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カテゴリ:天皇制( 2 )

天皇代替わりと元号問題  梅田  正己 (『日本ナショナリズムの歴史』著者・元編集者)

             

天皇代替わりと元号問題  19/02/15

                    梅田  正己 (『日本ナショナリズムの歴史』著者・元編集者)

 天皇の代替わりをめぐってずっと気にかかっていることがある。用語の問題である。

 3年前、天皇が代替わりの意思を表明して以来、政府は一貫して「退位」と称してきた。メディアもそれに追随して「退位」と言ってきた。しかし天皇は「退位」とは言っていない。昨年12月の誕生日の記者会見でも、こう言っていた。

 「今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています」

 皇后もまた昨年10月の自分の誕生日の記者会見で「陛下は御譲位と共に」と「譲位」と言っていた。

 当の天皇、皇后は「譲位」と言っているのに、政府とメディアは「退位」と言い続けているのである。

 天皇家ないしは天皇制の歴史には「退位」という用語はない。8世紀の初め持統天皇が孫の文武天皇に譲位して以来、天皇は譲位して上皇となり、上皇と天皇とが並び立つのが天皇家の伝統だった。

 ところが政府はその伝統的な用語を使わずに「退位」という新語を使い、「生前退位」が何か異常・異例のことであるかのように思わせてきたのである。そしてメディアはそれに何の疑義も呈さずに追随してきた。

 なぜ、政府は「譲位」の語を避けたのか。このことは元号の問題とも重なる。
政府が「譲位」の語を忌避した理由は、それが「生前の」ということを前提にしているからである。天皇の代替わりは元号の変更を意味する。したがって「譲位」後は前代の天皇が存命しているのに新たな元号を使うことになる。それは「一世一元」の原則に反する、と政府は判断したのである。

 一世一元制とは、天皇一代につき一つの元号、つまり天皇が死去し新たな天皇が即位するとともに新たな元号を制定するという制度のことである。

 しかし伝統的な元号制では、元号は天皇の代替わりのほか、何かめでたいこと、また逆に不幸なことがあると変更された。実際、明治天皇の父の孝明天皇の在位20年間には、弘化から嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応と6回も元号が変えられている。

 ところが維新後に生まれた新政府は、元号を慶応から明治に変えると同時に「一世一元制」と定めたのである。なぜか。

 天皇を政治的・精神的支柱とする近代天皇制国家を樹立するために、国民の意識下に、この国は「明治天皇の国」、いま生きているのは「明治天皇の御代(みよ)」であることを日常普段に染み込ませるためである。

 こうして明治天皇の時代は「明治時代」、明治天皇の死去と同時に「明治時代」は終わって「大正時代」となり、大正天皇の死去で「昭和時代」が始まるとなった。日本人の歴史意識は天皇の在位期間によって区分・規定されるようになったのである。

 そんなことはない、いまどき天皇の御代だなんて、と思われるだろうか。しかし現に、「平成時代」「平成30年」「平成の終わり」といった言葉がメディアには躍っている。1989年以降の30年は、明仁天皇のイメージとともに記憶されるのである。

 しかしグローバリズムの今日、日本国内のみの時代区分による時代認識、歴史認識が世界に通用するはずはない。

 明治27〜28年=日清戦争、明治37〜38年=日露戦争、この間が10年だったことは元号でもわかる。しかし日露戦争から大正3年の日本の第一次大戦参戦・青島占領まで何年だったかは元号で直ぐわかるだろうか。西暦では1905年から1914年で9年だったことが直ぐにわかる。

 韓国での三・一独立運動、中国での五・四運動は大正8年だった。今から何年前かは直ぐにはわからない。それが1919年だったことを知れば、今年が100周年に当たることは直ちにわかる。

 元号の使用は日本人の歴史認識を溶解する。今回の代替わりを機に、少なくとも公的文書における元号の強制的使用の廃止に向け、国民世論を高めていければ、と思う。



by daisukepro | 2019-02-16 08:09 | 天皇制

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員) 危険な天皇の「引退花道」づくり 18/09/3

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

危険な天皇の「引退花道」づくり 18/09/30

明日へのうたより転載

 『週間金曜日』(9月28日号)の清水雅彦「『護憲天皇』の美化と神格化」を読んで目からうろこが落ちた気がした。おれは前から天皇の生前退位なるものについてモヤモヤしたものを感じてはいた。ま、どうせ「象徴」なのだから辞めようが辞めまいが勝手にしろ、と突き放して済ませておいたのだが、そんなどうでもいいことではなさそうだ。「天皇の退位等に関する皇室典範特別法」という法律までつくって平成天皇の引退花道を飾るのはどうやら憲法違反のようだ。そう聞いて思わず胸がスーッとしたね。

 そもそも平成天皇の言動にいちいち感動するマスコミや、いわゆるリベラ層まで含めた世論なるものがおかしいのだ。清水教授は言う。「このところ、明仁天皇の『護憲』や『平和』についての『おことば』、あるいは『慰霊の旅』を評価するリベラル派や『護憲派』の言説をよく耳にします」「確かに、この間の昭仁天皇の発言は『平和志向』が強いように思われ、『安倍一強』と呼ばれるような時代で、平和運動に参加しているような市民でも天皇に期待してしまうのでしょう」。

 その通りだ。かく言うおれの近辺でも平成天皇の言動を盾に安倍批判をする向きがある。「天皇さえ言っておられるのにお前はなんだ」というわけだが、それは「天皇の権威にすがって」ものを言ってるだけではないか。昭和天皇は悪かったが平成天皇は良い、という属人的評価は許されないのではないか。

 天皇が生前退位したいという理由は、遠隔の地や島々への慰霊の旅、災害地慰問、国体や植樹祭への出席などなどの「公的行為」(天皇の言葉では「務め」)が果たせなくなったからだという。憲法で天皇の行為として定められているのは限定された「国事行為」だけだ。ほかはしんどかったら止めればいい。

 ところが平成天皇は取りやめはできないと次のように言う。「これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」(2016年8月8日の天皇メッセージ)。

 つまり現行天皇制が「途切れることなく安定的に続く」ことを念じるからだ。清水教授はこのメッセージについて「象徴天皇制を未来永劫にわたって続けさせようという、明仁天皇のしたたかな戦略すら感じられます」と指摘する。この指摘は真相をついているようにおれは思う。

 憲法上主権は国民にあるのであって、天皇の意思が新しい法律までつくらせるのは国民主権への侵害ではないか。行きつく先は「天皇の神格化」であるように思われても仕方がない。
 


by daisukepro | 2018-10-05 15:36 | 天皇制