縄への海兵隊の増強、日本全土への訓練拡大と事故の頻発は軌を一にしています。

韓国や豪州にも

 第4海兵連隊に6カ月交代の部隊展開計画(UDP)として米本土やハワイからの歩兵大隊の配属を始めたのは、2012年6月。11年12月の、米国のイラク撤退完了宣言とアジア重視への転換、朝鮮半島有事の即応部隊として沖縄に第3海兵遠征旅団司令部の発足を受けた形です。第4海兵連隊司令部は、第3海兵遠征旅団で歩兵や砲兵などを指揮する地上部隊司令部です。

 当初、1~2個の配属が昨年2月、第4海兵連隊が開設した「フェイスブック」上で、連隊の定数いっぱいの3個大隊が配属されたことが明らかになりました。これらの大隊は、オーストラリアや韓国にも展開。西海岸、東海岸、ハワイからそれぞれ前方展開大隊を1個ずつ常時派遣する体制がつくられました。

 米海兵隊の歩兵大隊の大幅な増強は、沖縄にいっそうの基地負担を押し付け、米軍が日本全土をアジア各地への出撃・訓練拠点として強化していることを改めて示しています。

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by daisukepro | 2018-02-14 17:26 | 米軍基地

安倍晋三首相は、裁量労働制の根拠としたデータに問題があったことを認め、答弁を撤回し陳謝した。

安倍晋三首相は十四日午前の衆院予算委員会で、裁量労働制で働く人の労働時間が一般の労働者よりも短いことを示すデータがあるとした自らの国会答弁について、根拠としたデータに問題があったことを認め、答弁を撤回した上で「おわび申し上げたい」と陳謝した。

 自民党の江渡聡徳氏の質問に答えた。首相が撤回したのは、一月二十九日の衆院予算委での答弁。厚生労働省の二〇一三年度労働時間等総合実態調査結果を基に「裁量労働制で働く方の労働時間の長さは、平均的な方で比べれば一般労働者よりも短いというデータもある」と強調した。

 この調査を巡り、野党はこれまでの審議で「一日に二十三時間以上働く人が九人もいる。一時間も寝ていないことになる」(希望の党の山井和則氏)と数値の不自然さを指摘。加藤勝信厚労相は問題を認め、精査する考えを示していた。十三日の衆院予算委でも立憲民主党の長妻昭代表代行が首相答弁の撤回を要求したが、首相は応じなかった。

 十四日の衆院予算委で、加藤氏は「一万を超えるデータを利用している。個々のデータの精査に時間を要している」と説明。データの撤回を表明し「国民に迷惑を掛けた」と陳謝した。

 立憲民主党の枝野幸男代表は、答弁やデータの撤回を受け「間違った事実に基づき政府は説明してきた。議論の時間を空費させた責任を取るべきだ」と要求。河村建夫委員長(自民)は「データに瑕疵(かし)があり、このような結果になったことは遺憾に思う」と話した。枝野氏は厚労省に全データの公開を求め、加藤氏は応じる構えを示した。

 労使であらかじめ定めた労働時間分だけ賃金を支払う裁量労働制は、政府が今国会に提出する「働き方」関連法案に、対象業務の拡大が盛り込まれる予定。 (新開浩)

<裁量労働制> 実際に働いた時間ではなく、あらかじめ決められた時間を働いたとみなし、賃金を支給する制度。仕事の進め方が労働者の裁量に大きく委ねられる職種が対象となる。弁護士や編集記者などの「専門業務型」と、企業の中枢で企画などを担う事務系の「企画業務型」の2類型。労働者が主体性を持って仕事を進められるとされるが、深夜や休日に働いた場合以外は割増賃金が支払われない。導入には、労使協定の締結や労使委員会の決議が必要。

(東京新聞)


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by daisukepro | 2018-02-14 17:22 | 労働運動

通常国会3週間 浮き彫りになったのは

2018年2月13日(火)

通常国会3週間 記者座談会

浮き彫りになったのは

 開会して3週間がたつ通常国会は、2018年度予算案をはじめ国政の私物化疑惑、憲法9条改定問題など国政の重要課題をめぐって与野党の激しい論戦が続いています。序盤の国会論戦の特徴について、国会取材団の記者で語り合いました。


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(写真)安倍晋三首相らに質問する辰巳孝太郎議員(右手前から2人目)=1日、参院予算委

「改憲」連発・森友答弁・副大臣暴言

深まる「政治劣化」

尊重・擁護に背き

  この間、本会議や予算委員会で安倍晋三首相をはじめ全閣僚出席の質疑が行われたが、まず答弁のひどさが際立っている。安倍政権の「政治の劣化」が深まっている。

  安倍首相は改憲に踏み込む発言を連発している。なかでも、改憲議論を進めるのは「私たちの義務」(1月31日の参院予算委)とまで言い切ったのにはあきれた。首相をはじめ国務大臣や国会議員に課せられているのは、憲法を尊重・擁護する義務であって、改憲議論をする義務ではない。

  森友学園への国有地売却問題でも、安倍首相は「丁寧な説明」とは真逆の答弁を繰り返しているよ。森友問題について聞かれると、安倍首相は「朝日」や同学園の理事長だった籠池泰典被告の名前をあげて「裏とりをしない記事」「真っ赤なウソ」(5日の衆院予算委)と非難した。他者の信用をおとしめることで、議論をそらす姿勢に怒りを感じたよ。

閣僚資格欠く答弁

  首相自らこんな姿勢だから政権を支える面々も自制がきかない。衆院本会議(1月25日)では、日本共産党の志位和夫委員長が沖縄県で相次ぐ米軍機事故の問題をただしている最中に、松本文明前内閣府副大臣が「それで何人死んだんだ」とヤジを飛ばした。

  本会議場でヤジを聞いていたが、事故を軽んじる許しがたい暴言だ。赤旗記者が本人に直接あたって“自らの発言だ”と認めさせ報じると翌日、他紙も後追い取材を始めた。安倍首相はあわてて松本氏を辞任させたが、辞任で済まされる問題ではない。

  予算委員会の審議でも閣僚としての資格を欠くひどい答弁が続いている。江崎鉄磨沖縄・北方担当相は、沖縄振興に関する予算案で概算要求から減額された額「65億円」を3ケタも間違えて「650万円」(8日の衆院予算委)と答えるなど、3日連続で誤答弁をしている。江崎氏は、一度は入閣を断ったと言われている。日ロ領土問題についても自分で「素人だ」といって物議を醸した。ここでもそんな人物を閣僚に据えた安倍首相の責任が問われている。

  自身の秘書らが選挙区内で線香を配った問題が問われている茂木敏充経済再生相をめぐってもそうだね。野党が事実を確認する質問をしても「(野党の)各議員に対して、さまざまな事例の報道もある」(8日の衆院予算委)などとはぐらかす。国民の声に耳を傾けようとしない、説明して理解を得ようという姿勢もない、それで改憲に突っ走る―安倍政権は究極の「モラルハザード(倫理喪失)」政権だ。

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(写真)傍聴者と懇談する志位和夫委員長ら=5日、国会

自民支持者も「見方変えた」の声

共産党の“論戦力”

  そんな中、安倍政権に一番、厳しく対峙(たいじ)していた日本共産党の論戦が光っている。テレビ中継された質疑を見て「自民党を応援してきたが、見方を変えた」という声をいくつも聞いた。

志位質問への反響

  志位委員長が「すべての国民の権利にかかわる重大な問題だ」として、生活保護を削減しようとする安倍政権の方針を批判した(5日の衆院予算委)。当事者の言葉で、生活保護の暮らしぶりを突き付けて、「これが、憲法25条が保障する健康で文化的な生活か」との追及には「私たちの苦しんでいることをよく言ってくれた」と反響が相次いだ。

  その予算委員会の傍聴には「JCPサポーター」の人たちも含めて、91人も駆け付けて真剣に審議を見守っていた。

  そういえば、志位委員長が衆院本会議で生活保護削減の問題を取り上げた際には、自民党席からひどいヤジが上がっていたけど、予算委員会ではさすがに静まり返っていたのが印象的だった。

  森友学園への国有地売却問題では、辰巳孝太郎参院議員が、安倍首相の妻の昭恵氏から「頑張ってください」という激励の電話を受けたと同学園理事長だった籠池泰典被告が話している音声データを暴露して注目を集めた(1日の参院予算委)。

  財務省は、辰巳氏の追及で、これまで公開した以外にも売却交渉に関する内部文書が存在することも初めて明らかにしたよ。9日に財務省が新文書を公表すると、各紙が大きく報じた。「記録は廃棄した」としてきた佐川宣寿・前理財局長の国会答弁が虚偽だったことが明確に裏付けられたことになる。

  共産党の追及には、マスコミだけでなく、他党議員も注目しているね。宮本徹衆院議員が、防衛省が護衛艦で新種航空機を運用するための調査研究を行っていることを追及(7日の衆院予算委)すると、翌日の同委で立憲民主党の本多平直衆院議員も宮本氏の示した資料をもとに、護衛艦の空母化を検討している疑いを指摘。「東京」が小野寺五典防衛相の答弁を引きながら後追いしていたよ。

政治動かす力発揮

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(写真)質問する田村智子議員=1日、参院予算委

  有期雇用労働者の雇い止めをめぐっては、田村智子参院議員が参院予算委(1日)で取り上げた翌日に日本貿易振興機構(JETRO)と経済産業省が計画の全面撤回を報告するなど、実際の政治を動かす力も発揮している。

安倍9条改憲・「働き方改革」…

見えた 野党一致点

  国会序盤の論戦では、野党間の政策的一致点も見えてきたのが特徴だね。

首相の憲法観批判

  最大の課題は9条改憲だ。代表質問で、立憲民主党の枝野幸男代表は首相の憲法観を批判し「まっとうな議論ができるはずもない」と断じた。昨年の総選挙で9条を含む改憲推進を掲げた希望の党だが、玉木雄一郎代表は「立法事実がない9条改憲案には反対だ」と表明したよ。

  安倍政権が幕引きを図ろうとした森友・加計疑惑や、生活保護削減の問題も各野党がとりあげている。

  森友疑惑では、交渉記録を「全て廃棄した」との虚偽答弁を繰り返した財務省前理財局長の佐川宣寿国税庁長官について、立憲民主党の議員も同氏の罷免や証人喚問を行うべきだと主張した。

  安倍首相は「働き方改革を断行する」と表明したが、野党は「残業の上限を青天井にする働き方を拡大する」(立民・長妻昭衆院議員)、「過労死を増やす」(希望・山井和則衆院議員)と批判を強めているよ。

  野党間で政策的に一致してたたかっていける方向が生まれているのは重要だ。共産党は市民のたたかいと結んで、この国会共闘に全力をあげようとしている。

  それだけに与党は、野党の質問時間を減らし与党の持ち分を増やせと不当な要求をしている。

  実際に与党の質問時間は増えたが、政権に対する「監視役」には程遠い。予算委員会で自公の議員がひたすら「総理のご決意は?」とお伺いを立てるばかりだ。

数のおごりただす

  質問時間の配分に関する世論調査(JNN、3、4両日実施)では、「与党が多すぎる」41%が「野党が多すぎる」8%を大きく上回っている。

  国民が国会に求めていることは、政権をチェックし追及することだ。今後の国会で、数の力におごる安倍政権を厳しくただしてほしい。


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by daisukepro | 2018-02-14 09:17 | 政治

自己保身の政府広報に舵を切る産経新聞か。 変だ。変な国になってる…

2月8日 菅長官会見から【産経の記事劣化中】
産経記事
菅義偉官房長官は8日の記者会見で、東京新聞の望月衣(い)塑(そ)子記者が、4日の沖縄県名護市長選で米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古への移設を進める安倍晋三政権が支援した新人が初当選した結果を疑問視したことに反論した。「選挙は結果がすべてではないか。相手候補は必死に(辺野古沖の)埋め立て阻止を訴えた」と述べた。
望月記者は名護市長選について、移設反対が容認を上回ったという共同通信などの世論調査結果を引用しながら、「(市長選の)結果はこう出ても、民意は基地容認とは違うのではないか」と主張した。
 菅氏は「選挙の結果に基づいて、それぞれの首長が政策を進めるのが民主主義の原則であり、原点だ。世論調査のほうが民意を反映しているというのはおかしい。世論調査が優先されることはない」と強調した。

ー論の立て方が酷いー

『4日の沖縄県名護市長選で米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古への移設を進める安倍晋三政権が支援した新人が初当選した結果を疑問視したことに反論』と書いた。

菅長官さんが質問をきちんと聞かないまま思い込みで話したことをそのまま載せる産経新聞。
政権の広報誌ってこういうことか。

《当選結果を疑問視した事》にされてますね。
・・・恐ろしい新聞だ。

望月記者の質問要点は
政府の対応はこれまで何度も選挙で民意が示したことを無視する形で来た。もうどのみち仕方がないというせめて目の前の暮らしをよくしたと消極的な投票行動ではないか、と言う報道を踏まえて、政府の見解を質した。

これを《当選結果を疑問視》と菅長官さんの思い込みの解釈のまま使う

曲げますね〜。
産経さん。

ー言ったもん勝ちの今の社会風潮ー

普通に考えて、2月8日午前の2問目の質問前に司会者が最後の質問にしてくれと仕切り、その質問中に3回も割り込んで来て、司会者の上村が質問の邪魔をする。散々遮って質問の邪魔をたうえ、その主旨を理解しないまま「選挙は結果が全て」と言って、質問を続けようとする望月記者を無視して帰って行く。

午後になって一問目の質問は聞き流して、午前中の2問目の質問の主旨を都合の良いように断定して正論ぽく言い放つ。「先ほどのあなたの質問…」とだれも、どんな質問か確認できないまま言い放つ。そしてそれを記事にする産経新聞。

ジャーナリズムとしてでなく、自己保身の政府広報に舵を切る産経新聞か。

変だ。変な国になってる…。

2月8日 午後 菅長官さん会見 望月記者部分抜粋

https://www.youtube.com/watch?v=OcoWdmLOxfI

2月8日 午前 菅長官さん会見 望月記者部分抜粋

https://www.youtube.com/watch?v=d48OzefVo50

2018年2月8日午後 菅義偉 内閣官房長官 記者会見…
YOUTUBE.COM


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by daisukepro | 2018-02-14 09:06 | 沖縄

産経新聞の「おわび・削除」に思う 18/02/10

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

産経新聞の「おわび・削除」に思う 18/02/10

明日へのうたより転載

 「産経記事 おわび・削除」「『米兵が日本人救助』報道」「沖縄地元紙非難」「識者 紙面検証『不十分』」(9日付『毎日』)。産経新聞が12月12日付の朝刊紙面で、地元紙が米兵の交通事故を報じなかったことを非難する記事を載せたが、その非難が的外れだった。産経はその言い訳と地元紙への「おわび」を8日付同紙1面に掲載したと。産経が削除した記事とはとんなものだったのか。

 昨年12月1日、沖縄自動車道で6台の多重衝突事故があった。それに巻き込まれた米軍曹長が怪我をしたが、彼は怪我の前に日本人男性を救助したというのが産経記事。ところが記事はそこでおしまいでない。この米兵の美談を報道しない地元紙を「『反米色』に染まる地元紙メディアは黙殺を決め込んでいる」「メディア、報道機関を名乗る資格はない。日本人として恥だ」とののしった。ここで「日本人として」が出てくるあたりに昨今の国家主義・戦前回帰の風潮の反映が見られる。

 ところが後日の沖縄県警の発表では、そもそも米軍曹長の日本人救助との「美談」は存在しない。産経は米テレビや海兵隊の取材はしたが、県警への取材はしなかったことがはっきりした。交通事故の取材はまず警察からというのが報道の基本である。産経こそ、報道機関を名乗る資格はないではないか。

 米海兵隊も「曹長の美談」を否定したことから、追いつめられた産経新聞が遅ればせながら「おわびと記事の削除」をしたというのがこの話の顛末である。産経新聞東京本社乾正人編集局長は「再発防止のために記者教育を徹底する」と言うが、問題はそんな程度の言い訳で済む話ではないだろう。

 『毎日』記事で服部孝章立教大教授は「深刻な問題だ。産経新聞は沖縄メディアに対し、いわれのない非難をしたからだ。・・・一部勢力に支持されようとして書かれたと思われるが、検証はそうした事情を明らかにしていないのも問題だ」と指摘している。当然の指摘である。

 いま、沖縄では米軍駐留や基地拡大に反対する運動に対していわれのない誹謗中傷が強まっている。中心的指導者の平和運動センター山城博治議長は微罪で152日間も拘留された。沖縄2紙を潰せのかけ声のもと、基地反対運動には中国人朝鮮人がいる等のデマがふりまかれている。

 そのデマの急先鋒が産経新聞なのだ。こんどの「おわび・削除」に対して、非難された側の琉球新報普久原編集局長も沖縄タイムス石川編集局長も「率直に詫びた姿勢に敬意を表します」「報道機関として評価します」と大人の対応でこたえた。それはそれで立派だとは思うがおれにはちょっと「きれいごと過ぎる」とも思えるのだが。

 

 


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by daisukepro | 2018-02-14 07:51

沖縄ノート(10)―屈辱の戦後②  18/01/14

坂本陸郎(JCJ運営委員;広告支部会員)

沖縄ノート(10)―屈辱の戦後②  18/01/14

良民の戦後
 沖縄の人々は、戦前の天皇制国家に対して忠実であった。天皇を敬い、皇国に忠誠を尽くそうとする心情は、本土の住民以上であったとも言われている。それは、沖縄が同じ日本でありながら、地理的に本土から遠く離れた島であったからであった。そこでは、本土への一体化を求める感情が強くはたらいていた。
 去年(2017)の暮、乗換駅のホームで、沖縄ノート(8)で紹介した対馬丸遭難者、仲田清一郎氏と偶然会い、車中で会話を交わす機会があった。その折、仲田氏は、辺境であればあるほど、住民は国家に対して忠実になるものだ、という話をされた。そのとき私は、戦時下の沖縄では、本島のみならず離島の隅々まで皇国の思想が行き渡っていただろうことを想像した。
 彼らは素朴さゆえに、それを抵抗なく受け入れていたのではなかろうか。だが、天皇に帰依し国家に尽くそうとする心情は、やがて裏切られることになる。沖縄戦で頼りとした皇軍は、彼らが想う軍とは違ったものであった。天皇の軍は一般住民に対する加害者としての顔を持っていた。そうした軍の一面を、本土の国民の多くは信じ難いと思うであろう。
 敗戦後は、生きる手だてを失った沖縄の住民(本土の住民もだが)は、征服者であった米軍政府の庇護に頼らざるを得なかった。当時沖縄では、米国を自由と民主主義の国だとする宣伝が行われていたからでもあった。
 その限りでいえば、沖縄は本土と共通していた。だが沖縄では、その支配が、本土では想像できないほど横暴非道なものであった。そのことによって住民の軍政府に対する期待は短時日のうちに打ち砕かれることになる。それが、占領下の沖縄と民主化が行われた植民地であった本土との、戦後における違いである。
 1946年4月、ワトキンス少佐が、「アメリカ軍政府は、例えるなら猫であり、沖縄の住民は鼠である。猫と鼠の考え方の違いはあってはならない。講和会議〈51年〉がすむまでは鼠の声は認められない。アメリカ軍政府の権力は絶対である」と語っている。
 彼らは、沖縄を占領支配することを当然のように考えていた。その支配は、講和条約締結後にいっそう絶対的、暴力的なものとなっていった。その背景に何があったのか。
 詳しくは後述するが、1947年に天皇が、沖縄を米国に差し出す意思を米国政府に伝えている。その後の51年日本政府は、沖縄を日本領土から切り離すサンフランシスコ講和条約に同意し締結した。それによってアメリカの極東戦略のもとに沖縄の占領は固定化することになった。日本政府の希望に沿って、それが合意された点は重要である。

占領統治
 戦後の沖縄が日本本土とは異なる占領地であったため、支配者は傍若無人に振る舞うことができた。軍政府は、非人間的環境で荷揚げに従事する住民の働き方が気に入らないからといって、その報復として、命綱の食料などを扱う売店を閉鎖する指令を全島に告知した(前号で触れた)。1949年には、軍が供給する食料品の一方的な値上げを行うなどした。
 当時は、軍政府の指示によって、民間人による行政機関がつくられ、志喜屋孝信氏が知事職に就いていたのだが、彼は軍政府におもね、住民の声に耳を傾けようとしなかった。それが住民の反発を買い、辞職を迫られ、沖縄県議会議員全員が辞表を提出するに至り、売店閉鎖の指令は取り消された。これは「窮鼠猫をかむ」戦後初めての事件であった。
 一年が過ぎると、収容所で暮らす住民に、以前の居住地に帰ることが許され、まず首里と那覇の一部の住民が町や村に帰っていった。だが、多くの住民が帰るに帰れなかった。かつての村や町、集落が、戦禍で跡形もなく消えていたからだった。
そこには、有刺鉄線が張り巡らされ、「立ち入り禁止」のプレートが掛けられていた。しかたなく住民は、わずかに残った集落に、他の集落の住民と共に暮らすことになったのだが、当時は米兵の家宅侵入が横行し、女たちは床下や天井裏に隠れなければならなかった。
 住む家と土地を奪われた住民の悲しみは大きかった。鉄条網がめぐらされた基地建設予定地の敷地内には、先祖代々の墓があったのだが、その墓を見ることさえできなかった。それは、1950年代に始まる、基地拡張のための私有地強奪のまえぶれであった。

苦難と混乱
 住民は、耕すに土地なく、働き口といえば、米軍に雇われて働く以外になく、その職種も限られていた。しかたなく住民は、くず鉄を拾い集めたり、米軍の物資を横流しするなどして、日々しのぐしかなかった。
 1948年に本土並みの6・3制が敷かれたのだが、学校に行けず、働かなければならない多くの子供たちがいた。教育の場を奪われた子供たちは、米軍将校の身の回りの世話をするハウスボーイやメイドとなって働いた。親を失い一家の生計を支える12,3歳の少年、少女たちも数多くいた。そのころは、学歴を気にする親も少なかった。たとえ進学したとしても、沖縄では米軍の基地で働く以外に就職の見込みがなかったからだった。
 壮年の男たちは基地建設現場で、わずかな賃金で働いた。かつての教師も基地で働く大工になり、検事だった人が米軍基地ゲートの守衛になるなどした。
 さらに、1946年8月になると、中国、朝鮮、台湾などの外地から引揚者が続々と帰ってきた。引揚者たちは、沖縄に残っていた家族すべてを失った人や、学童疎開中の沖縄戦で両親を失った子供たちや、妻子を失った軍人など、それぞれの不幸を背負う人々であった。
 そうした引揚者たちも加わり、社会は混乱した。戦後一年が過ぎても、失業者が巷にあふれ、食糧が不足し、なんらかの方策をとらざるを得なかった。
 対応を迫られた軍政府は「沖縄開拓庁」を設置させ、食糧の調達と生産を図り、ハワイやアメリカ本土、日本本土から豚や牛、山羊、雛鳥などを調達し、住民に飼育させ、漁民には上陸用舟艇を払い下げ、漁業の再開を促すなどしていたのだが、当時の沖縄の人口45万人の食を満たすには、ほど遠かった。
 その頃、本土では戦後の経済復興が緒につき始めていた。そのような本土から見ると、沖縄は有望な市場に映った。沖縄では生産活動がほとんど無に等しかったからだった。

切り離された沖縄
 沖縄の占領支配を可能とした歴史上の事実を書き留めておきたい。
 当時、戦後に占領地をそのまま支配、統治することを、他の連合国は同意しなかった。国際法上からも、それが認められていなかった。そのため、米国は国際世論の非難から逃れるために、サンフランシスコ講和条約の中に、やがて沖縄を国連の信託統治に移すかのような条文を書き入れている。
 日本政府に関しては何ら問題なかった。当時の吉田茂首相が講和条約締結に先だって、99年間の租借(バミューダ方式)を提案することを西村熊雄条約局長に指示し、沖縄の半永久的占領を希望する旨を米国側に伝えている。この日本政府の意向は、他の連合国の承認を得るうえで有効であっただろう。したがって、その後米国は国連に対して、沖縄を信託統治に置く提案をいちども行っていない。
(資料)サンフランシスコ講和条約第二章・第三項 
『日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島および大東諸島を含む)、そう婦岩の南方諸島(小笠原群島、西の鳥島および火山列島をふくむ)ならびに沖ノ鳥島および南鳥島を、合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度のもとにおくことを、国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ、かつ可決されるまで、合衆国は、領水をふくむこれらの諸島の領域および住民に対して、行政、立法および司法上の権力の全部および一部を行使する権利を有するものとする』
  
 講和条約締結以前の1947年に、昭和天皇が沖縄の占領継続を希望する旨を米国側に伝えている。これが、世に言う「天皇の沖縄メッセージ」である。当時は連合国によって戦後処理を話し合う「極東委員会(FEC)」が置かれていたのだが、そこでは天皇を戦犯として起訴すべきという意見が支配的であった。また、アメリカ国内でも、天皇の戦争責任を求める世論が多数を占めていた。それを天皇は知っていたであろう。

 以下は、林博史著『沖縄戦が問うもの』から。
「戦後になり、日本国憲法が制定され、第9条により日本が軍隊と戦争を放棄したことに危惧を抱いた天皇は、日本と天皇制の安全のために、密かにアメリカと連絡をとった。1947年9月に天皇の側近である寺崎英成を通じてGHQの外交局長シーボルトに、『天皇は、アメリカが沖縄を含む、琉球の他の島々を軍事占領し続けることを希望している』こと、『長期の貸与』という形で占領を継続することなどを提案した。このことは米本土にも伝えられた。当時、米政府内では、沖縄の軍事占領を継続したい軍部と、連合国の建前から、沖縄を返還すべきと主張していた国務省が対立していた時期である。その時に、天皇は自らの安全のために沖縄を売り渡す提案をしていたのである。沖縄は天皇制を維持するために、ふたたび捨て石にされた」。この「天皇メッセージ」について、琉球新報の新垣毅氏が自著『沖縄のアイデンテイテイー』の中でこのように書いている。「25年から50年、あるいはそれ以上にわたる長期の貸与(リース)という『擬制(フイクション)』によって、沖縄の軍事占領を続けることを求めた内容は、『貸与』という見せかけの下、沖縄を『自由に使ってよい』というものだった。対日政策をめぐって混乱していた米政府にとって、(天皇の)提案は”渡りに船“だった。」                


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by daisukepro | 2018-02-14 07:43 | 沖縄