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2019年 09月 09日 ( 2 )

これでいいのか 韓国報道 嫌韓一色のワイドショー


2019年9月8日(日)

これでいいのか 韓国報道

嫌韓一色のワイドショー

 テレビの番組欄をみると、朝から夕方までワイドショー、情報番組は韓国報道一色の感です。まぢかに控えた消費税増税、対米追随の貿易交渉、森友・加計疑惑、厚生労働政務官の口利き疑惑など、もっと報道すべきことはあるのではないのか、といいたくなります。

 (藤沢忠明)


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(写真)「ゴゴスマ!」の報道に抗議の声をあげる集会参加者=8月31日、名古屋市中区のCBC本社前

 韓国報道は、韓国が日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の終了を決定した8月22日ごろから劇的に増え始め、文在寅(ムン・ジェイン)大統領の側近、曺国(チョ・グク)氏の不正疑惑が明らかになると「疑惑の“タマネギ男”」などと、一気に過熱しています。

視聴率取れれば

 問題は、異常な嫌韓報道になっていること。

 3日放送の「羽鳥慎一モーニングショー」(朝日系)で、ジャーナリストの青木理さんは、「韓国をたたいておけばウケるでしょっていう風潮がものすごい強まって…」と視聴率が取れればいいというメディアの姿勢に苦言を呈し、「揚げ句の果てには、ヘイトクライムを誘発するような発言をする人たちが出てくる」と警鐘を鳴らしました。

 青木氏の念頭にあるのは、8月27日のTBS系「ゴゴスマ」(CBC制作)での火曜日レギュラーのコメンテーター、武田邦彦・中部大学教授のコメント。韓国を訪れた日本人女性が韓国人男性に暴行を受けた事件を扱った際、武田氏は「日本男子も韓国女性が入ってきたら暴行しにゃいかないからね」という発言をしたのです。

 さすがに30日、同番組の冒頭、アナウンサーが「今週火曜日に放送した日韓問題のコーナーについては、ゴゴスマとしてはヘイトスピーチをしてはいけないこと、ましてや犯罪を助長する発言は、人としては許せないことと考えています」と“謝罪”しました。

 武田氏は、沖縄や在日の人たちへのヘイトや安倍政権擁護・支援の立場でニュースを流すDHCテレビのネット番組「真相深入り! 虎ノ門ニュース」の常連メンバーです。安倍首相が主催した4月の「桜を見る会」には、作家の百田尚樹氏、ケント・ギルバート氏らとともに参加しています。いわば、安倍首相の「私設応援団」の一員を、レギュラーコメンテーターとして起用する放送局の見識が問われます。

ヘイト本著者が

 「元駐韓国日本大使」という肩書で、引っ張りだこになっているのは、外交評論家の武藤正敏氏です。ところが、同氏は、『韓国人に生まれなくてよかった』(悟空出版)などというヘイト本の著者です。

 8月22日の「ひるおび!」(TBS系)では、「文大統領の支持層はみんな過激派なんですよね」「韓国は裁判官でも相当左がかった人が多い」と語りました。

 曺国氏の聴聞会を翌日に控えた5日の「大下容子ワイド!スクランブル」(朝日系)でも、武藤氏が登場。番組側が「国と国の約束をしっかり守ってもらいたい」という安倍首相の主張を紹介したのを受け、同氏は「韓国側がこちらに歩み寄ってくるしかない。まず、日韓請求権協定を認めて、その原則を認めたうえで、どういう話し合いができるかだ」と政権べったりの見解を示しました。

 「元駐韓大使」とあたかも“中立”の立場のようですが、武藤氏は外務省を退職した後の2013~17年、「徴用工」裁判の被告企業である三菱重工業の顧問を務めています。テレビでは、この重要な情報は触れられていません。

 「歴史修正」にこだわる安倍政権の対韓強硬姿勢が、国民に“嫌韓感情”のお墨付きを与えている状況のもとで、メディアには、日韓の対立をあおるのではなく、冷静な視点から正確で偏らない報道が求められています。



by daisukepro | 2019-09-09 18:21 | 人権

いま振りかえる 植民地支配 歴史と実態(1) 脅迫と強圧で実現した「韓国併合

いま振りかえる 植民地支配 歴史と実態(1)

脅迫と強圧で実現した「韓国併合」

 「清日戦争、露日戦争、満州事変と中日戦争、太平洋戦争にいたるまで、60年以上にわたる長い戦争が終わった日」。韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、日本の植民地支配から解放されたことを記念する光復節(8月15日)の演説でこう述べました。戦前の日本帝国主義による侵略と36年間の植民地支配は、韓国の人々から国を奪い、人間の尊厳を奪い、言葉や名前すら奪いました。韓国国民の中にその傷痕と怒りは今も消えていません。日韓関係を改善するうえで、加害者である日本が過去の植民地支配にどう向き合うかは決定的です。日本の植民地支配はどのように進められたのか、改めて考えます。

 (若林明)


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(写真)ソウルにある植民地歴史博物館で展示を見学する人たち=2018年12月(栗原千鶴撮影)

日清戦争と日露戦争

朝鮮支配めぐる侵略戦争

 明治維新から10年もたたない1875年、日本は江華島事件を起こしました。軍艦をソウルの入り口の江華島まで行かせて、衝突を挑発し、砲撃戦で砲台を占領し、大砲などを強奪。翌年、日本は朝鮮に不平等条約を押しつけました。これを機に日本は朝鮮への圧迫を続け、本格的な侵略に乗り出したのが日清戦争(94年)でした。

 当時、朝鮮では官吏の腐敗と重税に反対して東学農民運動が起こっていました。運動は朝鮮半島の南西部の中心都市・全州を実質的に統治するほど力を持ちました。

 そのとき日本は、朝鮮王朝の要請もないのに、東学農民運動への対応を口実に大軍を朝鮮に派兵し、ソウルを制圧。開戦直前の朝鮮王宮を軍事占拠し、国王と王妃を拘禁しました。そして、軍事的脅迫のもとで朝鮮に日本への協力を約束させたのでした。同時に、日本軍は農民軍の大量虐殺を行いました。その犠牲者は3万人、あるいは5万人に迫ると言われています。

 日清戦争に勝利した日本は下関講和条約(95年4月)で朝鮮への清国の影響力の排除を約束させますが、同条約で日本へ割譲をきめていた中国の遼東半島を、ロシア・フランス・ドイツの要求で清国に返還せざるを得ませんでした。朝鮮での覇権を失うことを恐れた日本は同年10月、公使の三浦梧楼の指揮のもとに軍人らが王宮に押し入り、日本への抵抗の中心であった明成皇后(閔妃(ミンピ))を殺害し、遺体を井戸に投げ込むという暴挙を行いました。こうして日本は朝鮮の植民地化への一歩を踏み出しました。

 日露戦争(1904年)は、韓国(1897年に大韓帝国に改称)と中国東北部をめぐる日露双方からの侵略戦争=帝国主義戦争でした。

 日本は開戦と同時にソウルを軍事占領した上、韓国に「日韓議定書」を強要し、日露戦争への協力を約束させました。さらに、「第1次日韓協約」で、日本政府の推薦する「顧問」を韓国政府に押し付け、財政と外交の事実上の実権を握りました。

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(写真)第2次日韓協約締結時の日本と韓国の首脳(『画報日本近代の歴史7』から)

不法・不当な「併合」条約

どう喝・拉致・監禁下で

 日露戦争後、韓国に対する日本の覇権は無制限になっていきました。韓国の外交権を取り上げた第2次日韓協約(韓国保護条約)は、日本による軍事的強圧のもとで締結されました。

 特派大使の伊藤博文(初代首相、後に韓国統監)は「もし拒否するのであれば、帝国政府はすでに決心している。その結果はどのようなことになるか」(「伊藤特派大使内謁見始末」)と韓国の国王を脅迫。韓国政府の閣議の場に憲兵を連れて乗り込み、協約締結をためらう韓国の大臣を「あまり駄々をこねるようだったらやってしまえ」とどう喝しました。

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(写真)全国に拡大した反日義兵運動の兵士(『画報日本近代の歴史7』から)

 さらに、日本の特命全権公使の林権助は回想『わが七十年を語る』で、韓国側の大臣が逃げないように「憲兵か何かを予(あらかじ)め手配しておいて、途中逃げださぬよう監視してもらいたい。勿論(もちろん)名目は護衛という形をとるのです」などと、事実上の拉致・監禁下での交渉であったことを記しています。

 この条約で、日本は韓国に「統監府」をおき、属国化を進め、1910年に「韓国併合条約」を押しつけました。

 当時の国際法でも国家の代表者を脅迫しての条約は無効でした。しかも第2次日韓協約で韓国から外交権を奪っておいて、条約を締結させたのですから二重三重に「不法・不当」なものでした。

「義兵闘争」「独立運動」

抵抗する民衆 徹底弾圧

 しかし、日本の乱暴な植民地化に朝鮮の民衆は抵抗し、1906~11年には「反日義兵闘争」が韓国全土に広がりました。これに対して、日本軍は村々を焼き払い、義兵を大量に殺害し、日本軍に非協力的な民衆を見せしめに殺傷しました。

 19年3月には、日本の侵略に抵抗を試みた前皇帝・高宗(コジョン)の死をきっかけに、植民地支配からの独立を目指す「三・一独立運動」が起こりました。ソウルで始まった運動は朝鮮全土に拡大。数百万人が参加したと言われています。この運動に対しても日本は徹底的に弾圧を行い、1年間で死者7千人、負傷者4万人、逮捕者は5万人に及びました。

 戦後、日韓請求権協定(65年)の交渉で日本代表は「韓国併合」を不法・不当なものとは一切認めませんでした。それは、軍事的強圧のもとに締結したことを正当化する、国際的にも恥ずべき態度でした。

安倍「戦後70年談話」

反省語らず日露戦争美化

 ところが安倍晋三首相は「戦後70年談話」(2015年)で、自らの言葉としては「侵略」「植民地支配」への反省を語らず、朝鮮の植民地化を進めた日露戦争について「植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と美化しました。

 日露戦争直後に、ロシアの敗北を帝国主義の抑圧に苦しむ諸民族から歓迎を受けたという事実はありますが、すぐに真実は明らかになります。インドの独立・建国の父の一人、ジャワハルラル・ネールは『父が子に語る世界史』で「その(日露戦争)直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう一国をくわえたというにすぎなかった。そのにがい結果を、まず最初になめたのは、朝鮮であった」と指摘しています。

 このシリーズは今後、植民地支配の実態(第2回)、戦後日本政府の認識(第3回)、植民地主義をめぐる世界の流れ(第4回)を掲載します。



by daisukepro | 2019-09-09 05:57 | 歴史