カテゴリ:文化( 106 )

作家の山崎朋子さんが死去 「サンダカン八番娼館」

 代表作「サンダカン八番娼館」で知られる女性史研究家でノンフィクション作家の山崎朋子(やまざき・ともこ)さんが10月31日、糖尿病のため東京都内の自宅で死去した。86歳。福井県出身。葬儀・告別式は近親者で行った。

 「アジア女性交流史」をライフワークとし、社会の底辺を生きる女性たちとアジア諸国との関わりを描き続けた。貧困ゆえに戦前の日本から海を渡った「からゆきさん」の人生を追った「サンダカン八番娼館」で、1973年に大宅壮一ノンフィクション賞。熊井啓監督の手で映画化もされた。

 夫で児童文化研究家の故上笙一郎さんとの共著「日本の幼稚園」で毎日出版文化賞を受賞。

(共同)

 死去した山崎朋子さん

 死去した山崎朋子さん
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by daisukepro | 2018-11-16 22:59 | 文化

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員) 酒処60年が夢のよう 18/11/09 明日へのうたより転載

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

酒処60年が夢のよう 18/11/09

明日へのうたより転載

 10日も前の話だが、10月30日夕方水道橋へ行った。70の坂を越えたカメが女房やそのお仲間と新しい商売を始めるという。レンタルスペース「余白」と言い、要するに20人くらいは入れるスペースを自由に使わせて使用料をいただく。昼は弁当屋もやる。最近あちこちで流行っているビジネスらしい。

 お披露目会は6時半から。早めに水道橋に着いたのだが場所が分からなくてウロチョロしてしまった。幸いケータイを携帯していたのであちこち連絡した末やっとたどり着いた。30人ほどの40~60歳くらいのメンバーが集まっていて、会は面白く進行。カメもああいう仕切りをやらせるとうまいものだ。

 8時過ぎに同行の田村、赤川さんと会場を出る。お2人とも疲れているらしくそのまま水道橋で分かれる。おれはお茶の水で千代田線に乗り換え、二つ目の根津でふらりと降りる。はたちの頃から60年以上、付かず離れず通っている居酒屋「多からや」を目指す。ワインの酔いで少しふらつく。

 「多からや」は不忍通りから根津神社の方へ入る曲がり角にある。昔この近くに毎日新聞の独身寮があった。輪転の橋本さんや前田、それから写真製版の柳澤さんが住んでいた。ヤナさんはおれのふたつ先輩だが、気兼ねのない間柄。飲み潰れるとヤナさんの部屋に泊まった。この部屋が並の部屋ではない。汚いとか散らかっているとかはまあいいとして、部屋そのものが傾斜しているのだ。真ん中に寝たつもりでもいつの間にか二人とも隅に転がって折り重なるようにして寝ている。

 一度世界情勢をどう見るかで論争して、ついに根津神社の境内で取っ組み合いになり、おれはヤナさんにシャツを破かれたことがある。その夜も折り重なって寝て翌朝起きてみるとヤナさんはもう出勤していて、枕元に彼のワイシャツが置かれてあった。「根津神社の決闘」として今でも語り草になっている。

 その頃はしご酒の最後に飲んだ店が「多からや」だ。ここからなら這ってでも寮へ帰れる。50歳過ぎのおかみさんが1人で店を切り盛りしていた。午前零時を回って閉店近くなるとおかみさんもぐいぐい飲んで管を巻く。その足元に10歳前後の男の子がまとわりついていた。その子が今の「多からや」のマスターである。もう70歳になる。包丁さばきは母親をしのぐ腕前に成長。ヒラメの刺身なんか絶品だ。

 そう言えば橋本さんも前田も亡くなった。その夜のおれはマスター相手に、奥さんに先立たれ施設に入ったヤナさんの話をしながら、ヒラメのエンガワ、鯛、マグロで、熱燗2合徳利をあけたのでした。
 

 


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by daisukepro | 2018-11-15 10:17 | 文化

「私、絵と結婚するの」

きょうの潮流

 「私、絵と結婚するの」。荒廃のなかで新しい国づくりに多くの人びとが動き始めた東京。そこに、つば広の帽子をかぶった一人の女性が上京しました▼人間として、絵描きとして自立したい。心の内に燃えるような思いを秘めた、27歳のいわさきちひろです。夫が自殺した最初の結婚、満蒙開拓団の生活や空襲で家を焼かれた戦争体験…。忌まわしい過去から決別し、日本共産党員として自分の信じる道を歩もうと▼彼女の激動の日々と、それを取り巻く若者たちの群像劇を前進座が公演しています。ちひろ生誕100年を記念して。節目の今年は東京・練馬や安曇野にある美術館をはじめ、多彩な催しが各地で開かれてきました▼子どもが幸せでいることに何よりも喜びを感じ、子どもが不幸になることを許さなかった、ちひろ。生前こんな言葉を残しています。「平和で、豊かで、美しく、可愛(かわい)いものがほんとうに好きで、そういうものをこわしていこうとする力に限りない憤りを感じます」▼子は社会を映し出す鏡。いまも子どもの貧困や虐待が社会問題となるなか、彼女の絵は没後44年の時間がたっても色あせず、みるものの心をあたたかく包みます。大切なものを守るという覚悟とともに▼平和の願いをひろめる毎年のカレンダーやヒバクシャ国際署名にも使われている、愛らしい絵。描き続けた子どもの姿は“いのち”の象徴でした。たとえ絵が歴史になろうとも、絵筆に込めたちひろのゆるぎない思いは、これからも生きていきます。



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by daisukepro | 2018-11-14 19:41 | 文化

『だるまちゃんとてんぐちゃん』の作家かこさとしさん5月2日に慢性腎不全で死去。92歳没

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福井県今立郡国高村(現在の越前市)に生まれ、8歳より東京市(現在は東京都板橋区に育つ。旧制成蹊高等学校から、東京大学工学部応用化学科に学ぶ。成蹊高校時代の教師に中村草田男がいた。

卒業後、昭和電工に入社する。研究所勤務を続けるかたわら、川崎市などでセツルメント活動や、児童向け人形劇紙芝居などの活動を行う。1962年「亜炭酸化生成物を基体とする土壌改良剤並びに肥料に関する研究」で東京工業大学より工学博士。1966年技術士(化学)資格取得。

最初に手がけた絵本は、ダムがどのように人々の生活に役立っているかを示した『だむのおじさんたち』(1959年)。1973年、47歳で昭和電工を退社した後は、フリーで多作な活動を行うようになる。

1975年東京大学教育学部東京都立大学人文学部、1983年横浜国立大学教育学部、1984年玉川学園女子短期大学、1985年東京大学教育学部、1990年山梨大学教育学部でそれぞれ非常勤講師を務めた。

『だるまちゃんとてんぐちゃん』(1967年)に代表される「だるまちゃん」シリーズなどのユーモラスな絵本から、『かわ』(1966年)、『たいふう』(1967年)などのいわゆる科学絵本に至るまで、幅広い作風を誇る。

『たなばた』における中部地方の伝統行事の描写や、「だるまちゃん」シリーズにおける子供の遊びの紹介など、だんだんと失われていく昔ながらの日本の文化を描き留めた作品が多い。また『とこちゃんはどこ』は『ウォーリーをさがせ!』のはるか先駆を成す作品である。

日本化学会にも所属した。

絵本以外の著書としては、絵本制作の方法論などを解説した『加古里子 絵本への道』(1999年)や、子供の遊びについての資料集成『絵かき遊び考』(2006年)、『石けり遊び考』(2007年)、『鬼遊び考』(2008年)、『じゃんけん遊び考』(2008年)などがある。

2013年4月、代表作の一つである『からすのパンやさん』(1973年)の続編を40年ぶりに4冊同時発売(『からすのおかしやさん』『からすのやおやさん』『からすのてんぷらやさん』『からすのそばやさん』)。また同年9月、同じく代表作の1つである『どろぼうがっこう』の続編を40年ぶりに2冊同時発売した(『どろぼうがっこうぜんいんだつごく』『どろぼうがっこうだいうんどうかい』)。2018年1月には、「だるまちゃん」シリーズの新作を3冊同時発売(『だるまちゃんとかまどんちゃん』『だるまちゃんとはやたちゃん』、『だるまちゃんとキジムナちゃん』[1])。

2018年5月2日に慢性腎不全で死去。92歳没[2]


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by daisukepro | 2018-11-09 20:33 | 文化

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員) 秋の宵居酒屋文化何処へ行く 18/10/28

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

秋の宵居酒屋文化何処へ行く 18/10/28

明日へのうたより転載

 昨夕五香駅前の「やきとり栄」に行った。ひと月ぶりくらいかな。ちょっと間が開いてしまった。中生一杯、レバたれ2本、ブリカマ塩焼き。ボトルキープの焼酎は水割りで飲む。おれが店に入った時1人いたお客が瓶ビールを3本飲んで5時半頃おあいそして出て行った。その後親父さんと世間話をした。

 土曜の夕方だというのにお客が少ない。居酒屋チェーン店に流れてしまうらしい。2000円内で酔って食えるというのが飲み客の目安のようだ。チェーン店ではお客同士の交流はない。自分たちのグループだけかあとは一人で黙って飲んでる。だから店内がシーンとしている。活気がない。もっともカラオケが売り物のの店では今度はうるさくてゆっくり飲んでいられない。酒と料理を楽しむ雰囲気ではない。

 親父さんやおれたちの若い頃、小料理屋というそこそこに値段も張るがそれなりに雰囲気のある店があった。その昔芸者をしていたり料亭の仲居さんだったりした小粋なおかみさんがお酌をしてくれた。残り香のような色気もあって、きつい労働の一日が癒されたよね。そんなお店がなくなった。

 いい素材を吟味してつまみに出したり、いい酒を勧めたり、お客と心が通うような親父さん、おかみさん。それを居酒屋文化と言ってもいい、そんなものが廃れてしまった。原因はなんだろう。格差と貧困が社会を覆うというお客の方の変化もさることながら、親父さん、おかみさんの高齢化も顕著だよね。後継ぎがいればいいけどそれがいない。子どもがいても後を継がない。

 そう言えば最近「はしご酒」というのを聞かない。客の財布が軽くなったのも原因だが、はしごして飲みたくなるような店がない。屋台に毛が生えたような店で安酒を飲み、勢いで小料理屋へ。最後はスナックで仕上げをした時期があった。だんだん上がるからはしごで、同じような店では次へ行く気がしない。

 そんな愚痴を言い合っているうちに7時になった。新しいお客は入ってこない。「すまないけどこれで帰るわ」と今日の勘定2150円を払って「やきとり栄」を後にした。銀行の前に止めておいた自転車に乗って家へ向かう。小腹が空いていたので、煮干しダシのラーメン屋にでも寄ろうかなと思ったが、別のことに思い当たって素通りしてしまった。家へ帰って日本シリーズを見ながら昨日飲み残した780円のチリ・ワインを飲もう。このくらいの空きっ腹がちょうどいい。生暖かい宵の口だった。


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by daisukepro | 2018-11-06 22:11 | 文化

鴎外の虚子宛て書簡を初確認 「うた日記」選句に謝意

 文豪の森鴎外(1862~1922年)が、詩歌集「うた日記」に収める俳句を選んだ俳人の高浜虚子(1874~1959年)に謝意を伝える、全集未収録の書簡の存在が初めて確認された。明治期の文人同士の濃密な交流がうかがえる貴重な資料だ。

 虚子記念文学館(兵庫県芦屋市)の所蔵品だった書簡を、東京・文京区立森鴎外記念館が分析し、1906年2月22日の書簡と特定した。鴎外の要望に応えて、虚子が詩歌集の完成の手助けをしていたことが分かる。森鴎外記念館で6日から初公開。

 07年9月刊行の「うた日記」は、日露戦争に従軍した鴎外が戦地で作った詩や短歌、俳句などをまとめたもの。

(共同)

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by daisukepro | 2018-10-30 21:00 | 文化

16歳藤井七段 新人王 将棋 31年ぶり最年少更新

16歳藤井七段 新人王

将棋 31年ぶり最年少更新

写真

(写真)将棋の第49期新人王戦で優勝した藤井聡太七段(右)と出口若武三段。向こう側右から小木曽陽司赤旗編集局長、立ち会いの糸谷哲郎八段=17日、大阪市・関西将棋会館(峯松進撮影)

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(写真)将棋の第49期新人王戦で優勝した藤井聡太七段=17日、大阪市・関西将棋会館(峯松進撮影)

 将棋の第49期新人王戦(しんぶん赤旗主催)決勝三番勝負第2局が17日、大阪市福島区の関西将棋会館でおこなわれ、藤井聡太七段(16)が105手で出口若武(わかむ)三段(23)を破り、2連勝で初優勝を果たしました。(関連記事)

 藤井七段の16歳2カ月での新人王獲得は、第18期(1987年)の森内俊之九段(十八世名人)の17歳0カ月の記録を31年ぶりに塗り替える快挙です。

 藤井七段は今年2月から5月の間に四段から七段へスピード昇段したため、16歳の若さながら規定により今回が最後の新人王戦出場でした。初出場だった前期はベスト8で敗退しましたが、今期は見事ラストチャンスを優勝に結び付けました。

 ストレートで三番勝負を制した藤井七段は「今回が最後のチャンスでしたので、優勝する形で卒業できたことはとてもうれしく思います」と喜びを語りました。

 ふじい・そうた 2002年7月19日生まれ。愛知県瀬戸市出身。杉本昌隆七段門下。16年10月1日四段昇段・プロデビュー。18年2月1日五段、同17日六段、5月18日七段昇段。第11回朝日杯将棋オープン戦で公式戦初優勝。



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by daisukepro | 2018-10-18 19:02 | 文化

オセロ世界一、小学5年の福地君 神奈川の11歳、歴代最年少記録

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 チェコの首都プラハで9~12日に開かれた第42回世界オセロ選手権で、初出場の小学5年の福地啓介君(11)=神奈川県=が初優勝を果たした。日本オセロ連盟(東京)によると、選手権には成人も参加しており、11歳での優勝は歴代最年少。これまでの最年少記録は15歳の日本人選手で、36年ぶりに更新した。

 大会の公式サイトによると、福地君は準決勝で日本人選手を破り、決勝でタイの選手と対決。1勝1分けで迎えた決勝3戦目を34対30で勝った。

 連盟によると、選手権には24の国・地域から82人が参加したという。

(共同)


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by daisukepro | 2018-10-16 14:05 | 文化

テイラーの投稿の日本語訳は次のとおり。


テイラーの投稿の日本語訳は次のとおり。

《きたる11月6日の中間選挙に向けてこの投稿を書いています。私はテネシーで投票するつもりです。これまで私は、政治的な意見を公にするのに消極的でした。でも、この2年間、私の人生でも、世界でも色々なことがあって、今は意識が大きく変わったんです。これまでは、「この国で生きる人たち全て」が享受する人権を守るため、戦ってくれる候補に投票してきました。これからもそうするつもりです。

LGBTQの権利のための戦いを信じています。性的指向やジェンダーに基づいた差別は、どんなものでも間違っていると思います。肌の色による体系的な差別は、恐ろしく、病的ですが、今でもこの国に広く存在していると考えています。

肌の色やジェンダー、どんな人を愛するかにかかわらず、「全ての」アメリカ人の尊厳のために戦ってくれない人に投票をすることはできません。テネシー州から上院選挙に出るのは、マーシャ・ブラックバーンさんという女性です。私は可能な限り女性の候補者に投票しようとしていますが、マーシャ・ブラックバーンさんは支持できません。

彼女がこれまで、議会でどんな風に投票してきたかを知って、恐ろしくなりました。男女の同一賃金に向けた案に、彼女は反対しました。DVやストーカー、デートレイプから女性を守ろうとするVAW法の改正にも反対しました。ゲイカップルへのサービス提供を拒否する権利がビジネス側にあると、彼女は考えています。ゲイカップルには結婚する権利がないとも。そういう考えは、「私の」テネシー的な価値観とは全く異なっています。

私は今回、上院はフィル・ブレデセンさんに、下院はジム・クーパーさんに投票します。みなさん、どうか自分の州の候補者について知識を身につけて、自分の価値観と一番近い人に投票するようにしてください。ほとんどの場合、この人なら100%同意できるという候補者は、いないでしょう。でも、どうせ投票はしなきゃいけないですよね。

だから、賢くて、思慮深くて、冷静な18歳以上の人たちは、投票する権利がある。自分の投票に意味を持たせる特権があるわけです。まずは登録をしておくこと。テネシーの登録最終日は10月9日です。情報はウェブサイトvote.orgで手に入ります。ハッピー・ボーティング!(投票箱と笑顔、そして虹の絵文字)》


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by daisukepro | 2018-10-10 01:36 | 文化

愚かな戦争はやめましょう

きょうの潮流

 飾らない人でした。他人と比べず、周りに流されず、自分のなかにある芯を大切にする。そんな自然体の生き方が演技にも表れた類まれな役者でした▼70年代に人気を博したドラマ「寺内貫太郎一家」。沢田研二さんのポスターの前で「ジュリイーー」と叫ぶおばあさん役が当時31歳の樹木希林さんでした。年齢より40歳も上の老け役。その役柄に違和感はありませんでした▼以前、雑誌のインタビューでこんなことを。「何かを声高に語るわけではないけれど、淡々と流れる時間の根底にある人間賛歌みたいなものを感じていただきたい」。さまざまなものを背負った人間を包み込むような存在感を発揮しました▼河瀬直美監督の映画「あん」ではハンセン病の元患者を演じました。そのときの思いを本紙日曜版で話しています。「生まれることがもはや素晴らしいのだから、いらない存在なんてないんですよ。人間は個々違うけど、そこに上下はない。役割が違うだけなの」▼「愚かな戦争はやめましょう」と若い世代に呼びかけた希林さん。地方局の戦争ドキュメンタリーにも出演し、各地を訪ね、辺野古のテント村にも足を運びました▼左目の失明や全身をがんに侵されながら、気丈に生きた75年の人生。本紙日曜版の創刊記念にはこの人らしい祝辞をいただきました。「人間に対して幅の広い、柔軟な方向も目指してほしい。支持することに不安の残る人びとからの信頼を得ることにもつながると思いますよ」。感謝し、別れを惜しみたい。



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by daisukepro | 2018-09-18 10:54 | 文化