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カテゴリ:歴史( 3 )

故水上勉が見た「天安門」 事件30年 長女が「記録画」公開

故水上勉が見た「天安門」 事件30年 長女が「記録画」公開
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2019年6月26日 13時50分  中国当局が学生らの民主化運動を武力弾圧した天安門事件から六月で三十年が経過した。日中文化交流協会代表団の団長として偶然、現地で事件の一端を目撃した作家の故水上勉さん(一九一九~二〇〇四年)は、「記録画」に当時の衝撃を描いていた。これまで表に出ることはあまりなかったが、事件三十年を機に、保管する長女蕗子(ふきこ)さん(73)=長野県東御市=が本紙に公開した。 (佐藤大) 水上さんらの一行は一九八九年六月一日、北京に到着した。当時、北京市中心部の天安門広場では、多数の学生や市民らが民主化を求め大規模デモを行っていた。 軍の戦車などが同三日夜に制圧を始め、多数が死傷。水上さんは、天安門にほど近い宿泊先「北京飯店」から、けがをして搬送される人々や戦車を目撃し、詳細をメモに取った。 一行は同六日、日本政府の救援機で帰国した。水上さんは家族と再会してほっとしたのもつかの間、翌七日早朝に体調が急変し、心筋梗塞で緊急入院。心臓の三分の二が壊死(えし)したが、一命を取り留めた。手術後、病室に竹紙を取り寄せ、絵筆を執った。 水上さんはこれらの体験を「心筋梗塞の前後」(一九九四年)に書き記している。 ただ、記録画についてはなじみの深い京都の画廊などで一部が展示された以外、ほとんど公開されてこなかった。蕗子さんによると、中国の関係者に配慮し、公表には積極的ではなかったという。 額装された記録画は全部で十四点。そのうちの一点では、着衣を赤く染め、輪タクに乗せられた負傷者が中央に描かれ、「(繁華街の)王府井は負傷者と死者の運ばれる道なり」「わきに学生らしき男いてこれも血みどろなり」「天安門にて銃音しきりなればその犠牲者たるは明らか」などと書かれている。 別の一点では、中国で赤十字を示す「紅十字」の旗を持った人の姿が描かれている。 水上さんを研究する山梨大の大木志門准教授(日本近代文学)は記録画について「水上勉は一方で私小説を書きながらも、現実の出来事を追い、社会派的な目を持ち続けた。見たものを残さなければならない、という思いがあったはずだ」とみる。 記録画や「心筋梗塞の前後」には、事件を論評するような記述は見当たらない。水上さんは若い頃に一時、旧満州(中国東北部)に渡った経験があり、生涯に何度も訪中している。 大木准教授は「水上勉にとって中国は大事な存在だった。(事件に対して)思うところはあったはずだが、すべてを見たわけではない出来事に対し、ひと言で言うべき問題ではない、という考えもあったのだろう」と分析する。<水上勉さん(みずかみ・つとむ)> 福井県大飯郡本郷村(現おおい町)生まれ。10歳で京都の寺に徒弟に出された。立命館大に進んだが、学費が足りず退学。戦後、初出版の「フライパンの歌」が好評を得たが、生活に追われ、一時、文学から離れた。再登場し「雁の寺」で直木賞。代表作に「飢餓海峡」「五番町夕霧楼」「越前竹人形」など。絵もたしなみ、京都を描いた画文集なども出版した。蔵書や竹人形劇場を備えた「若州一滴文庫」をおおい町につくった。(東京新聞)
by daisukepro | 2019-06-26 16:12 | 歴史

韓国議長が天皇発言を謝罪

韓国議長が天皇発言を謝罪 訪韓中の鳩山元首相に
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2019年6月13日 20時13分  【ソウル共同】韓国の文喜相国会議長は13日、訪韓中の鳩山由紀夫元首相とソウルで会談し、天皇陛下(現上皇さま)の謝罪で慰安婦問題が解決するとした文氏の発言は失礼に当たるとの指摘を鳩山氏から受け、「心を痛めた方たちに申し訳ないと伝える」と述べた。発言を巡り文氏が謝罪するのは初めて。韓国国会が両氏のやりとりを明らかにした。 文氏は2月に報じられた米メディアとのインタビューで、陛下が謝罪すれば慰安婦問題は解決すると発言。日本政府は繰り返し謝罪と発言の撤回を求めてきたが、文氏は応じてこなかった。 韓国の文喜相国会議長 
by daisukepro | 2019-06-13 21:10 | 歴史

赤旗主張 朝鮮三・一運動100年 歴史の過ち直視し未来志向へ

主張

朝鮮三・一運動100年

歴史の過ち直視し未来志向へ

 100年前の1919年3月1日、日本の植民地支配下にあった朝鮮の京城(現・ソウル)で独立宣言書が発表され、街頭で「独立万歳」を叫ぶ示威行動が全土に広がりました。「三・一独立運動」です。宣言書は、独立が民族自決の正当な権利であるだけでなく「東アジアの平和を重要な一部とする世界の平和、人類の幸福に必要となる階段」であり、「日本を正しい道に戻して、東アジアを支えるための役割を果たさせようとするもの」と強調しました。三・一独立運動は、日本との真の友好と平和のための協力に向けた展望までも先取りしたことを示しています。

国民間の理解と交流深め

 三・一独立運動は激しい弾圧を受けましたが、45年の日本の敗戦による朝鮮の解放、65年の日韓国交正常化を経て、98年に金大中(キム・デジュン)大統領と小渕恵三首相が発表した「日韓パートナーシップ宣言」で三・一独立運動が示した展望は実現へ大きな一歩を踏み出しました。植民地支配に対する「痛切な反省と心からのお詫(わ)び」を日韓の公式共同文書として初めて明記するとともに、「和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させる」ことを約束したのです。

 日本が歴史の過ちを直視した上で、友好と協力を深めようと合意したという点で、真の「未来志向的な関係」に向かう出発点に立った画期的な共同宣言でした。

 しかし、日本の首相や閣僚による靖国神社参拝、日本軍「慰安婦」に加え、最近では徴用工問題が浮上し、歴史問題が日韓関係をこじらせています。日本政府は65年の日韓請求権協定、2015年の「慰安婦」問題についての日韓外相合意を挙げて、植民地支配下の朝鮮半島出身者の被害は全て「解決済み」の一言で片づける態度です。

 政府間の外交合意があるとはいえ、被害者一人ひとりが抱える深刻な心の傷を癒やしてこそ「解決」と言えるはずです。日本政府の姿勢は、そこからかけ離れていると言わざるを得ません。

 政府間関係が冷え込んでいる一方、国民レベルの交流と相互理解は著しく進展しています。「韓流」はすっかり日本に定着し、世界的スター「防弾少年団(BTS)」が昨年11月から日本で行った9公演には、38万人のファンが詰めかけました。韓国の最大手書店で09年から10年間に最も売れた小説は東野圭吾の127万部、2位は村上春樹の100万部です。昨年、訪韓した日本人は295万人、訪日した韓国人は753万人、初めて合計1000万人を超えました。

 日韓パートナーシップ宣言が指摘している通り、「政府間交流にとどまらない両国国民の深い相互理解と多様な交流」が日韓協力の基礎になります。

協力し平和への大転換を

 困難を抱えつつも朝鮮半島で平和への激動が始まりました。朝鮮半島の非核化、恒久的な平和の構築が進めば、戦争の脅威にさらされてきた北東アジアは、平和と繁栄の地域へと一変します。三・一独立運動が目指した「東アジアの平和を重要な一部とする世界の平和」への旅程が始まろうとしています。日韓両国政府も協力して、北東アジアの平和と安定に向けた大転換を促進すべきときです。三・一独立運動100年を機に、日本政府が歴史を直視する誠実な姿勢を取り戻すことを求めます。




by daisukepro | 2019-03-01 12:38 | 歴史