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主張 イラク日報報告書 これで幕引き到底許されない


主張

イラク日報報告書

これで幕引き到底許されない

 防衛省が23日公表した自衛隊イラク派兵部隊の日報隠蔽(いんぺい)問題に関する調査報告書は、あまりにおざなりで国民の疑念にこたえるものではありませんでした。昨年2月の国会で当時の稲田朋美防衛相が「ない」と答弁したイラク日報が同年3月に見つかりながら、1年以上も報告されなかった異常事態の根本には全くメスが入っていません。報告書には多くの疑問点が残されており、「組織的な隠蔽という事案にはつながらない」(小野寺五典防衛相)と結論付けられても到底納得できません。

文民統制の不全は明らか

 イラク日報隠蔽問題の焦点の一つは、陸上自衛隊研究本部(現在、陸自教育訓練研究本部)で昨年3月27日にイラク日報が発見されていたのに、稲田防衛相になぜ報告がされなかったのかです。

 稲田氏は昨年2月20日の衆院予算委員会で野党議員の質問にイラク日報は「残っていないことを確認している」と答えていました。

 この答弁は4日前の16日に別の野党議員からイラク日報の提出要求を受けて陸上幕僚監部などの一部の課を探索した結果を踏まえたものと報告書は記しています。稲田氏は同22日、イラク日報の再探索を統合幕僚監部に指示したとされます。しかし、そのことを伝える統幕のメールは「つたない文面」で、受け取った側では稲田氏の指示とは認識されませんでした。

 一方、陸幕では16日以降もイラク日報の探索を続けていました。この中で研究本部の総合研究部教訓課の情報公開担当者は前任者からイラク関係の資料はないと申し送りされていたため日報はないと答えます。3月27日にはイラク日報の情報公開請求がありましたが、探索もせずに同30日に不存在と回答します。いずれも上司の教訓課長に報告しませんでした。

 ところが、教訓課では同27日、南スーダン派兵部隊の日報隠蔽問題での特別防衛監察の開始を受けて探索が行われ、課長らがイラク日報を発見していました。上司の総合研究部長はイラク日報発見の報告を指示しますが、教訓課長は必要ないと答えます。結局、陸幕には報告が上がりませんでした。

 関係者の対応は極めて不自然で、しかも、報告書はその意図や動機に一切触れていません。

 それでも浮き彫りになるのは、国会の質問や資料要求、情報公開請求などへのずさん極まりない対応であり、軍事を政治の下に置くシビリアンコントロール(文民統制)の機能不全です。安倍晋三政権の責任は免れません。

 当時は、南スーダン日報の組織的隠蔽が大問題になっていました。その上、稲田氏が「ない」と答弁したイラク日報の存在が明らかになれば問題がさらに拡大するのは必至でした。そのためイラク日報の存在が隠されたのではないかという核心について、報告書は何も言及していません。そもそも稲田氏がイラク日報の再探索を実際に指示したかも調査の対象外です。

緊迫期の日報は依然空白

 陸自のイラク日報は今年4月に初めて一部が公表されましたが、現地情勢が最も緊迫したとされる2004年3月~05年3月分はほとんどありません。激戦地バグダッドなどに米兵らを空輸した航空自衛隊の日報はわずか3日分3ページです。これで幕引きが許されないのは言うまでもありません。



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by daisukepro | 2018-05-26 17:32 | イラク戦争

イラク日報報告書の公表 疑問置き去り、隠ぺい否定結論ありき

2018年5月24日(木)

イラク日報報告書の公表

疑問置き去り、隠ぺい否定結論ありき

 「担当者がイラクの日報を国会(報告)や情報公開請求の対象だと認識していなかったことが結論だ。組織的な隠ぺいではない」。自衛隊イラク派兵日報の存在が確認されながら、1年以上も「隠ぺい」されていた問題に関する報告書の公表を受け、小野寺五典防衛相は23日の記者会見でこう述べました。しかし、多くの疑問が残されたままになっており、これで幕引きは許されません。


疑問1 ミスの連鎖は本当なのか

 ▽「本当にイラク日報はないのか」という稲田朋美防衛相(当時)の指摘を「再探索指示」とは思わなかった▽前任者から「イラク関連の資料はない」と言われていたので、十分に探さず「日報はない」と報告した▽イラク日報を見つけたが、上級機関に報告する必要がないと思っていた―。

 報告書は、現場の相次ぐミスの連鎖の結果として、イラク日報の存在が昨年3月27日に確認されていながら、今年4月まで、その事実が公表されなかったとしています。しかし、どの組織よりも指揮命令系統が厳格なはずの自衛隊で、指示や依頼の“誤認識”がこれだけ相次いでいるのが事実なら、「軍隊」として失格です。

 防衛省は報告書が出る前から、国会での野党側の追及に「隠ぺい」を繰り返し否定してきました。「組織的隠ぺいではない」という結論ありきで、現場に責任を押し付ける形でつじつまを合わせているのではないか―との印象はぬぐえません。

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(写真)小野寺五典防衛相

疑問2 なぜ再探索を指示したのか

 報告書は、昨年2月20日の衆院予算委員会で、稲田氏が日本共産党の畠山和也議員(当時)らに対して、「イラク日報は残っていないことを確認している」と答弁した2日後の22日、統合幕僚監部の辰巳昌良総括官(当時)に対して、イラク日報の再探索を指示したことを記しています。

 しかし、稲田氏がなぜ「残っていない」と断言しながら、再探索を指示したのか。その経緯は一切触れられていません。

 稲田氏は当時、安倍政権を追い詰めていた南スーダン日報問題をさらに拡大させないために、あまり確信もないまま「残っていない」と答弁した可能性もあります。さらに、この答弁があったがゆえに、担当者がイラク日報の探索に及び腰で、存在を確認した後も報告をためらった可能性も排除されません。

 稲田氏の国会招致は不可欠です。

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(写真)稲田朋美元防衛相(当時)

疑問3 日報はこれだけなのか

 防衛省はこれまで、イラク日報に関して、陸自469日分の存在を確認し、一部黒塗りで公表しています。しかし、陸自のサマワ宿営地や周辺で発生した「事案」計14件のうち、同報告の事案発生日と同じ日付の日報は3日分しか見つかっていません。さらに、06年8月から「戦闘地域」である首都バグダッドなどで武装米兵などの空輸を行い、名古屋高裁で「憲法9条違反」との判決が下された空自の日報にいたっては、3日分しか公表されていません。

 これらについては依然として、戦場の「不都合な真実」を覆い隠すための「隠ぺい」疑惑は残されたままです。

 報告書は日報の全面公開に向けた今後の取り組みについては、一切触れていません。日報をはじめとした関連資料を全面公開し、イラク派兵の総括を行うべきです。

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by daisukepro | 2018-05-24 18:46 | イラク戦争

防衛省、日報の組織的隠蔽認めず イラク派遣、17人処分


 陸上自衛隊イラク派遣部隊の日報隠蔽問題で防衛省は23日、担当者の不適切な対応などが原因で組織的な隠蔽はなかったと結論付ける調査結果を公表し、国会にも提出した。同省は陸自研究本部(現・教育訓練研究本部)教訓課の担当者を最も重い減給、監督責任を問い豊田硬事務次官を口頭注意、河野克俊統合幕僚長を訓戒とするなど計17人を処分した。

 小野寺五典防衛相は「防衛省、自衛隊が組織として防衛相の指示に適切に応えられず、シビリアンコントロール(文民統制)に関わりかねない重大な問題をはらんでいた」と指摘。安倍晋三首相から「再発防止に全力を挙げてほしい」と指示を受けたと述べた。

(共同)

 イラク日報問題で記者団の取材に応じる小野寺防衛相=23日午前、防衛省

 イラク日報問題で記者団の取材に応じる小野寺防衛相=23日午前、防衛省
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by daisukepro | 2018-05-23 20:22 | イラク戦争

自衛隊のイラク派遣の際の活動報告(日報)「戦闘」の言葉について、自衛隊法の「戦闘行為」の意味で用いられた表現ではないとする答弁書を閣議決定

 政府は27日、自衛隊のイラク派遣の際の活動報告(日報)に記載があった「戦闘」の言葉について、自衛隊法で定義される「戦闘行為」の意味で用いられた表現ではないとする答弁書を閣議決定した。立憲民主党逢坂誠二衆院議員の質問主意書に答えた。

 日報の記述については、昨年7月の衆院予算委員会でも、安倍晋三首相が「(憲法の要請との関係で)定義を決めている戦闘行為とは違う意味で、一般的、いわば国語辞典的な意味での戦闘という言葉を使う、これはあり得る」と答弁していた。

 今回の答弁書は、「国語辞典的な意味での戦闘」について、自衛隊法などで「国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為」と定義する「戦闘行為」とは異なるものとした。


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by daisukepro | 2018-04-29 15:09 | イラク戦争

自衛隊イラク日報 「戦場の真実」隠し許されない

主張

自衛隊イラク日報

「戦場の真実」隠し許されない

 自衛隊のイラク派兵に関する日報が1年以上隠蔽(いんぺい)されていたことなどが連日のように問題になっています。強大な軍事力を持つ組織が重要な情報を隠し、国会や国民を欺いてきたことは極めて深刻かつ危険な事態です。軍事組織をコントロールできない安倍晋三政権の責任が改めて問われています。イラク派兵の日報がなぜ隠されたのか―。徹底究明が必要です。

組織ぐるみの様相に

 イラク派兵の日報をめぐっては、昨年2月20日の衆院予算委員会で稲田朋美防衛相(当時)が、野党議員の質問に「イラクに関しては日報は残っていないことを確認している」と断言していました。

 ところが、小野寺五典防衛相は今月2日、陸上自衛隊のイラク派兵部隊の日報が陸自研究本部(現・教育訓練研究本部)などにあったと発表しました。防衛省は昨年2月20日時点では日報のあった研究本部などを調べておらず、稲田氏の答弁は明白な虚偽答弁でした。

 小野寺氏は4日には、研究本部が日報の存在を昨年3月27日に把握していたものの、稲田氏に報告していなかったことを明らかにしました。日本共産党の井上哲士議員は10日の参院外交防衛委員会で、昨年3月27日にイラク派兵の日報に関する情報公開請求があったのに対し、研究本部は30日に「存在しない」と回答していたことを明らかにしました。組織的な隠蔽の疑いが濃厚です。

 日本共産党の仁比聡平議員は9日の参院決算委員会で、自衛隊が隠そうとしたのはイラクの「戦場の真実」だと追及しました。

 自衛隊のイラク派兵は、「人道復興支援」などを口実に米軍の侵略戦争を支援するため強行された戦地派兵でした。自衛隊の活動は「非戦闘地域」に限るというのが建前でしたが、実際は「純然たる軍事作戦」(陸自文書「イラク復興支援活動行動史」2008年5月)という他ないものでした。

 イラク・サマワの陸自宿営地にはロケット弾などによる攻撃が少なくとも14回23発に及びました。派兵開始当時、陸自トップの陸上幕僚長だった先崎一氏は「対テロ戦が実際に行われている地域への派遣」であり、「約10個近く棺(ひつぎ)を準備」したと証言しています(NHKインタビュー、14年4月16日放送)。派兵部隊は事前に「至近距離射撃訓練を重視して実施」しました(前出の「行動史」)。

 空自のC130輸送機は米兵輸送などのためバグダッド上空では、携帯ミサイルによる攻撃の危険に対し命がけの回避行動が必要だったとされています。当時の久間章生防衛相は空自の活動について「一歩間違うと本当に人命に影響する」「刃(やいば)の上で仕事をしているようなもの」と答弁しています(07年6月5日、参院外交防衛委)。

 しかし、小野寺氏が6日に明らかにした空自の日報はわずか3日分・3枚しか出ていません。

稲田氏らの証人喚問を

 昨年、大問題になった陸自の南スーダンPKO(国連平和維持活動)の日報隠蔽は、国会での議論などを通し、「戦闘」の現実をごまかす狙いがあったことが浮き彫りになっています。イラク派兵の日報隠蔽も憲法違反の実態隠しが本質です。真相の徹底解明のため、稲田氏ら関係者の国会での証人喚問が不可欠です。



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by daisukepro | 2018-04-29 15:04 | イラク戦争

陸自イラク派遣部隊の日報(詳報)

陸自イラク派遣部隊の日報(詳報)

 防衛省が公表した日報で明らかになった陸上自衛隊イラク派遣部隊を巡る主な状況は次の通り。■■■は黒塗り。

2004年2月24日 「日本人を動揺させるために日本メディアへの攻撃を行う可能性は否定できない」との記述。

  05年3月14日 タリル空港の食堂に業者を装って自爆テロがあるとの情報。

       27日 陸自宿営地の跡に米・オーストラリア軍が進駐するとのうわさ。周辺住民に不安が広がる。

     5月 8日 陸自部隊が12月に撤退するとの報道に、市民から「成果はなかった」「復興支援は無理だと分かったので撤退する」との声。一方、「撤退したら困る」との声も。

     6月11日 サマワにある復興支援事業の看板に描かれた日の丸に黒スプレーによる落書きを発見。陸自の復興支援に不満を持つ者による腹いせの可能性。

       15日 サマワで走行中の陸自車両に激しい投石。数名が道路に飛び出してスピードを落とさせると、少年ら十数人が車両を攻撃。隊員に被害なし。一歩間違えば、人員に被害が及ぶ非常に危険な事案と記述。

       23日 陸自車両4台が走行中、3号車の右前部付近で爆発。後ろを走る4号車は土煙で視界を数秒遮られ、前方を走行している車が見えなくなった。3号車はフロントガラスにひびが入り、ミラーは割れて落下、車体には無数の傷。砲弾や地雷などの金属片による被害はなく、爆風で飛ばされた石が当たってできたものと推量される。部隊の活動開始の時間帯を狙われた可能性がある。群長は「予測していた範囲のことであるとはいえ、深刻に考える必要がある。指揮官は隊員のアフターケアを重視せよ」とミーティングで指導。

       25日 復興支援事業で修復した「友好道路」に設置された記念碑の銘板がはがされているのが見つかる。13日には落書きも確認されていた。

     7月 4日 5日にかけて宿営地に攻撃。群長が「昨夜からの飛翔(ひしょう)音、着弾音が確認された事案の対応には、■■■ことが重要である。■■■業務を実施せよ。また、■■■して業務を進めるようにせよ」。

     8月24日 隊員が日報に「サドル派とイラク・イスラム革命最高評議会とも公式には多国籍軍との戦闘は停止しているが、秘密の指示による戦闘の継続も考えられる」と記述。

       26日 ミーティングの「現地の治安状況等」確認の欄に「■■■上であり、極めて重大な影響を及ぼしかねない事案である。これまで、タリル周辺で起きた事象を掘り起こして、今回の事案の背景を解明せよ」と記載。このころ、サマワで2000人規模のデモが起きていた。

    10月10日 バグダッド派遣の隊員が日誌に「床屋で散髪すると、髪が変色し、抜け始めていた。医務室に問い合わせると『爆弾攻撃を受けた後、コンバットストレスのため、髪が抜けるなどの症状が出ている』と伝えられた」と記述。

       16日 脅威情報として「対戦車ロケット弾などを持ったサドル派民兵が13日、パトロールをしている日本隊に対して攻撃を実施」との記述。情報の正確性の評価は最下級とのただし書きも。

    11月 7日 夜間に宿営地で発射音および上空で飛翔音を確認。着弾地点は宿営地南西約1.5キロ。8日早朝、オーストラリア軍が捜索したが着弾は確認できず。群長は「われわれは、こういう環境にいることを再認識し、しっかり対応しなければならない」「夜間に事案が発生して、すぐに活動自粛するのはある意味で簡単だが、いったん自粛後に活動を再開するには、自ら課したハードルを高めてしまう結果となる。その時々に応じ、状況判断して活動することが重要だ」。

       14日 業務支援隊長が「イラク人雇用者に撤退に関する不適切な発言をしないように」と指示。

    12月 4日 養護施設竣工(しゅんこう)式の準備中に陸自車両が群衆と遭遇。車両に被害あり。

        7日 サマワの公共施設で爆発。付近でロケット弾の不発弾見つかる。市内では「日本隊を狙ったものだ」とのうわさも。

        8日 イラク派遣が1年再延長されることになり、群長は「閣議決定されたが、われわれは淡々と任務を実行するのみ」と指導。

       12日 宿営地でボンという発射音とともに飛翔音を確認。爆発音は確認されず。オーストラリア軍のレーダー情報によると、着弾地点は宿営地の南西約2キロ。発射予想地点に、ロケット弾発射に使われる部品を発見。

  06年1月17日 「イラク・イスラム軍」を名乗るグループが、ネット上で「サマワで日本軍の車両を爆弾で攻撃し、乗っていた4人を殺害した」との声明を公表。事実無根と判明。

       22日 この日の治安情勢報告によると、21日にサマワで英国軍と武装勢力との間で銃撃戦。サドル派事務所付近に英軍車両が停車したことなどに反感を持った民兵が射撃を始めたことがきっかけで戦闘が拡大。

     3月16日 バスラ駐在の隊員が日誌に「ポンという発射音とピューという飛翔音を聞いた。近いと思ったが、大げさに対応するのも自衛官として恥ずかしいから、悠然と歩いた。(内心、伏せようかなとも思った)」との文章を寄せる。

       29日 30日にかけ、サマワの公共施設に攻撃。負傷者なし。

     4月 2日 29日の攻撃で使用されたのは107ミリロケットの可能性が高いと判明。

       12日 バスラ駐在の隊員が日誌に「未明に爆発音でいつもより早く目が覚めた。2発とも基地内に着弾し、穴が開いていた。記念撮影する人までいる」と記述。

       17日 バスラ駐在の隊員が日誌に「バスラでもロケット弾攻撃を受け、脅威に対し敏感になっていると感じる。昨日、■■■が書かれたように『ドアの閉まる音(着弾音に似ている)』にも反応するようになる」。

       19日 サドル派民兵がロケット弾の整備を進めているもよう。自衛隊が使用するタリル空軍基地への進入路を通る飛行機が攻撃を受ける可能性が高いと分析。

     5月10日 バス車内から約20個のロケット弾用信管が入ったバッグを発見。車載簡易爆弾の脅威は引き続き存在すると考えるべきで、厳重警戒が必要との記述。

     6月20日 陸自撤収を発表。統合幕僚監部から撤収命令が出て、群長が撤収を説明。群長は「明日から新しい作戦が始まる。前例がないので柔軟性を持ってやっていかなければならない。明日からは『安全に帰国』を目標に、頭を切り替えて新しい作戦に臨むように」と指示。

     7月 7日 撤収開始。他国軍への攻撃を記したとみられる報告の中で「サマワ東方付近は一般的に治安が悪く、サドル派民兵過激派の勢力が犯行を実施する上での制約が比較的少ない。日本隊が標的となる可能性は否定できない」との記述。


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by daisukepro | 2018-04-29 14:47 | イラク戦争

主張 日報が示す「戦場」 戦争法での活動さらに危険に

主張

日報が示す「戦場」

戦争法での活動さらに危険に

 防衛省が先週ようやく公表した陸上自衛隊イラク派兵(2004~06年)の日報は、多くの欠落や黒塗りがある一方、その限られた記述だけでも、当時の政府が「非戦闘地域」の活動に限るとした説明と、実際の現地情勢が大きく乖離(かいり)していたことを浮き彫りにしています。イラク派兵が「殺し、殺される」事態と紙一重だった一端を示すものです。安倍晋三政権が15年9月に成立を強行した安保法制=戦争法は、「非戦闘地域」という制約さえ取り払いました。同法制の下、「戦闘地域」で活動する自衛隊が攻撃を受け、武力行使に乗り出す危険はいよいよ明白です。

自衛隊の自殺者29人

 イラク派兵の根拠法・イラク特別措置法は、自衛隊が活動する「非戦闘地域」について、(1)「現に戦闘行為が行われておらず」(2)「そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる」―という二つの条件を満たす地域と定義していました。しかし、実態はどうだったか。

 06年1月22日の日報は、陸自部隊が派兵されたイラク・サマワの「治安情勢」として「15日以降、英軍、イラク警察に対する小火器射撃やRPG(対戦車弾)攻撃が連続して発生」し、21日には「英軍と武装勢力の銃撃戦」で死者2人、負傷者5人を出すなど「戦闘が拡大」したと記述しています。

 05年6月23日の日報は、この日、陸自の高機動車が爆弾で被害を受けたことを詳しく報告し、「多国籍軍に対する攻撃の一環」との情報や、部隊長の「指導事項」として「ここはイラクなのだということを再認識し隊員にも徹底せよ」「隊員のアフター・ケアを重視せよ」との記述もあります。

 サマワだけではありません。

 06年4月14日の日報は、イラク・バスラに派遣された隊員の「日誌」として「最近2週間内に5回の(ロケット弾による)攻撃があり、1月からの合計も11回25発になった」とし、17日の日報では「『ドアの閉まる音』(着弾音に非常に似ている)にも反応するようになる」と書いています。

 15年3月末現在、イラク派兵から帰国後に自殺した自衛隊員は29人に上ります。「非戦闘地域」での活動とはかけ離れた極めて危険な任務だったことを示しています。

 安倍政権は日報を伏せ、イラク派兵のまともな検証もしないで安保法制=戦争法の成立を強行しました。

 同法制は、武力を行使している米軍などに対する輸送や補給といった自衛隊の「後方支援」(兵たん)について「現に戦闘行為が行われている現場(戦闘現場)では実施しない」と規定しているだけです。「非戦闘地域」の定義のうち「そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる」という二つ目の条件は削除されました。

 戦闘現場―その瞬間に戦闘行為が行われている場所―でなければ、自衛隊の活動期間中に戦闘行為が行われる可能性があっても「後方支援」ができるのです。

廃止の必要性は明白

 陸自のイラク派兵の名目は「人道復興支援」だったのに対し、安保法制は米軍への軍事支援が目的です。自衛隊がイラク派兵よりもいっそう危険な地域で、いっそう危険な任務に就くことになるのは明らかです。安保法制の廃止は緊急の課題です。



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by daisukepro | 2018-04-25 12:15 | イラク戦争

戦争だった。部隊が全滅すると思った」と証言

 南スーダンで2016年7月、政府軍と反政府勢力の大規模戦闘が起きた際、国連平和維持活動(PKO)に派遣中の陸上自衛隊部隊が、通常武器を持たない隊員も含め全員に武器携行命令を出したことが22日、分かった。派遣隊員は当時を「戦争だった。部隊が全滅すると思った」と証言。PKO参加には「紛争当事者間の停戦合意」など5原則を満たすことが条件で、政府は当時「武力紛争ではない」と説明していたが、参加の根拠が崩れていた可能性が強まった。派遣隊員や防衛省幹部が明らかにした。

 南スーダンPKOで武器携行命令が明らかになるのは2例目。

(共同)

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by daisukepro | 2018-04-24 12:15 | イラク戦争

イラク日報 国会報告と食い違い 「火器は107ミリロケット」 → 「弾種不明」 「英・日宿営地に射撃」 → 「外に着弾」

イラク日報

国会報告と食い違い

「火器は107ミリロケット」 → 「弾種不明」

「英・日宿営地に射撃」 → 「外に着弾」

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(写真)自衛隊宿営地を狙った攻撃(06年3月29日)の状況を記した06年4月2日の日報

 イラクや南スーダンへの自衛隊派兵の「日報」の探索について防衛省は20日を区切りとしていますが、16日に公表された陸上自衛隊イラク派兵の日報は、宿営地への攻撃が相次いだ2004年分がほとんど公開されていないなど、欠落が目立ちます。これで日報の探索・公表を締め切ることは許されません。(竹下岳)

 防衛省が2009年7月に国会提出したイラク派兵に関する報告書は、宿営地内外への攻撃などの「事案」を14件列挙しています。しかし、これらの攻撃が集中した04年4月~05年1月の日報が欠落している上に、日報に記載が確認された事案についても、国会報告との記述の食い違いがみられます。

 日本共産党の穀田恵二衆院議員室の調査によれば、国会報告では06年3月29日に「砲弾種類不明の飛翔(ひしょう)音を確認し、宿営地外に1発弾着した可能性」とあります。しかし、同日の事案について記された06年4月2日付日報では、「(英軍の)キャンプ・スミッティと(自衛隊の)サマワ宿営地に各1発の曲射火器による射撃がなされた」「使用された火器は107ミリロケットの可能性が高い」と記されており、攻撃された場所や兵器の種類を明示しています。

 また、日報では、05年6月23日に陸自車両付近で爆発が起こり、同年12月4日には陸自車両が群衆と遭遇し、車両に被害があったことが記されていますが、これらの事案は国会報告から欠落しています。

 イラク派兵の実態を記録した陸自の内部文書「イラク復興支援活動行動史」によれば、12月4日の事案で、群衆の中に「銃を所持している者」が発見されており、陸自は銃への弾薬装填(そうてん)の判断を迫られていたことが記されています。

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(写真)イラク多国籍師団(南東=MND-SE)からの情報は全面非公開

多国籍軍情報は全面黒塗り

 自衛隊は04年6月18日の閣議了解を受け、米軍が主導するイラク多国籍軍に参加。陸自が活動していたサマワを含むイラク南東部を管轄する司令部(英軍)から連日、管内の情報が提供されていました。首都バグダッドにある多国籍軍司令部(米軍)からも随時、概況が提供されています。しかし、これらの情報は全て黒塗りです。

 多国籍軍の指揮下に入ることは「他国の武力行使との一体化」に該当し、憲法9条に違反するというのが政府見解です。このため、当時の政府は「多国籍軍の指揮下に入らない」という「口頭了解」を米英軍から得たとして整合性を図りました。

 しかし、陸自の日報には、多国籍軍司令部に派遣された連絡官が綿密なやりとりをしている様子が記されています。多国籍軍からどのような情報をもたらされ、それに基づいてどう動いていたのか、何らかの「指示」があったのか。「違憲」の核心部分は覆い隠されています。

 何よりも、武装米兵を含むイラク多国籍軍の空輸を行ってきた航空自衛隊の日報が3日分しか公表されていないことは重大です。



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by daisukepro | 2018-04-23 14:12 | イラク戦争

イラク派兵日報 自衛官駐在 バスラに砲撃 「非戦闘地域」の虚構浮き彫り 「我々は戦場にいる…」「あとは運次第」

イラク派兵日報 自衛官駐在 バスラに砲撃

「非戦闘地域」の虚構浮き彫り

「我々は戦場にいる…」「あとは運次第」

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 防衛省が16日に公表した陸上自衛隊イラク派兵の日報で、自衛隊連絡官が駐在していたイラク南東部バスラの多国籍軍司令部が連日、激しい砲撃にさらされていたことが記録されていました。イラク派兵の要件である「非戦闘地域」の虚構ぶりがいっそう浮き彫りになりました。

 バスラでは武装勢力から迫撃砲やロケット、IED(即席爆発装置)などの激しい攻撃を受け、多国籍軍の多数の兵士が死亡。隊員は2006年2月2日付の日報に「やはり我々は戦場にいることを認識することが必要だ」と記しています。

 特に06年以降は司令部や居住区の至近距離への攻撃が激化。3月14日の日報には「2月22日のロケット攻撃は、あと6度南にずれていたら居住区内に弾着していた」と記載。正規の発射機よりも4倍程誤差がある即製発射機が使われていたと記し、「一歩間違っていたらという感はぬぐえない」と述べています。

 4月14日には、13日の曲射(IDF)攻撃に使われたロケット弾の残骸の写真を掲載。基地内に2発が弾着し「直径1メートル程の穴が開いていた」(4月12日)ことをふまえ、「アスファルト道に一昨日の写真のような穴が開くわけだから、居住区の薄い屋根では役には立たない」と記述。6月30日には「居住区は耐弾化されておらず、あとは運次第と思って過ごしてきた」と記しています。

 「至近200メートル、屋根に破片が当たる音」(6月12日)、司令部南側150メートル、IDF攻撃2発(6月25日)、弾種不明3発、司令部北側300メートル、南側1キロ及び1・5キロ(6月26日)など間一髪の状況が続きます。

 06年5月6日には、イギリス軍のヘリコプターが、サドル(イスラム教シーア派指導者)派民兵の携帯地対空ミサイルの射撃を受けてバスラ市街地に墜落し、乗員5人が死亡。墜落現場付近に群衆が集まり「ヘリの墜落を喜ぶ」、「投石、火炎瓶の投擲(とうてき)」など、多国籍軍が敵視されていたことがうかがえます(5月8日)。日報では「英軍」の部分は黒塗りでしたが、隊員の日誌に「英軍ヘリ墜落事案」と記載されていました。

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(写真)イギリス軍ヘリのバスラ市街地への墜落の状況を記した日報(2006年5月8日)と、多国籍軍司令部・居住区付近へのロケット攻撃の状況を記した日報(2006年1月4日)


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by daisukepro | 2018-04-22 10:44 | イラク戦争