カテゴリ:文化( 95 )

版画家・浜田知明さんが死去 戦争の不条理にこだわる

 戦後日本を代表する版画・彫刻家の浜田知明(はまだ・ちめい、本名知明=ともあき)さんが17日午前1時25分、老衰のため熊本市内の病院で死去した。100歳。熊本県出身。葬儀・告別式は19日正午から熊本市中央区河原町23、豊住葬祭で。

 戦争がもたらす不条理や理不尽に終生こだわり、一方で妥協なく質の高い作品を追い求め続けた。

 一兵卒として軍隊で5年を過ごし、戦場で「自殺のことのみ考えて生きていた」という。軍隊生活に絶望し、薄暗い兵舎で自ら銃で死のうとする新兵などを描き、世界的に評価された「初年兵哀歌」シリーズは、まさに自身の心に刻まれた戦争体験の写し絵だった。

(共同)

 死去した浜田知明氏

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 死去した浜田知明氏


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by daisukepro | 2018-07-18 21:13 | 文化

彫刻家の流政之さんが死去 NY貿易ビル前に設置も

 2001年9月の米中枢同時テロで崩壊したニューヨークの世界貿易センタービル前に設置されていた代表作「雲の砦」などで知られる彫刻家流政之(ながれ・まさゆき)さんが7日午前、老衰のため死去したことが17日、分かった。95歳。長崎市出身。

 「雲の砦」は、ビル崩壊後も奇跡的に無傷で残ったが、救助活動の妨げになるとして撤去されたため、04年9月、札幌市中央区の北海道立近代美術館に半分の大きさで再現された。

 第2次世界大戦から復員後、全国を放浪。30代で彫刻の道に入った。1963年渡米し、各地で個展を開催。66年、香川県に仕事場を構え、全国で活動していた。

(共同)

 2001年の米中枢同時テロで崩壊したニューヨークの世界貿易センタービル前に設置されていた代表作「雲の砦」(村井修氏撮影)

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 2001年の米中枢同時テロで崩壊したニューヨークの世界貿易センタービル前に設置されていた代表作「雲の砦」(村井修氏撮影)

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by daisukepro | 2018-07-17 14:27 | 文化

保障されるべき政権批判 民主主義の基本

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7月4日夕刊東京新聞の記事
海部宣男国立天文台名誉教授の主張


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by daisukepro | 2018-07-06 08:53 | 文化

ネットと言葉(4)可視化で消える中傷 映画作家・想田和弘さん

ネットと言葉(4)可視化で消える中傷 映画作家・想田和弘さん

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 「何この人?日本人じゃないんだね」「この人朝鮮半島系でビンゴだと思う。容姿に特徴が出てる」…。

 昨年十月、映画作家の想田和弘さんのツイッターに、こんな中傷の言葉が続々とアップされた。ネット右翼的な人たちから想田さんが浴びせられた言い掛かりの数々を、そのまま転載したのである。

◆並ぶ罵詈雑言

 その数は二日で約四十件。「レイシズム可視化プロジェクト」と名付けたツイッター上の実験だった。

 「ツイッターで歴史認識の話を書くと必ず『おまえ朝鮮人だろ』と、レイシズムど真ん中のコメントが来るんです。そういうのみんな知らないだろうと思って」と想田さんは言う。

 罵詈(ばり)雑言の並んだツイートの異様さは、一覧で眺めると一目瞭然だ。こんなプロジェクトを始めれば、さらに反発を招くのだが、それでもひるまない。

 そうこうするうち不思議なことが起きた。「可視化」された発言者の中に、こうした中傷の言葉を削除してしまう人が出てきたのだ。

 「こういうツイートって日にさらされると消えてしまうドラキュラのようなものなんだな」と想田さんは思う。

 想田さんはリベラルな言論人としても知られる。安保関連法や憲法改正、歴史認識問題をはじめとした安倍晋三首相の政権運営や、橋下(はしもと)徹前大阪市長の政治手法などを批判してきた。

 その主な手段がツイッターだ。過去のツイートを見ると、「可視化プロジェクト」にあったような極端な発言の人たちと論争を繰り返してきたのが分かる。時に、他のツイッター利用者から「このような幼稚な揚げ足取りにいちいちとりあっていては」と心配されることもある。

 「こういう相手を説得できるとは思っていません。ただ、ツイッターのような公開の場で、自分自身の考えを表現すれば、右でも左でもない中間領域の人の考えるヒントになるかもしれない」

 そんな願いを込めて、想田さんは自身の取り組みをごみ拾いにたとえる。一人の人間がいくら頑張ったところで、街中に散らばる無数のごみを片付けることは難しい。でも、一つのごみを拾うことから始めなければ、永遠に街はきれいにならないし、もしかすると、触発された誰かがごみ拾いの輪に加わってくれるかもしれない。ささやかでも、こんな行為の積み重ねが、社会を変えるきっかけになると信じている。

 政治的な発言を始めたきっかけは二〇一一年三月の東日本大震災だった。東京電力福島第一原発事故について、当時の政権は「ただちに健康に影響はない」と繰り返した。「そうやって政府が隠すなら、そうでない情報を発掘して自分だけでも、拡散しようと思った」。それまで、政治的な立場を鮮明にすれば自分の映画を色眼鏡で見られると懸念していたのに「映画なんてどうでもよくなった」と笑う。

 やはり最近話題になった想田さんの取り組みが「菅(すが)官房長官語で答える」だ。ツイッターで、自身に寄せられる批判に対し、菅義偉(よしひで)官房長官の記者会見での発言などを引用して、「その批判は当たらない」などと返答する。「ツイッター実験が話題 無敵の“官房長官語”って?」とネットニュースでも注目された。

◆黙認できない

 想田さんはその趣旨について、ツイッターで「安倍氏の言葉も橋下氏の言葉も、基本的にはコミュニケーションを遮断する目的で使われる。実はそれ以外の機能はない。菅語を回りくどくすると安倍語になり、攻撃的にすると橋下語になる」と解説した。相手の質問や抗議に向き合わず、けむに巻く-そんな論法を自ら用いてみせることで、その欺瞞(ぎまん)的な様子を分かりやすく「可視化」してみせたのだ。

 想田さんがこんなふうに手を替え品を替え、粘り強く声を上げ続ける背景には、ヘイトスピーチに代表されるように、ネット上の言論が強い影響力を持ち始めている現実がある。「たとえば僕はイラクに行ったこともないのに、メディアの情報を仕入れることでイラクについて論じている。僕のイラクというリアリティーはメディアの中にある。そのメディアでネットの占める割合が高くなっているいま、われわれの現実の半分くらいはネットにある。だから、単に黙認していい段階は過ぎていると思うんです」 (森本智之)

 <そうだ・かずひろ> 米ニューヨーク在住の映画作家。1970年、栃木県生まれ。東京大卒業後、米国で映画制作を学んだ。台本やナレーション、BGMなどを排した「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの手法を提唱する。日本流どぶ板選挙を追った『選挙』は米放送界で権威あるピーボディ賞を受賞。世界200カ国でテレビ放映された。『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』『熱狂なきファシズム』など著書も多数。

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by daisukepro | 2018-07-06 08:18 | 文化

サヨナラ

俺の好きなはなし家
落語がラジオから流れてくる時代、上野池之端に父の会社があり、しばしば鈴本亭で落語を聞いた。
古今亭 今輔、志ん生、柳家金語楼(SPレコードで何度も聞いた山下三等兵)円生、桂米丸、談志、三平、そして同い年の歌丸
某作曲家が組織した艶笑落語を聴く会、みんな戦争に反対だった。

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by daisukepro | 2018-07-03 12:53 | 文化

はなし塚

はなし塚

昭和6年は、皆さまご承知のように、日本の内外の情勢は一段と厳しく、日華事変以来、我が国は臨戦体制から戦時体制に突入しており、国家総動員法も公布され、国民も一億一心すべて東亜新秩序のため、身を挺して重大時局に直面している時でありました。政府からは各芸能団体の演題種目について、厳しく自粛が叫ばれていました。

本法寺のはなし塚写真(本法寺境内内)

演芸のなかでも落語は、江戸時代の最盛期にはじまった演芸であり、その演題のなかには、遊里・酒・妾・廓噺などの名作も少なくなかったが、この厳しい戦時中にこうした演題をだすことが憚(はばか)られ落語界では、国策に沿っていち早く自粛方を協議し、野村無名庵(講談落語協会顧問)を先導に、演題について落語界幹部が種々検討して、甲・乙・丙・丁に分類、丁に属する戦時下の時局に相応しくない噺五十三種(遊里・酒・妾・廓話等)を禁演落語として発表し自粛の姿勢しました。

この禁演落語の中には、江戸文芸の名作といわれた、明烏・五人廻し・木乃伊取りがあり、高座から聞くことができなくなりました。落語界の芸人のなかには、この禁演となった五十三種の噺を得意にしている人もあったが、誠に残念であるが重大時局に直面し国民が滅死奉公に身を挺している時であり、当然の結果といえるかも知れません。昭和16年10月31日、当時の講談落語協会、小咽を作る会、落語家講談家一同、落語常席主が発起人となり、落語界の人々の信仰を集めていた熊谷稲荷のある、本法寺の境内に「はなし塚」を建立し、時局に相応しくない53種の台本をこの塚に納め、併せて落語界の先輩の霊を弔いました。

はなし塚の石碑の表面は長井金升氏が揮はくし、裏面には次のようにもその由来と発起人の方々が刻まれています。

昨秋9月東京落語家全員は、園家新体制に即応し53種の落語禁演を自粛協定して職域奉公の実を興げたり、今是を紀念し併せて葬られたる名作を弔ひ尚古今小噺等過去文芸を供養する為詳細記録類を埋めて建碑し以て菩提に資すと再云。
  南無妙法蓮華経      紀元二六〇一年 花四月   昭和十六年巳
  講談落語協會落語部員一同  東京色物演藝場席主一同
  小咄を作る會員有志一同


納められた53種の演題

1  明烏
2  粟餅
3  磯の鮑
4  居残り佐平次
5  お茶汲み
6  お見立て
7  親子茶屋
8  首ったけ
9  廓大学
10 五人廻し
11 子別れ
12 三助の遊び
13 三人片輪
14 三人息子
15 三枚起請
16 品川心中
17 お祓い
18 高尾
19 辰巳の辻占
20 付き馬
21 突落し
22 搗屋無間
23 つるつる
24 とんちき
25 二階ぞめき
26 錦の袈裟(けさ)
27 にせきん
28 白銅
29 ひねりや
30 文違い
31 坊主の遊び
32 万歳の遊び
33 木乃伊取り
34 山崎屋
35 よかちょろ
36 六尺棒
37 権助提灯
38 一つ穴
39 星野屋
40 悋気の独楽(りんき)
41 城木屋
42 引越の夢
43 包丁
44 氏子中
45 紙入
46 駒
47 葛の間男
48 蛙茶番
49 疝気の虫(せんき)
50 不動坊
51 宮戸川
52 目薬
53 後生鰻(ごしょううなぎ)

発起人の方々ご氏名

六代目  一龍齋 貞山
八世    桂    文治
四代目  柳家   小さん
六世    桂    文楽
六代目  古今亭志ん生
二代目  三遊亭 円歌
六代目  三遊亭 円生
五代目  蝶花樓 馬楽
初代    桂    小南
六代目  柳亭  芝楽
四代目  立川  談志
五代目  三遊亭 金馬
三代目  三遊亭 円遊
初代    柳家 金語樓
四代目  春風亭 柳橋
五代目  柳亭   左楽
初代    桂   小文治
七代目  林家   小蔵
初代    春風亭 柳好
二代目  三升   紋彌
三代目  昔々亭 桃太郎
六代目  古今亭 今輔
六代目  春風亭 小柳枝
六代目  三笑亭 可楽
二代目  大島   伯鶴
初代    神田   山陽
四代目  小金井 蘆州
五代目  神田   伯龍
八代目  入船亭 扇橋
四谷    喜よし
新宿    末廣亭
上野    鈴本亭
東寶名人会  林 暁 紅
落語研究會  今村 信雄
題字揮毫    長井 金升
建設委員   野村無名庵
仝        鈴木凸太
石工      南澤仙吉五代目  蝶花樓 馬楽
初代    桂    小南
六代目  柳亭  芝楽
四代目  立川  談志
五代目  三遊亭 金馬
三代目  三遊亭 円遊
初代    柳家 金語樓
四代目  春風亭 柳橋
五代目  柳亭   左楽
初代    桂   小文治
七代目  林家   小蔵
初代    春風亭 柳好
二代目  三升   紋彌
三代目  昔々亭 桃太郎
六代目  古今亭 今輔
六代目  春風亭 小柳枝
六代目  三笑亭 可楽
二代目  大島   伯鶴
初代    神田   山陽
四代目  小金井 蘆州
五代目  神田   伯龍
八代目  入船亭 扇橋
四谷    喜よし
新宿    末廣亭
上野    鈴本亭
東寶名人会 林 暁 紅
落語研究會 今村 信雄
題字揮毫   長井 金升
建設委員   野村無名庵
仝        鈴木凸太
石工      南澤仙吉




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by daisukepro | 2018-07-03 05:41 | 文化

太宰ゆかり 文壇バー「完」 小説のモデル女性経営半世紀 新宿の「風紋」あさって閉店

 無頼派作家の太宰治と交流があった林聖子さん(90)が東京・新宿で営むバー「風紋(ふうもん)」が二十八日、五十七年の歴史に幕を下ろす。太宰が入水自殺してから七十年の節目に、檀一雄や中上健次ら多くの作家に愛された文壇バーの灯が消えることを、常連客らは惜しんでいる。 (増井のぞみ)

 「とても優しくてサービス精神旺盛な人でした」。林さんは十九日、店を訪れた客と、太宰の話題で盛り上がった。太宰の遺体が見つかった一九四八年六月十九日は太宰の誕生日でもあり、後に「桜桃忌」と呼ばれるようになった。林さんは例年、東京都三鷹市の墓を訪れていたが、今年は体力的に厳しく、見送った。

 林さんは、母親の富子さんが働いていた新宿のカフェに太宰が客として訪れたことが縁で、戦前から親交があった。戦中に疎開でしばらく疎遠になったが、戦後の四六年十一月、三鷹駅前で偶然再会し、「大きくなったね。わからなかった」と声を掛けられた。当時、太宰が三十七歳、林さんは十八歳だった。

 この場面は、太宰の小説「メリイクリスマス」に描かれている。富子さんは主人公のかつての女友達、林さんは女友達の娘として登場。「小説の前半は描写や会話が実際のやりとりとそっくり」という。太宰の紹介で出版社に就職し、原稿を自宅に受け取りに行ったことも。「リンゴ箱を書棚にしていた。ひょうきんなことを言って、うなぎをごちそうしてくれたこともあった」

 その後、職を転々として六一年に「食べるために風紋を始めた」という。店には太宰の師の井伏鱒二ら有名作家や編集者が次々と訪れた。常連客にも恵まれたが、近年は足が悪くなり、長く立っているのはつらくなった。今年三月、九十歳を迎えたことで「そろそろ限界」と引退を決めた。

 二十二日に店で「風紋終幕の会」が開かれ、常連客が集まった。二十代のころから通う井本元義さん(74)は「林さんは静かに客の話を聞いてくれる。詩情や歴史、知性がある」。作家森まゆみさん(63)も「ピュアな人柄で、いつ来ても居心地がよかった」。口々に店との別れを惜しんだ。

(東京新聞)



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by daisukepro | 2018-06-27 11:50 | 文化

コルトレーン 2005年に録音テープが元妻ナイーマの娘の元にあることが判明



2005年に録音テープが元妻ナイーマの娘の元にあることが判明。権利関係の処理に時間がかかったが、約47分全7曲のアルバム化が実現した。2曲は未発表のオリジナル曲。「バラード」などのムーディーな路線ではない、本来の熱気あふれる演奏だ。

 当時の米国は64年の公民権法、65年の投票権法制定と人種差別撤廃の機運が高まっていた時期。南部出身の黒人だったコルトレーンは社会情勢や事件に反応した曲作りもしていた。

 日本盤で解説を書くコルトレーン研究家の藤岡靖洋さんは「最も脂がのった時期の録音。社会の変革期に対する思いもうかがえるような文句のつけようのない演奏だ」と話している。(西正之)

(朝日新聞デジタル 2018年06月08日 14時11分)



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by daisukepro | 2018-06-09 01:47 | 文化

関東学生アメフト連盟は29日、過度な反則行為は日大の内田正人前監督(62)と井上奨(つとむ)前コーチの指示だったと認定


アメリカンフットボールの日本大と関西学院大の定期戦(6日、東京)で日大選手が関学大選手に悪質なタックルをして負傷させた問題で、日大が所属する関東学生アメフト連盟は29日、東京都内で臨時理事会を開き、過度な反則行為は日大の内田正人前監督(62)と井上奨(つとむ)前コーチの指示だったと認定し、2人を除名処分とした。処分は20人の理事のうち16人が賛成、4人が反対。除名は同連盟では初の処分で、社員総会で後日正式に決める。


 この日の理事会では、同連盟の理事ら4人で構成された規律委員会が調査結果を報告した。日大の指導者2人は会見や関学大への回答書で悪質タックルの指示を否定していたが、選手、コーチ、審判らへの聞き取りの結果、タックルした選手が証言していた井上前コーチの「相手選手がけがして出られなければ日大の得」、内田前監督の「やらなきゃ意味ないよ」といった発言を事実とし、「けがをさせる意図が込められていた」と認定。日大の体質を「監督の言うことは絶対だった」などとし、最も重い除名処分となった。

 また、森琢コーチを資格剝奪(はくだつ)、タックルした選手と、チームとしての日大を今年度公式戦の出場資格停止処分とすることを決めた。ただ、選手、チームへの処分は今後、反省文の提出や再発防止策の策定、抜本的な改革などを条件に、年度内でも理事会の承認を経て解除される。森コーチについては、タックル指示への直接関与は認められなかったが、指示が出ていた事実を知りながら出場を認めたことが問題視された。いずれの処分も効力は96チームが加盟する同連盟内に限られる。

 今回の裁定を受け、日大アメフト部の加藤直人部長は「当該選手の一日も早い復帰並びにチーム活動の再開をお許しいただけるように、部を一新して、誠心誠意努めてまいります」などとコメントを出した。選手たちも、チーム刷新を誓う声明文を発表し、「部の指導体制も含め生まれ変わったと皆様に認めていただいた時には(中略)他のチームの仲間たちとともにプレーできる機会を、お許しいただければ」とした。

 警視庁は28日、東京都千代田区の日大本部を訪れて関係者から聞き取りを行った。今後、内田前監督らからも事情を聴く方針。(吉永岳央)


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by daisukepro | 2018-05-30 09:48 | 文化

米作家フィリップ・ロス氏が死去 ピュリツァー賞を受賞

 【ニューヨーク共同】米紙ニューヨーク・タイムズ電子版によると、現代米国文学を代表し、ピュリツァー賞を受賞した作家フィリップ・ロス氏が22日、うっ血性心不全のためニューヨークの病院で死去した。85歳だった。知人が明らかにした。

 ロス氏は1933年、米東部ニュージャージー州ニューアーク生まれ。シカゴ大大学院で修士号を取得後に創作活動を本格的に始め、小説「さようならコロンバス」を59年に発表。図書館に勤めるユダヤ人青年と裕福な家庭のユダヤ人女子大生とのひと夏の恋愛を生き生きと描き、全米図書賞を受賞、一躍注目を集めた。


 フィリップ・ロス氏=2008年9月、ニューヨーク(AP=共同)



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by daisukepro | 2018-05-24 18:38 | 文化