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カテゴリ:映画( 132 )

映画美術の西岡善信さんが死去 「座頭市」シリーズ手掛ける

 映画美術の第一人者で「地獄門」をはじめ数々の作品に携わった西岡善信(にしおか・よしのぶ)さんが11日午後7時22分、老衰のため京都市の病院で死去した。97歳。奈良県出身。葬儀・告別式は15日正午から京都市右京区西院東貝川町46の3、天神川ホールで。喪主はめい早瀬美奈(はやせ・みな)さん。

 学徒出陣や旧ソ連での抑留体験を経て帰国し、1948年に大映京都撮影所に入社。54年のカンヌ国際映画祭で最高賞を受賞した「地獄門」(衣笠貞之助監督)の美術に関わり、川島雄三、増村保造両監督らの作品で頭角を現した。勝新太郎さんが主演した「座頭市」シリーズも手掛けた。

(共同)

 死去した西岡善信さん

 死去した西岡善信さん



by daisukepro | 2019-10-12 15:54 | 映画

俳優ピーター・フォンダさん死去 米映画「イージー・ライダー」


2019年8月17日 10時23分

 【ロサンゼルス共同】米映画「イージー・ライダー」などで知られるベテラン俳優、ピーター・フォンダさんが16日、肺がんによる呼吸不全のため米西部ロサンゼルスの自宅で死去した。79歳だった。米メディアが報じた。

 1940年、東部ニューヨークで生まれた。父は名優ヘンリー・フォンダさん、姉にジェーン・フォンダさんを持つ芸能一家。10代から舞台演劇に関わり、63年に映画デビュー。若者たちの放浪の旅を描いた映画「イージー・ライダー」(69年)を製作、脚本も手掛け、デニス・ホッパーさん、ジャック・ニコルソンさんと出演、低予算ながら大ヒットを記録した。



by daisukepro | 2019-08-17 15:05 | 映画

戦後七十四年の終戦の日の特集は、映画作家の大林宣彦さん(81)のインタビューです

戦後七十四年の終戦の日の特集は、映画作家の大林宣彦さん(81)のインタビューです。三年前に末期の肺がんで余命半年の宣告を受けながら、戦争と平和をテーマにした新作を撮り続けています。「いつも遺作だと思っている」と大林さん。「ここまで来ると、『もうがんなんかじゃ殺されないぞ』という気概が、この身近な切迫感の中で起きてくる」と言います。 (聞き手=社会部長・杉谷剛)

■病を得て

 -新作の『LABYRINTH OF CINEMA=海辺の映画館 キネマの玉手箱』は原爆投下直前の広島が舞台です。監督の少年時代の記憶につながっているのですか。

 九人全員が原爆で亡くなった「桜隊」という移動演劇集団を軸にした映画なので、はっきり広島と向き合うべき時がきたと思った。七月に広島で講演したときも「僕は原爆の里生まれなんだ」と改めて強く感じた。

 今更ながら、僕は映画でずっと同じことをやってきたなと。全部後ろに戦争の影がある。『時をかける少女』はとても愛された映画だけど、僕の中で主役の彼女は、戦争で死んでしまった僕のよく知る少女。当時口にはしなかったけど、その子が敗戦後によみがえり、そこで時を超えても会えない悲恋を巡る、という演出の物語。現場では知世ちゃん(主演の原田知世さん)に「昔、戦争というものがあってね。君みたいな少女が随分殺されたんだよ」と話してました。

 僕の作品は全部自伝ですよ。僕は自分に切実な主題でしか撮らない。だから結局、僕自身の人生の映画日記になっちゃった。

 -『この空の花-長岡花火物語』から、戦争が前面に出た三部作を撮り始めましたね。

 これはね、東日本大震災。それまでは僕たちが何を言ってもむなしいと思っていた。マッカーサー主導の占領軍の意思で戦争が無かったかのように教育されていた。檀一雄さん原作の『花筐(はながたみ)』は四十年ほど前に脚本にしていて、ぜひ映画にしたいと思っていたが、誰も見向きもしなかった。

 震災で、今なら日本人に伝わる時期だなと考えて、はっきり戦争体験をエッセーの形で映画にしようと。それが共感を得たのは僕の手柄じゃなく、時代がより切羽詰まってきたから。原発事故を体験して「隣のまちでも起き得るぞ」というような。

 -三部作の最後『花筐/HANAGATAMI』の撮影開始直前に、ステージ4の肺がんで余命半年の宣告を受けましたね。

 なぜかほっとした。悲観的な感情は全く抱かなかった。「がんなんかじゃ殺されないぞ」「生きられるだけ生きて、映画を撮れるだけ撮ろう」と。そんな気概が、この切迫感の中で僕自身にも起きてきている。

 -作品で表現したかったことは。

 すぐに赤紙(召集令状)が来て、戦争に連れていかれて殺されることを覚悟して生きている青年たち。「青春が戦争の消耗品だなんてまっぴらだ」というせりふは、『花筐』の現場で考えた。原作にはない。映画のテーマだから、直接的に言葉にするのはどうなんだとも考えたが、これを言えるのは、あの時代を知っている僕たち老人世代しかいない。遺作になるかもしれないと思って撮った。

■軍医の息子

 -お父さんは軍医でしたね。

 父は私が一歳のときに従軍しているんですよ。数年前、父がワープロで書いた自分史が見つかった。そこに「宣彦よ。お父さんは自ら戦争にいきました」とあり、一瞬仰天した。「おやじ、自分で戦争行ったの?」「戦争好きだったの?」と。

 読み進むと、「普通に赤紙もらって行くと、私の青春は敵の弾の標的になるだけだ。そんなことで殺されたんじゃ、目指した医学の道を完遂できない。だから自ら志願して軍医として行く。そうしたら味方の命を救えるかもしれないし、ひょっとすると敵の命すら救えるかもしれない。それが医学を目指す人間の責務だ」と。そんなつらい選択肢の中で生きてきたのか、今ではとても軽々しく想像さえできない空気の中で過ごしてきたのかと思った。

 -どんなお父さんでしたか。

 当時の父は広島に赴任していて、母と二人で慰問したことがあります。軍医少尉だった父から三歩下がって従う母に、幼い僕は手をつながれて。通り掛かった兵隊が父に敬礼をする。立派だなと思っていたら、今度は僕の自慢の父さんが急に普通の兵隊みたいにしゃちほこばって上司に敬礼する。それを見て「組織は嫌なものだな」と。普通の人を普通でなくしてしまう。今から考えれば、それが戦争嫌いの最初だった。

 -いつごろですか。

 原爆が落ちる二週間ほど前。被爆後に原爆ドームになった産業奨励館前の石段で、川を眺めながら三人でサツマイモを食べた記憶もある。そのころ親しくなった憧れの少女や同年代の親戚がいましたが、原爆で何も言わず誰もいなくなりました。

 -八月十五日の記憶は。

 小川で水遊びしていたら、おばあちゃんが「これから天皇陛下さまのラジオ放送があるけえ、帰ってきなしゃー」と言われ。水浸しのまま聞きました。ずぶぬれの女友達のシュミーズ姿だけが記憶に残っている。つまり、戦争中も僕ら個人の日常はちゃんとあったってことですよ。

■だます大人

 -終戦時は七歳でした。

 母の実家で大家族で暮らしていたんですが、敗戦後間もないある日、突然、母が「きょうは母ちゃんとお風呂に入ろうか」と言い出しました。男尊女卑の時代で、いつもはお風呂も男が先、女が後から入っていたが、その日は違った。出ると母の長い髪がばっさり切られていて、父が残していった国民服みたいなものを着て、「きょうは母ちゃんと寝間(ベッドルーム)へ行こう」と。行ったら座布団が並んで置いてあって目の前に短刀が置いてある。「母ちゃんはきっと僕を、痛くなく優しく殺してくれるんだなあ」と思った。

 安心したのか、寝てしまいましてね。ふと気づくと、ニワトリが鳴いて、雨戸から漏れる外の光がカラーになって白い壁に映っている。「ああ、僕はまだ生きてる」と。

 -お母さんは、一度は息子を手にかけようと思ったわけですね。

 ご婦人は乱暴され、子どもは撲殺されるといううわさが流れ、その方がこの子のためになると思ったのでしょう。父は慰問直後に広島から九州の小倉に異動していました。

 敗戦まではお国のために死ぬのが一番勇ましく正しい男の子の姿だと考える「軍国少年」でした。実際には毎日、知っている人が一日に何人も戦死したよ、という情報が入ってくるんですよ。それでこの人たちは僕が覚えている限り存在していて、忘れるといなくなるように思えた。だからこの人たちを死なせないためには決して忘れないというのが、子どものころの自分との約束。そうすると亡くなった人の生前の日常の姿が無人の廊下に浮かんで見えたりする。そういう想像力はあったわけです。それが僕の映画の原点ね。

 -そんな子どもの時から映画をつくったそうですね。

 尾道の家の蔵の中に、35ミリフィルムのおもちゃの映写機がありましてね。『のらくろ』や『冒険ダン吉』のフィルムの切り貼りをしながら、映画の編集を覚えてしまった。フィルムの絵が消えてしまったら、うちのおじいちゃんをモデルにした『マヌケ先生』の絵を描きました。

 -戦後日本は急激に変化します。

 敗戦後の一番のショックは日本人の大人にだまされたこと。それまでは「仮に大日本帝国が滅びたら、おじさんがさっと殺してやるから安心しろ」と言われていたのに、誰も殺してくれない。闇米担いで「平和じゃ、平和じゃ」とスキップ踏んでる。「何だこの裏切り者は。こんな大人に付いていったらこれからの自分は生きるも死ぬもぐちゃぐちゃになる」と思った。僕らは戦中派でもないし、戦後派にもなれない、そんな「敗戦少年世代」なんです。

■じゃんけん

 -今は改憲の動きがあります。

 特定秘密保護法ができた日、僕は一日中、怖くて震えていました。戦争中の憲兵のことが鮮明に頭にあるので。わが家の大広間に、警察署長やあらゆる町の名士が集まって、裸になればみな同じ、と、ふんどし一本になって天下国家を語っていた。それがいつの間にか、そんな威風堂々とした人たちがみんな背中をこごめて、悪いことをしているかのように「あっちで負けた。こっちで負けた」とひそひそ話をしている。

 同居していた肺結核のおじさんの同級生に、僕のその年若いおじさんの肩や背中をさすってくれる優しい幼なじみの友人がいた。ところが、おじさんが何かの嫌疑でつかまると、その同級生が軍服を着てきて、一週間後に赤あざ青あざだらけで帰ってきたおじさんを監視するんです。「軍服を着る、着ないでこんなにも変わるのか。人間ってのは怖いもんだな」と思った。戦争はすべての人間を変えるんですね。

 -この国は今、どこに向かっているのでしょう。

 よもやこの国が、あんな愚かな戦争をもういっぺんやるわけがないと思い込んでいた。意識的にノンポリを装っていた。僕たちはあまりにもうかつだった。アメリカさんも、あの時代を知らない人が大統領になった。誰も知らないから怖い。この怖さ、愚かさだけは未来を生きる若者に伝えなきゃいけない。

 人間は戦争もするし、平和をつくる力もある。一人一人が「あんたはどうするの」と問われている。僕は是非は問わない。是と非の間にある、もう一つのものですよ。じゃんけんぽんのチョキだって、パーとグーだと是と非しかないけど、チョキが入ると勝負がつかず、永遠に勝ち負けなしの平和になる。平和を求める人間の賢さです。

 -かつて黒沢明監督に「映画には必ず世界を救う美しさと力がある」と言われたそうですね。

 ドキュメンタリーが「本当」で、劇映画が「うそ」だとすると、その間に「まこと」があると思う。人間の真実ですね。平和というのはいまだ実現しない大うそだけど、みんなが信じ続ければ「心のまこと」として実現するかもしれない。戦争という現実と平和という虚構を映画で描く。そこに観客の想像力が加わることで、未来の人間の歴史を変えられるかもしれない。でも、あれから三十年。僕も含めてどうして人間は賢くならなかったんでしょうね。


by daisukepro | 2019-08-15 19:25 | 映画

「こういう監督が、日本にいることを、ぜひ知ってもらいたい」

きょうの潮流 
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。高倉健さん最後の主演映画となった「あなたへ」。出演を決めたのは、降旗(ふるはた)康男監督の存在がありました▼ともに高齢。「もう一本、監督と仕事をしておかないといけないなと思って」。後に通信社のインタビューで語っています。20作もタッグを組んできた盟友は降旗色に仕上がった作品をいつも感心していました▼駅、鉄道員(ぽっぽや)、ホタル、少年H…。時代に翻弄(ほんろう)される人間の悲哀や人情味あふれる姿。心にしみる作品をつくり続けながら、解釈は多様でいいと。「映画というのは、見る人がそれぞれに受け取って完成していくもの。心に何かを起こす起爆剤になってもらえればいい」▼偉人伝や修身のような話は撮りたくない、失敗した人や負けを選んだ人、不器用な人を描きたい―。それが映画監督としての信念でした。戦争にかかわる作品には、庶民の営みを見守る温かいまなざしがありました▼安倍政権による憲法9条への攻撃に危機感を募らせていました。戦争は小さなことが積み重なって忍び寄ると、「映画人九条の会」結成の呼びかけ人にもなり、選挙ではいつも日本共産党の躍進を強く願っていました▼本紙の創刊記念に寄せた談話には長いつきあいを振り返りながら、「いろんな困難のなかで歴史を支えてきた人たちの活動は本当に尊い、見習うべきものです」と。それはまた、84歳で亡くなった降旗監督が追い求めてきた世界に相通じるものなのかもしれません。
by daisukepro | 2019-05-28 11:17 | 映画

元東映・坂上順プロデューサー死去 「鉄道員」で降旗康男監督支える 5/26(日) 19:57配信 デイリースポーツ

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元東映・坂上順プロデューサー死去 「鉄道員」で降旗康男監督支える5/26(日) 19:57配信 デイリースポーツ元東映・坂上順プロデューサー死去 「鉄道員」で降旗康男監督支える坂上順さん 元東映常務で映画プロデューサーの坂上順(さかがみ・すなお)さんが今月18日午前1時8分、多臓器不全のため都内の病院で死去していたことが26日、分かった。79歳だった。同社が発表した。通夜・告別式はすでに執り行われた。喪主は弟・直(ただし)さん。【写真】坂上さんプロデュースの「鉄道員」、健さんと広末涼子 同社によると、体調を崩して今月2日に検査入院。検査の結果、がんが全身に転移していた。治療についての相談をするも体調は急変し、その後こん睡状態に陥り、帰らぬ人となった。 1939年11月17日生まれ。62年、慶大卒業後に東映入社。テレビ、映画作品の制作進行を経て73年にプロデューサーとして「ゴルゴ13」を担当。降旗康男さん監督、高倉健さん主演の「鉄道員(ぽっぽや)」では、映画制作者に贈られる藤本賞を受賞した。 降旗さん&高倉さんコンビの「ホタル」なども担当。その降旗さんは坂上さんが亡くなった2日後の今月20日、肺炎のため帰らぬ人となった。84歳だった。
by daisukepro | 2019-05-28 09:23 | 映画

サヨナラ ふるさん

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「駅 STATION」「鉄道員(ぽっぽや)」など高倉健さんと組んで数々の秀作を生んだ映画監督の降旗康男(ふるはた・やすお)さんが20日午前9時44分、肺炎のため東京都内で死去した。東映が明らかにした。84歳。長野県出身。葬儀・告別式は生前の遺志により近親者で行った。お別れの会は行わない。喪主は妻典子(のりこ)さん。 1966年に監督デビュー。高倉さん主演の「新網走番外地」シリーズなどを監督した。78年の映画「冬の華」以降、「駅 STATION」「あ・うん」「鉄道員」「ホタル」「あなたへ」など、高倉さんと組んで滋味あふれる人間ドラマを紡ぎ出した。
by daisukepro | 2019-05-26 23:16 | 映画

女優の京マチ子さんが死去 映画「羅生門」「雨月物語」出演

 映画「羅生門」や「雨月物語」に出演し、国際的スターとして活躍した女優の京マチ子(きょう・まちこ、本名矢野元子=やの・もとこ)さんが12日午後0時18分、心不全のため東京都内の病院で死去した。95歳。大阪市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。

 大阪松竹少女歌劇団のダンサーを経て1949年、大映に入社。「痴人の愛」の演技で肉体派女優として注目された。

 ベネチア国際映画祭で黒沢明監督の「羅生門」、カンヌ国際映画祭で衣笠貞之助監督の「地獄門」と、出演映画が海外の映画祭で相次いで最高賞を受賞、「グランプリ女優」と呼ばれた。

 他の出演映画に「雨月物語」や「鍵」など。

(共同)

 映画「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」の製作発表で渥美清さん(右)と写真に納まる京マチ子さん=1976年11月

 映画「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」の製作発表で渥美清さん(右)と写真に納まる京マチ子さん=1976年11月


by daisukepro | 2019-05-14 22:07 | 映画

「チューバッカ」役の俳優が死去 ピーター・メイヒュー氏

 米人気SFシリーズ「スター・ウォーズ」のチューバッカ役で知られる俳優ピーター・メイヒュー氏が4月30日、南部テキサス州の自宅で死去した。74歳。遺族が5月2日、ツイッターで公表した。

 1944年英国生まれ。長身が買われ、マスクや着ぐるみを着て、全身が毛で覆われたチューバッカ役でシリーズ1作目「新たなる希望」(77年)に出演。3作目「ジェダイの帰還」(83年)まで初期3部作を演じ、俳優ハリソン・フォードさん演じるハン・ソロの相棒として人気が定着した。

 「フォースの覚醒」(2015年)では、体力の衰えから代役を使いながら出演した。(ロサンゼルス共同)

 2015年12月、「フォースの覚醒」のプレミア上映でハン・ソロ役のハリソン・フォードさん(右)と写真におさまるチューバッカ役のピーター・メイヒュー氏=ロンドン(AP=共同)

 2015年12月、「フォースの覚醒」のプレミア上映でハン・ソロ役のハリソン・フォードさん(右)と写真におさまるチューバッカ役のピーター・メイヒュー氏=ロンドン(AP=共同)


by daisukepro | 2019-05-03 23:32 | 映画

是枝監督「万引き家族」が候補 米アカデミー賞の外国語映画賞


 【ロサンゼルス共同】米映画芸術科学アカデミーは22日、第91回アカデミー賞の候補を発表した。是枝裕和監督の「万引き家族」が外国語映画賞候補に、細田守監督の「未来のミライ」が長編アニメーション賞候補に、それぞれ選出された。

 外国語映画賞で日本作品が候補入りしたのは10年ぶり。「万引き家族」は昨年のカンヌ国際映画祭で最高賞に輝いている。

 作品賞候補には、英ロックバンド「クイーン」の軌跡を描き、日本でも大ヒットしているブライアン・シンガー監督の「ボヘミアン・ラプソディ」など8作品が選ばれた。

 発表・授賞式は2月24日(日本時間25日)にロサンゼルスで行われる。

 是枝裕和監督、細田守監督

 是枝裕和監督、細田守監督
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by daisukepro | 2019-01-24 06:40 | 映画

女優の市原悦子さん死去、82歳 「家政婦は見た!」主演

 テレビドラマ「家政婦は見た!」シリーズなどで知られ、舞台や映画でも活躍した女優の市原悦子(いちはら・えつこ、本名塩見悦子=しおみ・えつこ)さんが12日午後1時31分、心不全のため東京都内の病院で死去した。82歳。千葉市出身。葬儀・告別式は18日午前11時から東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。葬儀委員長はワンダー・プロダクション社長の熊野勝弘氏。

 俳優座養成所を経て、1957年俳優座入団。舞台「千鳥」で芸術祭奨励賞を受けるなど、傑出した演技力が高く評価された。

 今村昌平監督映画「黒い雨」、「まんが日本昔ばなし」のナレーションなど出演作多数。

(共同)

 死去した市原悦子さん

 死去した市原悦子さん
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by daisukepro | 2019-01-13 20:55 | 映画