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カテゴリ:社説( 2 )

年のはじめに考える 分断の時代を超えて

【社説】東京新聞

 この年頭に思うのは、分断ではなく対話の時代であれ、ということです。世界は、そして私たちは歴史的試練に立たされているのではないでしょうか。

 思い出してみてください。

 平成の始まるころ、世界では東西ベルリンの壁が壊れ、ソ連が崩壊し、日本ではバブル景気がはじけ、政治は流動化し非自民政権が生まれた。

 米ソ冷戦という重しがはずれ、世界も日本もあらたな歴史を歩み始めたのです。

◆自由と競争を手中に

 アメリカ一強といわれました。

 政治は自由の広がりを感じ、経済は資本主義が世界を覆って市場経済のグローバリゼーションが本格化した。

 世界は自由と競争を手に入れたかのようでした。

 欧州では共通通貨ユーロが発行され、中東ではパレスチナ、イスラエルの和平合意。日本では二大政党時代をめざす政治改革。時代は勢いをえていました。

 しかし、その後どうなったか。

 政治の自由は寛容さを失って自ら窒息しつつあるようです。

 経済の競争は、労働力の安い国への資本と工場の移転で、開発国の経済を引き上げる一方、先進国に構造的経済格差を生んだ。リーマン・ショックは中間層を縮め失職さえもたらした。

 その根本には人間がいます。

 悩み苦しみ、未来に希望をもてない人がでてきた。

 憲法や法律には不公正も不平等もないはずなのに、それらが実在するというゆがんだ国家像です。

 アメリカでは貧しい白人労働者たちを「忘れられた人々」と称したトランプ氏が勝ち、欧州では移民を嫌う右派政党が躍進。人権宣言の国フランスでは黄色いベスト運動が起きた。

 格差が、不平等が、政治に逆襲したのです。

◆友と敵に分ける政治

 日本は「非正規」という不公平な存在を生みました。貧困という言葉がニュースでひんぱんに語られるようになりました。

 それらに対し、政治はあまりにも無力、無関心だったのではないでしょうか。

 欧米でも日本でも目下最大のテーマは民主主義、デモクラシーの危機です。

 思い出されるのは、戦前ドイツで注目の政治学者カール・シュミットの政治論です。

 政治学者三谷太一郎氏の簡明な説明を借りれば、国民を友と敵に分断する政治です。敵をつくることで民衆に不安と憎悪を募らせ、自己への求心力を高める。

 敵をつくるだけで対話も議論もありません。その結果、多数派が少数派を抑圧し圧殺してしまう。独裁の理論化といわれます。

 ナショナリズムもポピュリズムも同種です。

 排外主義は国民を熱狂させやすい。ポピュリズムは目的遂行のため事実を隠すことがあります。

 ヒトラー政権が用い、戦前戦中の日本も同じようなものでした。英米はきらったそうです。

 今、シュミット流の分断政治が内外で進んでいるかのようです。 多数派の独走。議会手続きを踏んだふりをして数の力で圧倒してしまう。実際には国民の権利が奪われているのです。

 では健全な民主主義を取り戻すにはどうしたらいいか。

 分かり切ったことですが、まずうそをつかないことです。

 情報公開がもっと進まねばなりません。役人が政治家のため、また自分たちのために情報を隠すのなら、主権者たる国民への裏切りにほかならない。これでは民主主義が成立しません。

 もう一つは、多数派は少数派の声に耳を傾けねばならないということです。多数の利得が少数の損失のうえに築かれるのなら、それは国民全体の幸福とはいえません。国民の総意とはいえない。

 自由と競争は必ず不平等を生じさせますが、それを正すのが政治の役割というものです。

 事実にもとづく議論、適正な議会手続き、議員各人の責任感。

 それにより少数派は声が小さくとも守られ、多数派は多数専横の汚名から救われるのです。

◆民主主義は死なない

 むかしシュメールの王様はときどき神官にほおを平手打ちしてもらったといいます。増長をいましめ、謙虚を思い出すためです。どこかこっけいなようですが、逆にいうなら権力保持には大いに役立ったことでしょう。今なら国政の安定ということです。

 民主主義は死んだりしません。

 民主主義とは私たち自身だからです。生かすのは私たちです。危機を乗り越えて民主主義は強くなるのです。その先に経済も外交も社会保障もあるのです。

 分断を超え対話を取り戻さねばなりません。


by daisukepro | 2019-01-05 20:53 | 社説

平成と政治 「改革」の影を直視して

【社説】東京新聞

 政治改革の時代でもあった平成。たどり着いたのは「安倍一強」でした。改革の針路は正しかったのか。誤りがあれば、正すのが次の時代の課題です。

 昨年十二月二十六日、安倍晋三首相は二〇一二年の第二次安倍内閣発足から六年を迎えました。

 第一次内閣(〇六~〇七年)と通算した安倍首相の在任期間は、今年八月には戦後一位で安倍氏の大叔父である佐藤栄作氏を、十一月には戦前も含めた歴代一位で、安倍氏と同じ長州(山口県)出身の桂太郎氏(在任期間二千八百八十六日)をも抜きます。憲政史上例のない長期政権です。

◆派閥政治で汚職が頻発

 振り返れば平成の三十年間は、日本の政治にとって「政治改革」の時代でした。それを迫ったのは昭和から平成にかけて相次いだ政治家が関与する大型汚職事件でした。ロッキード、リクルート、東京佐川急便事件などです。

 その構造的要因と指摘されたのが、一九五五年の結党以来、政権を長年担っていた自民党の派閥政治です。自民党政治の制度疲労と言ってもいいでしょう。

 当時、衆院は中選挙区制の時代でした。一つの選挙区から複数の議員が当選するこの制度で、同じ自民党の候補が、党内派閥の支援を受けて激しく争っていました。

 各派閥は政治力を増そうと、力の源泉となる所属議員を増やしたり、政治工作をするために多額の資金を必要としていました。それが汚職事件につながったのです。

 汚職事件が起こるたびに、政治に対する国民の信頼は失われ、派閥政治への批判が高まりました。

 一九九三(平成五)年の衆院選で、自民党が結党以来初めて野党に転落したのは当然の帰結でしょう。代わりに権力の座に就いたのが、日本新党代表の細川護熙首相率いる非自民連立政権でした。

◆小選挙区制と政党助成

 細川政権は政治改革を最優先の課題に位置付けて取り組みます。その結果、実現したのが衆院への小選挙区導入を軸とする現行の選挙制度でした。目指したのは政党中心・政策本位の政治、政権交代可能な二大政党制の実現でした。

 一選挙区で一人しか当選しない小選挙区制の下では派閥同士の争いがなくなり、政党が競い合う政策を、有権者が選択する選挙になる。政権交代の可能性が常にあることで政治に緊張感が生まれる、という理屈です。

 同時に導入されたのが年三百億円以上を得票や議席数に応じて各党に配分する政党助成金です。公費を投じることで政治家が資金集めに奔走することなく、汚職などの腐敗はなくなるとされました。

 こうした政治改革の結果、〇九年には自民党から民主党への政権交代が実現し、政権運営に失敗した民主党は自民党に再び政権を譲り渡しました。

 一連の改革で首相を頂点とする首相官邸に権限が集まり、政策決定に大きな裁量権を持っていた官僚に代わり、政治家主導が定着します。悪名高い派閥政治と呼ばれることもなくなりました。

 平成の政治改革が、一定の成果を上げたことは否定しません。

 しかし、その弊害が近年ひどくなっているのも事実です。「安倍一強」の政治状況も、平成の政治改革と無縁ではありません。

 一連の改革で、政策の決定権に加え、選挙での公認や政治資金の配分という政治家の政治生命を左右する権限が、首相を頂点とする政権中枢に過度に集まりました。

 その結果、首相らにはおとなしく従った方が得策との風潮が政権与党、特に自民党議員に広がっているように見えます。

 政権転落の危機感や政権復帰への焦りから、対立する勢力を敵とみなし、過剰に攻撃する風潮も生まれました。国会では、野党が政権攻撃に力を注ぎ、与党は採決強行を繰り返しています。

 熟議を重ね、よりよい結論を導き出すよりは、選挙をにらんで相手を徹底的に打ちのめす。敵か味方かに二分する分断社会が、日本の政界にも押し寄せています。政策本位とはとてもいえません。

 首相自らが対立をあおる言動を繰り返すありさまです。多様な民意を切り捨てることで成り立つ小選挙区制の弊害そのものです。

◆想定超える人材の劣化

 若手議員を中心に、不倫や金銭トラブルを巡る問題も相次ぎました。指導の一端を担っていた派閥の機能低下も一因ですが、想定を超える人材の劣化です。

 平成の政治改革が始まって二十年以上がたちます。とても政治の進化とはいえない改革の弊害があるのなら、目をそらさず、改善策を考えなければなりません。

 首相は自民党総裁としてその議論の先頭に立つべきです。自身が目指す憲法九条改正より、よほど重要なことではないでしょうか。


by daisukepro | 2019-01-05 20:41 | 社説