2018年 02月 22日 ( 8 )

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員) 芸能人の不利益契約に思う 18/02/18

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

芸能人の不利益契約に思う 18/02/18

明日へのうたより転載

 「移籍制限 法違反の恐れ 公取委」「芸能人の契約慣行」(17日付『赤旗』)。「公正取引委員会の有識者会議は15日、芸能人やスポーツ選手らの契約で、事務所が移籍制限など不利な条件を一方的に設けることは独禁法違反の疑いがあるとの報告書をまとめました」。

 芸能人やスポーツ選手などいわゆるフリーランサ―の地位が不安定であることは昔から指摘されてきた。何故か。いろんな原因があるかと思うが、一番にはその人たちが労働者として扱われているかどうかが問題なのだとおれは思う。芸能人らと出演契約(おれは雇用契約だと思うが)を結んでいる芸能事務所などに労働者を雇用しているという意識がないのは分かる気がするが、当の芸能人本人にもその自覚がない場合が多い。

 そのことをきちんと指摘して労働者としての自立、権利の主張、組織化の方向を先駆的に打ち出したのが佐藤一晴さんだった。佐藤さんは東大仏文学学部の卒業。広告代理店に勤めたが会社倒産に直面し、潰した毎日新聞を相手取って労働争議を始める。争議解決後、音楽家の労働運動に身を投じ、例の日本フィル争議を勝利に導いた。おれは一晴さんが争議を始めた時からの付き合いだ。

 一晴さんにはいろんなことを教えられた。それまでおれは企業内労働運動しか知らなかった。それが個人加盟の産業別組合の世界に目を開かされた。当時喧嘩するのは職制かせいぜい会社の労務、狭い範囲の労働運動だった。おれの場合はそれで結構労働運動として通じたが、音楽家ともなるとそうはいかない。

 おれが都労委の労働者委員になりたての頃、一晴さんが持ちこんだ事件に「モンテ企画」があった。日唱という合唱団の契約にかかわる事件で、普通の労使紛争と性格を異にしていた。まず使用者であるモンテ企画が頼りない。都労委には弁護士に連れられて社長が来ていたがまるで話にならない。佐藤一晴さんのほうがどう見ても人物が上だ。和解を勧告しておどしたりすかしたりしながらなんとか解決させた。

 和解協定書に、経営者と労働組合が対等に協議して合唱団を経営して行くことが明記された。それだけ一晴さんたちの方に経営の責任がかぶさるのだが、音楽業界とはそういうところだということが分かった。争議解決後渋谷のスナックで開かれた解決パーティに招かれた。合掌団員の女性たちに感謝されていい気持になったことを思い出す。一晴さんはいい仕事をしているなと羨ましかった。

 確かにフリーランサ―の雇用安定は大切だが。まず芸能人たち自身が自らを労働者として自覚することが大切だと思う。それが古希を前に胃がんが亡くなった一晴さんの願いでもあったはずだ。


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by daisukepro | 2018-02-22 20:59 | 労働運動

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員) 爆風(50) 18/02/22

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(50) 18/02/22

明日へのうたより転載

 松永歯科医が接した八路軍とはどういう軍隊だったのか。筆者の記憶によればその頃の両親も近所の人たちも八路軍を「パーロ」と呼んでいた。幾分かの侮蔑、恐れ、嫌悪感、それから若干の親しみなどが入り混じった言い方だったように思う。ソ連軍を「ロスケ」と呼んだ意味合いとはちょっと違う気がする。

 八路軍の前身は中国工農紅軍で、1937年8月、中華民国・国民政府の管轄下に組み込まれ「中国国民革命軍第十八集団八路軍」と改称された。根拠地は華北から満州にかけての地域で、中国中南部には「中国革命軍新篇第四軍」(新四軍)が配置された。国民政府軍が対日戦争の前線で戦ったのに対し、八路軍、新四軍は日本占領地域の後方でテロやゲリラ活動を行った。それらの兵は便衣兵とも呼ばれた。

 八路軍の幹部には解放後に要職に就いた著名人が多い。
  総指揮官 朱徳
  副総指揮官 膨徳海
  参謀長 葉剣英
  総政治部主任 任弼
   第115師団長 林彪
   第120師団長 賀竜
   第129師団長 劉白承

 これらの軍編成は正規軍のもので、下部組織として農村での生産活動から離れて遊撃戦を行う地方軍、生産活動をしながら適時戦闘に加わる民兵組織がある。それらを含んで45年当時の兵力は60万といわれていた。

 八路軍は将兵に対し「三大紀律 八項注意」と呼ぶ行動規則を科した。
  三大紀律 ①一切の行動は指揮に従う、②大衆からは針1本も盗らない、③捕獲品はすべて公のものとする
  八項注意 ①話は穏やかに、②売り買いは公平に、③借りたものは必ず返す、④壊したものは弁償する、⑤殴ったり罵ったりしない、⑥農作物を荒らさない、⑦婦人にみだらなことをしない、⑧捕虜を虐待しない

 実際の八路軍はどうだったのか。松永歯科医は次のように証言している。
 《遼陽市内の様子を探るため、国民学校の荷宮先生と2人で出かけたことがある。途中、歩哨の八路軍兵士から何度も身体検査を受ける。遼陽へ着くとまず商店に入って話を聞いた。松永たちを日本人と見て、店の主人が八路軍についてさんざん愚痴をこぼしはじめた。八路軍兵士は市場では通用しない貨幣で品物を買い、お釣りまでとっていく。品物をタダでやった方がましだという。

 そこへ表の通りを八路軍兵士が軍歌を歌いながら行進してきた。行列の中に負傷した元日本兵が銃剣でつつかれながら歩かされている。私たちは涙で見送るのみだった》。

 

 


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by daisukepro | 2018-02-22 20:54 | 爆風

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員) 爆風(49) 18/02/19

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(49) 18/02/19

明日へのうたより転載

4 八路軍駐留の時代 
 1945年11月18日、火工廠からソ連兵が撤収をはじめ、東北民主連軍の蘇文廠長以下十数名が替わりに乗り込んできた。東北民主連軍は4日前の11月14日に成立した軍隊で、前身は東北人民自治軍である。実体は中国共産党(八路軍)の軍隊だが、日本敗戦直前にソ連と中華民国・国民政府との間で結ばれた「中ソ友好同盟条約」によって満州地区では共産党軍は正当な組織と見なされなかった。

 中ソ友好同盟条約でソ連は国民政府にのみ軍需物資等の援助を行い、満州におけるソ連の軍事行動が終われば速やかに撤退し、国民政府による行政権が回復するものと規定された。国民政府と共産党軍は対日戦争では国共協定(国共合作)を結んで共に戦った。しかし日本敗戦で共通の敵がいなくなった時点で再び合い争うことになる。本格的な国共内戦となるのは46年6月からだが、双方は共に内政に備えた軍事組織を整備しつつあった。

 ソ連はこの時期、満州全域から撤退していくのだが、後の行政を任された国民政府はハルピン、新京、奉天などの大都市は押さえたが農村地帯までは力が及ばない。火工廠のある東京陵、唐戸屯は八路軍の支配下にあった。なおこの当時の東北民主連軍総司令官は後年文化大革命を推進した林彪である。林彪は1907年生まれだから当時は38歳、25年に共産党入党以来の毛沢東の戦友だった。

 火工廠に乗り込んできた蘇文は、唐戸屯の第二工場に本部を置き、工場再開へ向けた準備を始めた。関東軍火工廠は「東北兵工第七廠」(東北兵工廠)と名付けられる。主な工場設備はソ連に持っていかれたが、残った工場建物、機械、原料で国共内戦に必要な兵器・弾薬の製造を企図したのだ。

 民主連軍(実体は八路軍)は工場再開を目指して千人単位の兵を送り込んできた。彼らは日本人の個人の官舎に数人ずつ分宿した。その方法はかなり強引だった。筆者の家にも3人ほどの八路軍兵士が来て、3部屋のうち1部屋を占拠した。ソ連兵と違って女子どもに危害を加えたり、私物を略奪したりはしなかったが、土足で家に上がるなどの乱暴な行為は幼い筆者の記憶に刻まれている。

 歯科医の松永薫の官舎には小隊の隊長以下10人も分宿、家族は1部屋に閉じ込められた。全部屋占拠された家もあると聞いていたので1部屋でも使用許可が出たのでほっとした。彼らは不寝番を立てて警戒した。このためそれまで度々あった現地民の略奪行為がなくなったのは皮肉だった。

 松永は中国語ができるので彼らの話相手になった。それで隊長はじめ兵士に好かれた。八路軍は歌が好きだ。東方紅、太陽昇、中国出了毛沢東を歌った。俗歌の桃花江や毛々雨等も好んで合唱した。彼らの1人は「自分たちの親兄弟は日本軍に殺された。しかし今は恨んでいない。悪いのは軍閥、財閥であってあなた方ではない」と言った。自分たちの仲間に岡野進という日本人がいるとも。野坂参三のことだと気がついた。


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by daisukepro | 2018-02-22 20:48 | 爆風

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員) 爆風(48) 18/02/16

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(48) 18/02/16

明日へのうたより転載

 日本人の診療には邪魔をせず、中共軍兵士が巡回に来ると追い払ってくれた。11月になるとソ連と中共が混在して診療所の支配にあたるようになった。両者は仲が悪く、お互いに軽蔑し合っているように見えた。しかし最終的にはソ連の方が力としては上で、威張っていた。

 ある時、日本人の婦人の胸部診察をしているところへ悪気はなかったようだが中共軍兵士が入ってきた。言葉が通じないので手で押し出そうとしたら彼は怒って食ってかかってきた。そこへソ連兵が来合わせてしまい、中共兵との揉み合いになった。ソ連兵はベルトを抜いて中共兵を鞭打つ。中共兵は恨みのこもった眼を私に向けて部屋を出て行った。

 また私はソ連軍将校の夜の席に招待されることがしばしばあった。私としては気が進まないが断れない。ソ連のジープで中共軍の歩哨線を通過する。これも中共軍にとっては苦々しいことだったらしい。そんな些細な事柄が重なって後日ソ連軍撤退後、私が中共軍に報復される一因になった」。

 8.25の混乱が収まりほっとした頃、唐戸屯地区の矢部喜美子は隣組官舎の集まりによばれた。隣組12軒からそれぞれ婦人ばかりが集められ、組長からの話があった。「進駐してくるソ連兵のところへ、
輪番制で奥さんたちに行ってもらうことになるかも知れない。辛いことではあろうが、全員無事内地へ帰るためにはこらえてほしい」。身の毛のよだつような話だった。

 集まった婦人たちはびっくり仰天、ショックでみんな青ざめた。《そんな恥辱を受けるくらいなら、渡されて持っている青酸カリを飲んだ方がいい》。奥さんたちは叫んだ。集まりから帰っても気持ちは治まらない。いつそんな日が来るかと生きた心地もしない毎日だった。そこへ救いの神として来てくれたのが遼陽市内で水商売の仕事をしている女性たちだった。矢部喜美子たちは自分の着物をお礼にさし出した。そのようにして自らは恥辱を免れたが、同じ女性として胸の詰まる思いだった。

 10月17日、唐戸屯から東京陵へ向けて、ソ連軍少尉の運転する消防車が走っていた。無蓋の荷台には日本人の男女6人ずつ。運転が未熟なため車は蛇行を重ね、とうとう車輪が道脇の溝に落ち転覆してしまった。この事故で石坂俊子(22)、黒木幸子(20)の2人が横転した車の下敷きになって亡くなった。2人とも大坂の出身で、女子挺身隊として志願、唐戸屯の関東軍火工廠第四工場で働いていた。この事故以後、ソ連軍は兵士の勤務外の行動管理に厳しくなり同種事故の続発が防止された。

 


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by daisukepro | 2018-02-22 20:46 | 爆風

“新しいゴミ”ねつ造か 森友疑惑 宮本徹議員が追及

“新しいゴミ”ねつ造か

森友疑惑 宮本徹議員が追及

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(写真)質問する宮本徹議員=21日、衆院財金委

 日本共産党の宮本徹議員は21日の衆院財務金融委員会で、新たに入手した「地中埋設物処理報告書」を示し、大阪府豊中市内の国有地を学校法人「森友学園」に異常な安値で売却する理由となった「新しいゴミ」が、埋め戻された家庭ゴミだったのではないかと追及しました。

 2016年3月下旬に録音された財務省近畿財務局と森友側との懇談内容によれば、籠池泰典同学園理事長(当時)が「9月4日の打ち合わせ記録」を示し、地表から3メートルまでの大量の家庭ゴミを国の指示で埋め戻したと語っています。宮本氏は、近畿財務局担当者が確認した「地中埋設物処理報告書」を見れば、「生活ゴミを取り除いていないことは一目瞭然だ」と指摘しました。

 宮本氏は、開示された「法律相談」記録によれば、財務局職員が法務担当者に「新たに地下から家庭ゴミなどの産業廃棄物が出てきた」との相談を投げかけ、埋め戻した3メートルまでの家庭ゴミについては書かれていないとして、「意図的に隠して報告したのではないか」と追及しました。

 また、佐川宣寿前理財局長(当時、現国税庁長官)が同委で最初に「新たな地下埋設物」に言及した昨年2月15日の段階で、3メートルまでの「家庭ゴミ」の残存も知っていたのかとただすと、太田充理財局長は「承知して答弁している」と認めました。

 宮本氏は、「承知していたのなら、出てきたゴミは森友側が言う埋め戻した3メートルまでのゴミが出てきたと思うのが普通だ」と指摘。また、「フルイ選別埋め戻し状況」と記された写真を示し、「9月4日の打ち合わせ記録と同じ表現ではないか」「ゴミの埋め戻しの指示をしていないという近畿財務局担当者の主張を裏付ける証拠はあるのか」とただしました。

 財務局職員が現地で「新しいゴミ」を確認したとの主張を繰り返す太田局長に対し、宮本氏は、職員の説明の事実関係を確認するためにも、業者などに事情を聞くなどの検証作業を行うべきだと要求しました。



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by daisukepro | 2018-02-22 16:54 | モリカケ事件 総理大臣の犯罪 

改憲すり合わせの場にするな 参院憲法審 仁比・吉良議員が批判

改憲すり合わせの場にするな

参院憲法審 仁比・吉良議員が批判

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(写真)意見表明する仁比聡平議員=21日、参院憲法審査会

 今通常国会で衆参両院を通じて初となる憲法審査会が21日、参院で開かれ、各党が「憲法に対する考え方」について意見を交換しました。日本共産党の仁比聡平議員は「国民の多数が改憲を求めていないのに、改憲項目をすり合わせ発議への地ならしとなる危険をはらむ審査会は動かすべきでない」と主張。その上で、日米軍事一体化が進むもとでの自衛隊の実態を隠し、国民をあざむいて9条改憲を狙う安倍政権を厳しく批判しました。

 9条改憲をめぐって安倍首相は、「自衛隊の任務や権限に変更が生じることはない」などと繰り返し、自衛隊を明記しても何も変わらないとごまかし続けています。

 仁比氏は、安保法制=戦争法のもとにある自衛隊が、「核態勢の見直し(NPR)」で核先制攻撃も辞さない核兵器の前進配備を進めようとしている米軍との一体化を深め、海外での武力行使をふくむ態勢を増強していると指摘。戦争法に基づく米艦防護を発動しながら国民に一切説明しようとしない安倍政権のもとで、米軍と肩を並べてたたかう自衛隊に変貌させられている実態を示しました。

 仁比氏は「憲法9条を改悪し、安倍政権のもとで大きく変貌する自衛隊を書き込むなら、憲法9条2項の戦力不保持、交戦権の否認の意味は変わらないどころか百八十度くつがえされ、際限のない海外における武力行使に道を開くことになる」と批判しました。

 他方、3月25日の党大会へむけて改憲案のとりまとめを進める自民党は、憲法審査会の場を通じて改憲議論のすりあわせをはかる姿勢をにじませましたが、各議員によって立場が違うことも浮きぼりになりました。

 山谷えり子議員は、9条2項を残し、「前項のもと、わが国の平和と独立、国民の生命と財産を守り、国際平和に寄与するための自衛隊を置く」という自らの条文案を提示。安倍首相提案を支持する内容です。

 一方で、「3項に、自衛権とともに自衛隊を明記することもありえよう」「憲法を改正して自衛隊を国軍と位置づける必要がある」などの発言も自民党議員から相次ぎました。

 同党の西田昌司議員は「これからもこういった議論を進めていって、お互いに本音の議論をさせていただきたい」と述べて、審査会を舞台に改憲議論を加速させる姿勢を示しました。

 日本共産党の吉良よし子議員は、沖縄での米軍ヘリの部品落下事故で、政府などに米軍機の飛行停止を要請するために上京した緑ケ丘保育園の父母会の嘆願書の内容を紹介。米軍基地のもとで、「子どもたちの命を守って」という当然の願いも、憲法の平和的生存権も踏みにじられていると指摘しました。

 さらに、核兵器禁止条約に背を向ける安倍政権の姿勢を批判し、「変えるべきは憲法ではない。安倍政権のもとで広がっている憲法に反する現実こそ変えるべきだ」と強調しました。



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by daisukepro | 2018-02-22 16:51 | 憲法

東西南北若々しき平和あれよかし 白寿 兜太(とうた)

二十日に九十八歳で亡くなった俳人の金子兜太(とうた)さんに、ともに本紙「平和の俳句」(二〇一五~一七年末)で選者を務めた作家いとうせいこうさん(56)が追悼文を寄せた。

 いつかこの日が来ると思い、会う度に苦しかった。大好きな人だった。訃報は休暇で出かけたハワイ・マウイ島に着いたあと、電子メールを開くと届いていた。機内では何も知らずに真珠湾の記事を読み、空港で日系移民の展示を見て第二次大戦のことを考えていた。その時間にはもう、あの巨人は旅立たれていたのだ。私が時差を飛び越えているうちに、海の向こうに隠れてしまった。数日前に死亡記事が通信社の誤報で流れたことも、我々のショックをやわらげるための兜太さんの優しい冗談だった気がしてくる。

 自分にとって大きな山のような、どこまでもひたすら懐かしい親戚のような人であった。兜太さん自身も、今年初め埼玉県熊谷市のご自宅へ会いに出かけた折だったか、「いくら言いあいをしようが殴りあおうが、大切な友人であることは変わらない。それがあんただ」と言ってくれた。私にはそれが遺言だ。

 幸いにも二十数年前「伊藤園お~いお茶新俳句大賞」の選者として知りあって以来、対談集(『他流試合』講談社+α文庫)まで出していただき、晩年には「平和の俳句」選者として二年八カ月、毎月、東京新聞で会って話した。選句を生で見ることが、自分には何にも勝る勉強であった。よく出来た句には「つまらん」と言った。破天荒な句には「素直だ」と言った。どれほど体調がすぐれなくても、選句だけは早かった。

 現代俳句における偉大な業績はもちろんのこと、社会に関わる筋の通った活動にも目覚ましいものがあった。文学者として、また戦争体験者としての世界、そして人間への深い洞察はいつまでも私たちを導くだろう。

◆平和の俳句 戦後72年

 東西南北若々しき平和あれよかし 白寿 兜太(とうた)

 この句は、「平和の俳句」の最終日となった戦後72年の昨年12月31日、本紙に掲載した句の再掲。金子兜太さんの句に、いとうせいこうさんが句評を添えた

◆平和の俳句選者 金子兜太氏(かねこ・とうた=俳人、現代俳句協会名誉会長)

 20日午後11時47分、急性呼吸促迫症候群のため埼玉県熊谷市の病院で死去、98歳。埼玉県出身。自宅は熊谷市。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く。喪主は長男真土(まつち)氏。

 東京大(当時は東京帝大)経済学部卒。日本銀行に入行後、海軍主計中尉として南洋のトラック島に赴任。戦後は俳句に社会性や時代性、思想を取り込む革新をもたらし、俳誌「海程」を創刊するなど、戦後の俳句改革運動をリードした。

 56年現代俳句協会賞。83年から同会長を務め、俳句を通じた国際交流にも力を注いだ。日本芸術院会員。文化功労者。代表的な句に<湾曲し火傷し爆心地のマラソン>など。主な句集に「少年」「両神」「日常」、著書に「小林一茶」など。

(東京新聞)

語り合う金子兜太さん(左)といとうせいこうさん=昨年12月、埼玉県熊谷市の金子さん宅で(安江実撮影)

語り合う金子兜太さん(左)といとうせいこうさん=昨年12月、埼玉県熊谷市の金子さん宅で(安江実撮影)

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by daisukepro | 2018-02-22 07:55 | 文化

パシュート女子決勝で日本が金メダル 平昌オリンピックで新記録

パシュート女子決勝で日本が金メダル 平昌オリンピックで新記録

今大会の日本勢のメダル獲得数は計11個。最多だった長野を超える

AFP/GETTY IMAGES
優勝を喜ぶスピードスケートの女子団体パシュートの日本チーム

平昌オリンピックで2月21日、スピードスケートの女子団体パシュート決勝があり、日本はオランダを破って、金メダルを獲得した。2分53秒89のオリンピックレコードだった。

団体パシュートは3人一組で隊列を組んでタイムを競う種目で、日本は高木美帆、高木菜那、佐藤綾乃、菊池彩花の4人チームで臨んでいた。

これで今大会の日本勢のメダル獲得数は計11個となり、最多だった1998年長野オリンピックのメダル数を超えた。


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by daisukepro | 2018-02-22 05:33 | 文化