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カテゴリ:中国情勢( 4 )

香港政府「廃案受け入れ」 「逃亡犯条例」改定作業停止

香港政府「廃案受け入れ」「逃亡犯条例」改定作業停止 香港政府は21日夜、犯罪容疑者の中国本土への移送を可能にする「逃亡犯条例」改定案について、「(廃案になる)事実を受け入れる」との声明を発表しました。抗議デモを主導してきた民主派団体「民間人権陣線(民陣)」は、香港政府トップの林鄭月娥(りんてい・げつが)行政長官が、改定案の『完全撤回』や長官辞任などの5大要求に回答していないと指摘。20カ国・地域(G20)首脳会議を前に「林鄭に重い一撃を与える」として、市民に26日の「再結集」を呼び掛けました。 政府声明は、「政府はすでに『逃亡犯条例』の改定作業を完全に停止した。立法会(議会)会期が終了する来年7月で条例草案は自動的に廃案となる。政府はこの事実を受け入れる」と述べました。また、デモ隊の活動が「多くの公共サービスに影響し、交通の妨げになっている」として、「ほかの市民に配慮する」ようデモ隊に求めました。 21日の抗議行動は現地メディアによると、政府本部のほか、税務事務所や入境事務所などを包囲。警察本部庁舎周辺では、警察が12日にデモ隊に催涙弾を使用した責任を追及し、警察がデモ隊を「暴動」とした定義の取り消しや逮捕者の釈放も求め、翌朝まで行動しました。
by daisukepro | 2019-06-23 15:53 | 中国情勢

香港で100万人超デモ 容疑者の本土移送条例に反対

香港で100万人超デモ 容疑者の本土移送条例に反対
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2019年6月10日 13時56分  【上海=浅井正智】香港で九日、犯罪容疑者の中国本土への移送を可能にする「逃亡犯条例」改正案に反対する民主派団体主催のデモが行われ、主催者発表で百三万人が参加した。香港に高度の自治を約束した「一国二制度」崩壊への懸念から、一九九七年の香港返還後、最大規模のデモとなった。警察は参加者はピーク時で二十四万人だったと発表した。 参加者は香港島のビクトリア公園に集合。「反送中(中国への移送に反対)」「林鄭月娥(りんていげつが)(行政長官)はやめろ」などと叫びながら、政府庁舎まで約四キロを行進した。午後二時半(日本時間同三時半)から始まったデモは午後十時(同十一時)ごろまで続き、幹線道路はおびただしい人で埋め尽くされた。抗議運動は、行政長官選挙の民主化を求めた大規模デモ「雨傘運動」(二〇一四年)以来の盛り上がりとなった。 多くの参加者はデモ終了後も立法会(議会)周辺の道路に座り込みを続け、十日未明には一部が鉄柵をなぎ倒して警官隊と衝突、負傷者が出た。デモ隊は強制排除され、一部は連行された。周辺にとどまった参加者と警官のにらみ合いが十日朝まで続いた。 条例が改正されれば、香港で拘束された容疑者を中国当局の求めに応じて引き渡すことが可能になる。香港政府は「法の抜け穴をふさぎ、香港を逃亡犯の天国にしないため」(林鄭長官)と説明。これに対し民主派は、条例が中国に批判的な人物に恣意(しい)的に運用される恐れがあるとして強く反発。国際社会も相次いで懸念を表明している。 改正案は立法会でまだ実質審議すら行われていない。政府は十二日から審議入りし、休会前の今月中の可決を目指している。(東京新聞)
by daisukepro | 2019-06-11 08:05 | 中国情勢

<熟読 中国の歴史教科書>(中)国防建設 原爆実験成功に高揚感

人民解放軍が兵器のハイテク化を進めていた1999年7月、空軍基地で飛行実験準備中の新型ミサイル=新華社・共同

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 アヘン戦争(一八四〇~四二年)以来、一世紀にわたって国土を踏みにじられた経験を持つ中国にとって、国土防衛は常に最優先課題と言える。国防建設は「鋼鉄の長城」を築き上げることであり、教科書が教える国防の歴史に後ろめたさはない。一九六四年十月、中国は初めて原爆実験に成功する。時あたかも東京五輪の開催中だ。

 六四年十月十六日、稲光、ごう音とともに巨大なきのこ雲が立ち上った。わが国初の原爆実験の成功を告げたのである。

 六六年、核弾頭搭載の地対地ミサイルの実験に成功し、実戦に使用できるミサイルを保有した。六七年には水爆実験にも成功した。毛沢東(もうたくとう)は五〇年代、「われわれも人工衛星をつくらなければならない」と号令した。宇宙技術はゼロから出発し、七〇年に初めて人工衛星の発射に成功した。

 「両弾一星(原爆、水爆、人工衛星)」の成功は、大きな困難を克服してつかみ取った偉大な成果であり、中国人民の士気を最大限に鼓舞し、民族の精神を奮い起こした。それは当時の核大国による核の独占を打ち破り、わが国の国際的な地位を大いに高めた。

中国の歴史教科書で、1964年10月の原爆実験成功を説明するページ=浅井正智撮影

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 当時、中国は米国との対立に加え、ソ連とも関係が悪化。核武装は「世界戦争は不可避」という毛沢東の対外認識を基に、全面戦争に備えたものだが、教科書にはそのような切迫した情勢の記載はなく、高揚感が前面に出ている。

 七八年に改革開放政策の導入を決定した中国は、経済建設に力を入れていく。米ソとの緊張緩和もあり、八〇年代半ばには百万人の兵力削減に着手する一方、国防費は八九年から毎年、前年比二桁の伸びを記録。兵器のハイテク化も進められた。

 改革開放とともに、軍はビジネスにも手を染め、金もうけ主義や腐敗も横行する。二〇一二年に中国共産党総書記に就いた習近平(しゅうきんぺい)氏は、「勝てる軍隊」づくりに不安を持ち、人民解放軍への統制を強めた。

 強国強軍という時代の要求に応えるべく、国防建設は絶えず前進している。一四年、福建省古田で全軍政治工作会議が開かれ、軍隊への政治工作を通じ、強軍をつくる目標のためには強力な政治的保証を与えるべきことを強調した。

 やや分かりにくいが、全軍政治工作会議とは解放軍の政治方針を協議する重要会議で、「強力な政治的保証を与える」とは、党の軍隊に対する絶対的な指導の堅持を意味する。教科書にはこの後、習氏が断行した軍改革の内容が登場する。

 一六年には人民解放軍は五大戦区を設置。軍種は陸軍、海軍、空軍、ロケット軍、戦略支援部隊の五つに再編された。中央軍事委員会が総監督し、戦区が指揮、軍種が軍備建設を主管し、軍隊の組織と体系は革命的に一新された。国防、軍隊の現代化建設は大きな成果を挙げた。

 米国を参考にした軍改革は、軍管区の再編成とともに、陸軍偏重主義を改め、陸海空軍の統合運用を目指しており、新中国の歴史で最大の軍改革と言われる。

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 教科書では、昨年の解放軍建軍九十年の式典で部隊を閲兵する習氏の写真も掲載。その下で「これまでの閲兵式で現れた軍事装備の写真を集めて説明を加え、クラスで展示し、軍事装備の進歩を示しなさい」と生徒に課題を与えている。 (上海・浅井正智)

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by daisukepro | 2018-12-04 06:52 | 中国情勢

<熟読 中国の歴史教科書>(上)文化大革命 消えた毛沢東の「過ち」

中国の中学2年生が学ぶ歴史教科書=浅井正智撮影


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 中国では今年、中学校で使う歴史教科書が改訂された。昨年の共産党大会で任期の上限が撤廃され、一強支配を強める習近平(しゅうきんぺい)国家主席の意向を反映したとみられる記述が至るところに表れている。中学二年生が使う「中国歴史」(教育省監修)の内容を読み解き、現在の中国の姿を探る。 (上海・浅井正智)

 今回の改訂で最も大きく変わったのは文化大革命(一九六六~七六年)に関わる記述だ。これまであった「文化大革命の十年」という独立の章はなくなり、その下の一項目に格下げされた。「動乱と災難」という見出しも消えた。文革の説明はこう始まる。

 六〇年代半ば、毛沢東(もうたくとう)は党と国家が資本主義復活の危険に直面していると認識した。このため彼は「階級闘争をもって要とする」と強調し、文化大革命の発動を通じて資本主義の復活を防ごうとした。六六年夏、文化大革命は全面的に発動された。

文化大革命当時、「反革命分子」の髪を切り、自己批判を迫る紅衛兵=共同

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 これを読んだだけでは分からないが、改訂前の教科書と読み比べると、違いは明確になる。以前は「六〇年代半ば、毛沢東は党中央から修正主義が生じ、党と国家が資本主義復活の危険に直面していると誤って認識した」と記していた。「誤って」のひと言が削除されただけだが、これは重大な変更と言える。

 文革の評価は八一年、共産党の「歴史決議」で、「指導者が誤って発動し、党や国家、各民族の人々に大きな災難をもたらした」と総括された。歴史決議は、党の歴史評価として最も重要な文献の一つであり、文革の過ちを認めることで、党は分裂を回避し、人民の支持を得ることができた。

 過ちを認める表現を消し、毛沢東の無謬(むびゅう)性を復活させたこの改訂は、歴史決議の根幹を実質的に変更したに等しい。そこには、党の威信に疑義を挟むことを許さない今の最高指導部の意志がのぞく。

1966年10月1日、中国の建国記念日、国慶節を祝い天安門楼上に姿を見せた中国共産党の毛沢東主席(右)=共同

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 教科書には、新たに書き加えられた部分もある。

 文化大革命は党と国家、各民族の人々に新中国成立以後、最もひどい挫折をもたらし、巨大な損失を引き起こした。

 文革の発動には複雑な社会的、歴史的な原因がある。社会主義国家の歴史は非常に短く、党は何が社会主義で、どのように社会主義を建設したらいいのか完全に分かっていたわけでない。そのために探求の中で回り道をしてしまった。

 世の中に順風満帆なことはなく、世界史は常に波瀾万丈(はらんばんじょう)の曲折を経て前進するものである。

 文革がもたらした混乱を認める一方で、文革が社会主義建設の過程で避けがたい「回り道」だったと言おうとしているようだ。この文章からは、文革の悲劇性を薄め、党の責任を軽くしようとする意図も透けて見える。

<文化大革命> 1966年から76年にかけ、共産党内の路線対立を背景に起こった政治運動。50年代の大躍進政策の失敗で求心力を失っていた毛沢東が発動した。「紅衛兵」と呼ばれる若者が動員され、当時の劉少奇(りゅう・しょうき)国家主席ら指導者や知識人を攻撃、虐殺も横行した。死者1000万人、被害者1億人とも言われる。党は81年6月、文革を否定する「歴史決議」を採択した。



by daisukepro | 2018-12-04 06:40 | 中国情勢