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俳優の常田富士男さんが死去 「まんが日本昔ばなし」語り手

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 テレビ番組「まんが日本昔ばなし」で長年、語り手を務めた俳優の常田富士男(ときた・ふじお)さんが18日、脳内出血のため東京都内の病院で死去した。81歳。長野県生まれ。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は長男青児(せいじ)氏。

 熊本県で育ち高校卒業後、上京して劇団民芸の養成所に入所した。TBS系のアニメ番組「まんが日本昔ばなし」で1975~94年、俳優の市原悦子さんと語り手を務め、「むかーし、むかしのことじゃったぁ」の温かな語り口で親しまれた。

 ほかに、黒沢明監督の「赤ひげ」、今村昌平監督の「楢山節考」「うなぎ」などの映画に出演した。

(共同)


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by daisukepro | 2018-07-19 16:18 | 映画

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員) 引き返した特攻隊員の心の中 18/06/26

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

引き返した特攻隊員の心の中 18/06/26

明日へのうたより転載

 昨日、今日と晴天で最高気温が30度を超す。6月なのにもう梅雨が明けたかのようだ。梅雨前線が東北地方まで押し上がっており、青森、岩手は大雨だという。もっとも梅雨前線そのものは消滅したわけではないので、また下がってくれば雨が戻る可能性が高い。梅雨の晴れ間と見た方が無難だ。

 昼飯にカレーライスを食べた。カレーはスーパーで買ってきた4袋300円の業務用レトルト食品。これが超辛口で結構うまい。福神漬けと一緒に一息に食い終わり、満足して昼寝した。マットレスを敷き、風通し良くして1時間。すっきりして目が覚めた。バリ島以来、昼寝が習慣になってしまった。

 パソコンを起動させて、この前から少しづつ見ている映画「月光の夏」を見終えた。話は特攻隊が題材の「戦争の悲劇」ものだが、人の心の奥に誰でも持っている「疑わしさ」のようなものを突き詰めて考えさせられる。元音楽教師役の渡辺美佐子が小学生の前で、敗戦間際に特攻隊員がピアノを弾く話をする。ところが証人が出ないため「作り話」ではないかと疑われる。自宅へ詰問の電話までかかってくる。

 山本圭扮するジャーナリストがピアノを弾いた元特攻隊員(仲代達矢)を探し出す。最初証言を拒んでいたが、音楽教師の手紙の訴えに打たれて真実を話す決意をする。45年6月、6機編隊で沖縄沖のアメリカ艦船体当たりに向かう。途中飛行機のエンジン故障で自分だけ引き返す。これを上官から「命が惜しくなって引き返したのだろう」と責められる。同じように天候不良や乗機のトラブルで引き返した隊員と一緒に一室に閉じ込められる。「生き神様の特攻隊員の面汚し」というわけだ。死ぬよりつらい日々を送らせらされる。

 当時特攻隊員の指名を受けたら断るのは事実上できなかった。しかしやはり死ぬのは怖い、生きていたい」と思った時、天候不良でも機体トラブルでもいいから引き返したいと思うのは人情だ。すくなくともおれならそう思う。幸いエンジンの調子が悪い。僚機の乗組員も引き返せと合図する。おれなら「しめた」と安どして引き返す。心の中の動きだから後で何とでも言い訳できる。

 この映画では人間の心に潜む「疑わしさ」に深い究明のメスを入れることなく、特攻美談で終わらせている。だから泣ける。おれも泣いた。映画としてはそれでよかったのだろうが、現実のところはそんな簡単な心の動きでなかったような気がする。これは世の中全体に言えることだと思うが。
 
 


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by daisukepro | 2018-07-01 10:16 | 映画

いままで「全てお断りさせて頂いております」と述べた。


第71回カンヌ国際映画祭/最高賞パルムドールを受賞した「万引き家族」の是枝裕和監督




フランスのカンヌ国際映画祭で5月、最高賞のパルムドールを受賞した「万引き家族」の是枝裕和監督。

この受賞への祝賀をめぐって、国内外で議論が巻き起こり、是枝監督が自身のホームページで「『祝意』に関して」というメッセージを出した。

首相の対応、海外で批判

きっかけは、パルムドールを受賞したことに対する、安倍晋三首相の対応についてだった。

映画などの情報を扱うアメリカの週刊誌「ハリウッド・リポーター」では531日に、「日本の首相が、パルムドール受賞監督をシカトしている」という記事を出した。


記事では、201710月に、日本生まれだがイギリスで育った日系イギリス人のカズオ・イシグロさんがノーベル賞を受賞した際には公式の祝辞を出したのに、「是枝監督がパルムドールを受賞しても、おめでとうの電話もメッセージも無かった」と言及。この原因が「万引き家族」のテーマが、収入格差が広がり社会的に排除された人たちであったことで、保守的なリーダーである安倍首相を怒らせたからではないかと憶測を呼んでいる、などと批判した。


また、この記事以前には、フランスのフィガロ紙でも、安倍首相の祝福がなかったことを疑問視する記事が出ていた。

国会に飛び火

この問題を受けて、 参院の文教科学委員会で、立憲民主党の神本美恵子議員が「フランスの新聞社は、安倍総理大臣が是枝監督に祝意を示していないと指摘している。政府は是枝監督を祝福しないのか」などと質問した

回答した林芳正文部科学大臣は「『万引き家族』がパルムドールを受賞したことは誠に喜ばしく、世界的にも高い評価を受けたことは誇らしい」と述べた。

そのうえで「来てもらえるかわからないが、是枝監督への呼びかけを私からしたい」と、是枝監督を文科省に招いて祝福したいという意向を示した。

ネット上でも議論

これらの報道をめぐり、国内のネット上でも議論が巻き起こった。

Twitter上では、安倍首相の対応を「恥ずかしい」と批判するものや、反対に「憶測だけで騒いでいる」「沈黙するのが国家の品格」などという意見が出た。




カンヌ映画祭「万引き家族」でパルムドールを受賞した是枝裕和監督に対し、安倍首相は祝福の言葉ひとつ発しない。是枝さんが安倍政治を強く批判していることが原因らしい。一方でスケートの羽生選手には国民栄誉賞。とにかく好き嫌いでしか物事の判断ができな



是枝監督を祝福しない安倍首相を、仏紙「フィガロ」が痛烈に批判



安倍首相は、海外での日本人の受賞に絶え間ない賛辞を送ってきたが、今回は沈黙を保ったままだ。それは是枝監督が、安倍政権の新自由主義的改革や日本の右傾化に危惧を表しているからだと冷静に分析している。

22:19 - 2018531


羽生選手には国民栄誉賞で、カンヌ映画祭最高賞の是枝監督には与えないどころか、総理がお祝いの電話もしないとの批判があるが、今村昌平は2度受賞しているがもらってないし、時の総理が電話した話も聞かない。黒澤明の国民栄誉賞も没後でカンヌは関係ない。何でも安倍批判に結びつけるのはおかしい。

10:23 - 201863



日本人の「万引き家族」を日本人が賞賛することこそ世界の恥ではないかな?

沈黙するのが国家の品格だよ。


是枝監督「(顕彰は)全てお断りさせて頂いている」

国内外で起こった「祝意」に関する騒動について、是枝監督は67日、自身のホームページでブログを更新。

受賞直後からいくつかの団体や自治体から今回の受賞を顕彰したい、という問い合わせがあったという。だが、いままで「全てお断りさせて頂いております」と述べた。

波風を立てないように「断った」ということを発表していなかったが、このような騒動になり、公表することを決めたという。

また、林文科相が文科省に招いて祝福したいと述べたり、野党が問題として取りあげたことなどをについても「このような私事で限られた審議や新聞の紙面やテレビのニュースの時間を割いて頂くのも心苦しく」と表現した。

そのうえで次のように考えを示した。

しかし、映画がかつて、「国益」や「国策」と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、大げさなようですがこのような「平時」においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないかと考えています。

また、現在の状況についても触れ「このことを巡る左右両派!のバトルは終わりにして頂きたい。映画そのものについての賛否は是非継続して下さい」と述べていた。

65日のブログでは、ネット上で巻き起こった議論についても触れ、次のように書いていた。

正直な話、ネットで『万引き家族』に関して作品を巡ってではなく飛び交っている言葉の多くは本質からはかなり遠いと思いながら、やはりこの作品と監督である僕を現政権(とそれを支持している人々)の提示している価値観との距離で否定しようとしたり、逆に擁護しようとしたりする状況というのは、映画だけでなく、この国を覆っている「何か」を可視化するのには多少なりとも役立ったのではないかと皮肉ではなく思っている。

映画は、68日から公開されている。


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by daisukepro | 2018-06-09 11:36 | 映画

invisible」という言葉を巡って ——第71回カンヌ国際映画祭に参加して考えたこと——


「invisible」という言葉を巡って ——第71回カンヌ国際映画祭に参加して考えたこと——

2人の監督

 「インビジブル ピープル」と審査員長のケイト・ブランシェットは授賞式の冒頭で口にした。その存在に光を当てることが今回の映画祭の大きなテーマだった、と。隣に座った通訳を介して日本語に翻訳してもらいながらだったので内容は大まかにしか把握できなかったが、その「invisible」という言葉だけはずっと頭に残った。確かに『万引き家族』で僕が描こうとしたのも普段私たちが生活していると、見えないか、見ないふりをするような「家族」の姿だ。その生活と感情のディティールを可視化しようとする試みが今回の僕の脚本の、そして演出の柱だったとケイトさんの言葉に触れて改めて思い出した。そして、そのスタンスは14年前の『誰も知らない』とも通底している——と、自分では今回の作品を分析していた。なので名前を呼ばれて壇上に向かいながら、このスピーチでは「invisible」なものについて触れようと考えていた。
 僕はこの場で感じる「希望」と「勇気」について触れたあと、その2つを分かち合いたい対象として2人の監督を挙げた。作品がコンペに選ばれながらもこの映画祭に参加できなかったキリル・セレブレンニコフとジャファール・パナヒである。
 しかし、具体的な名前を口にはしなかったので、(それ以前の受賞者のスピーチで充分名前は伝わっていると考えた)ある日本の新聞には僕がここで触れた2人の監督は、イ・チャンドンとジャ・ジャンクーのことだと誤読した記事も出た。授賞式直後、日本のメディアの囲み取材で僕が同世代の尊敬するアジアの監督として彼ら2人の名を挙げたからだ。2人がいるから、自分も映画と真摯に向き合えるのだ、と僕は話した。彼ら2人も今回は式の会場にはいなかったから、余計誤解が生じたのだろう。恐らくその記者が授賞式の様子を見ていたのは僕らがいたリュミエール会場ではなく隣接する別の会場だったはずだから仏語の充分な翻訳もかなわなかったはずである。
 齟齬とはこのように対面ではない環境の中でより多く起きるのだと思う。しかし、映画祭のように様々な言語が飛び交う場ではある程度の行き違いは許容していかないといけない。 “鈍感力”が必要になるのである。もちろんその齟齬は少ないに越したことはないわけであるから映画に付ける字幕翻訳のニュアンスの精査と現地での通訳は可能な限り優秀な人にお願いすることにしている。

通訳と翻訳

 僕の場合、フランス語に関してはもうこの5年同じ方に字幕も通訳もお願いしている。(余談になるが、この女性、僕のとりとめもない話を聞きながら一切メモを取らない。「メモを取るとどうしてもそれに頼ってしまうので」と話されていたが、フランス語の全くわからない僕のような人間にも、彼女の話ぶりと聞き手の反応から彼女が通訳としていかに優秀かは理解出来る。不思議なものである。)
 5月13日に公式上映があり、翌日からは彼女とフランスの媒体の取材をまとめて受けた。この日の朝のプレス試写を受けて、その後取材のオファーは激増した。映画にとってはとても良いことである。14日でフランスの取材を終え、15日と16日がインターナショナルの取材に当てられた。この2日間は英語の通訳に入ってもらい、朝10時から18時まで恐らく150人を超える記者の取材を受けた。こちらの通訳の方も大変優秀。ただ、話す時に身ぶり手ぶりが加わって何となく僕の言葉が少し(監督らしく)盛られて伝わっている印象を持った。ふたりの間にもうひとり、目には見えない監督がいる感じである。やや、こそばゆい。取材に来る各国の記者たちも基本英語で質問する。1対1ではない。いわゆる8人程度の囲みというやつで、グループに与えられた30~40分の間、記者が挙手をして自分の聞きたいことを思い思いに“英語”で質問するのだ。この囲み取材、答えるのが本当に難しい。なぜならそこに1対1の対話から生まれる“流れ”とか“深まり”とか、つまりは答えから次の質問が生まれて掛け合いになっていくダイナミズムが生じにくいからである。記者たちも別の記者が質問し、僕がそれに答えている質疑を含め、あたかも自分が全て聞いたかのようにひとつのインタビューとしてまとめるのが通常の形である。ここでは当然記者の力量が問われるし、力の差(語学力だけではなく)が露わになる。
 さて。今回、この囲みに少なくとも2人の韓国の記者がいた。何でわかったかというと2紙とも日本語版というのがあってネットに流れて来たからである。そのうちのひとつの記事は「血が混ざってこそ家族なのか、日本の家族は崩壊したが…」という見出しだった。「血が混ざって」という表現が一瞬理解出来なかったのだが、「あぁ『血縁』のことだな」とすぐに合点がいった。確かに「血ではないものでつながった家族を描いてみたかった」という趣旨の話はしたからだ。ただしかし、この僕の「血縁」という日本語が→英語になり→それを聞いた記者(もちろん英語が母国語ではない)が韓国語に訳し→それがもう一度日本語になる。という伝言ゲームのようなプロセスを繞ると、これだけニュアンスが変わるのだということに改めて驚かされた。読み進めていくとこの記事の中には他にもいくつか首を傾げざるを得ない表現が散見された。例えば、僕は自分が描く対象を「代表的な例だ」とは決して言わない。言葉の解釈の幅は様々あるだろうが単純に自分が使わない言葉が文脈上にある場合は日本の取材でも直せれば直すのだが、今回はそうもいかない。
 この取材の中で「何故社会からこのような“不可視の”家族が生まれると思うか?」と作品の背景としての社会的、政治的状況を聞かれた。その告発を目的とした映画ではないことを前提に自分の考えを述べた。あくまで私見としてではあるが。今回僕が話したのは「共同体」の変化について、であった。日本は地域共同体が壊れ、企業共同体が壊れ、家族の共同体も三世代が一世代、単身者が増えて脆くなっている。この映画で描かれる家族のひとりひとりはこの3つの共同体「地域」「企業」「家族」からこぼれ落ち、もしくは排除され不可視の状態になっている人たちである。これが物語の内側。そして孤立化した人が求めた共同体のひとつがネット空間であり、その孤立した個を回収したのが“国家”主義的な価値観(ナショナリズム)であり、そこで語られる「国益」への自己同一化が進むと社会は排他的になり、多様性を失う。犯罪は社会の貧困が生むという建前が後退し、自己責任という本音が世界を覆う。恐らくあの「家族」はそのような言葉と視線によって断罪されるだろう。…ということも話した。これが背景。これは『映画を撮りながら考えたこと』という拙書でも既に述べている考え方である。まぁそれほど目新しいものではないだろうことは自覚しているが。
 このインタビューではドイツの戦後補償の話を僕が突然したような流れになっているが、これは共同体の話のつながりでEUの話になり、その流れで、ドイツがEUの中で占めている立場、果たそうとしている役割を日本が「東アジア共同体」の中で果たそうと思った時には、やはり過去の歴史ときちんと向き合って「清算」しないといけないのではないか、という説明を加えた。「謝罪」という単話は明らかにその翻訳のプロセスで後から加わったものだろうと思う。「補償」というのが僕の口にした言葉の何の翻訳なのかは、正直良くわからない。民主主義が成熟していく為には、僕は定期的な政権交代が必要だと考える人間のひとりである。何故なら権力は必ず腐敗するからである。それは映画監督という「権力」を手にして痛感していることでもある。目くそと鼻くそでも、交代させながら主権者である私たちが権力をコントロールしていくことによって民主主義は少しずつ熟度を増していくだろうと思っている。その政府が保守だろうがリベラルだろうが政権が変わらないと思ったら皆がその権力を忖度し、志のないジャーナリズムはチェックを忘れ広報化する。それは主権者にとっては不幸だという話をした。まぁこれは余談の部類。そのような説明が短くまとめられた時に色々省略されて (安倍政権が続いて私たちは不幸になった)というやけに単純化されたものになっていた。正直驚いた。

井戸

 この記事の翌日に実はもうひとつ韓国紙の記事が出た。多分同じ日の別グループだったと思う。こちらの見出しは「壊れた家族にこだわる理由とは」というもの。「壊れた」という言葉のオリジナルは恐らく「欠損」だろうと思う。これはそれ程遠くはない。記事を読み進めていくと、これは納得の翻訳と構成でとても囲み取材をまとめたとは思えないクオリティーだった。何より印象に残ったのは「映画が絶望と痛みという井戸から汲み上げられるものならば、私はその井戸を家族に求めている」という一文。素晴らしく文学的な表現なのだが実は僕は全くこんなことは話していない。家族を井戸に例えるというような比喩がそもそも僕の中に教養としてもボキャブラリーとしても残念ながら存在していない。この表現が、通訳をしてくれた方のものなのか、記者自身のものなのかはよく分からない。が…こっちも正直驚いた。こうして韓国紙を巡る「齟齬」について書くと、一部のネットの人たちが「ほらみろ!」と騒ぐかもしれないけれど、たまたま日本語版が出ていたから目にしてわかっただけの話で、このくらいのロストイントランスレーションは至るところで起きていると思ったほうがいいのだ。ネットで切り取られた言葉が拡散されていくプロセスで生じる齟齬(意図的なのかどうかわからないが)のほうがよっぽど酷いという実感を持っている。例えばこの韓国紙に掲載された僕のインタビューが「授賞式で日本批判のスピーチをした」ことに変質するまで一週間もかからなかった。その数日後には「受賞スピーチでも日本は南京虐殺について中国に謝れ」と発言したことになっている。動画だってあちこちにアップされているのだからチェックすればいいのにと思うが、どうやらそういうメディアではないらしい。だとしたら、こんな誤読をいちいち否定して回っていてもキリがない。まあ忙しくて対応出来なかったというのが正直なところだけれど。

水と淀み

 このことをきっかけにネット空間を往き交う言説にちょっと注意深く目を向けて見たのだが「血が混ざる」という見出しの不自然さから、これが翻訳を繰り返された果てに辿り着いた表現であるということに気付き、指摘した人は僕の知る限り皆無だった。残念だった。何処かで誰かがその誤謬に気付き、立ち止まって考え、例えばオリジナルにあたってみる努力をするとか、どのような経緯でこのような発言が生まれたのか?遡って言及する人がいないか?と期待していた。このインタビューが掲載されて5日ほど経ってから、ひとつのツイートが目にとまった。その人はこのひとつ目の記事の文脈の乱れに多少疑問を抱かれたようで、本当に是枝はこんなことを言ったのか?ドイツの補償の話が唐突すぎないか?という正しい疑念を持たれていた。
 記事が出てさらに一週間経った時、建設的なコミュニケーションへの発展を感じられる言葉に出会うことが出来た。そのツイートは先程僕が取り上げた共同体についての言及を拙書から引用する形で是枝が言おうとしていることはこういうことではないか、と思考してくれていた。ありがたかった。主観的な捉え方だがただ流れていく〈現在〉でしかないネット空間に一瞬が出来たような気がした。淀みが出来ると人は初めて水を意識する。その意識が堆積して、初めて「知」に繋がっていくのではないかと思った。そう思って、この「invisible」を巡る文章を時差ボケの頭を叩き起こしながら書いてみることにしたのだ。つまり水を可視化してくれたことへのお礼である。
 正直な話、ネットで『万引き家族』に関して作品を巡ってではなく飛び交っている言葉の多くは本質からはかなり遠いと思いながら、やはりこの作品と監督である僕を現政権(とそれを支持している人々)の提示している価値観との距離で否定しようとしたり、逆に擁護しようとしたりする状況というのは、映画だけでなく、この国を覆っている「何か」を可視化するのには多少なりとも役立ったのではないかと皮肉ではなく思っている。1本の映画がそんな役割を社会に対して果たせるなんて滅多にないことですから。既存のテレビメディアには映画をワイドショーのネタとして扱う枠しかほとんど残っていない今の状況に比べると(もちろんワイドショーのネタになったり、新聞の文化面でなく社会面で取り上げて頂くことは、映画が人目に触れる大きなチャンスであることは疑いようがないが)、自分から情報を拾いにいく覚悟さえあれば、新聞の映画評以上に長文の充実した考察に出会える可能性もあるわけであるからもう少しこのネットの空間、言説には興味深く注視してみようかという気持ちになっている。
 もしも、この韓国の2人の記者に再び会うチャンスがあった時に僕は一体どのような対応をとるのか?ひとりには翻訳による誤解を正し、次のインタビューの時にはいい翻訳家に頼むか、英語を介さず韓国語と日本語だけで質疑が済むようにお願いすること。そしてもうひとりには「井戸」ってあなたが考えたことなの?とても素晴らしいから僕自身の表現として使っていい?と逆に提案すること。この2つである。

メッセージと怒り

 映画監督なのだから政治的な発言や行動は慎んで作品だけ作れというような提言?もネット上でいくつか頂いた。僕も映画を作り始めた当初はそう考えていた。95年に初めて参加したベネチア映画祭の授賞式でのこと。ある活動家らしき人物がいきなり壇上に上がり、フランスの核実験反対の横断幕を掲げた。会場にいた大半の映画人は、立ち上がり拍手を送った。正直僕はどうしたらいいのか…戸惑った。立つのか立たないのか。拍手かブーイングが。この祭りの空間をそのような「不純な」場にしてもいいのか?と。しかし、23年の間に気付いたことは、映画を撮ること、映画祭に参加すること自体が既に政治的な行為であるということだ。自分だけが安全地帯にいてニュートラルであり得るなどというのは甘えた誤解で不可能であるということだった。
 映画祭とは、自らの存在が自明のものとしてまとっている「政治性」というものを顕在化させる空間なのである。目をそむけようが口をつぐもうが、というかその「そむけ」「つぐむ」行為自体も又、政治性とともに判断される。しかし、このようなことは映画監督に限ったことではもちろんなく、社会参加をしている人が本来持っている「政治性」に過ぎない。日本という国の中だけにいると意識せずに済んでしまう、というだけのことである。少なくともヨーロッパの映画祭においては、こちらの方がスタンダードである。今僕はその“しきたり”に従っている。もちろん公式会見や壇上のスピーチではそういった行為は避ける。「作った映画が全てだ」という考え方がやはり一番シンプルで美しいと思うから。しかし、これは個人的な好みの問題でしかない。個別の取材で記者に問われれば、専門家ではないが…と断りを加えた上で(この部分は大抵記事からはカットされる)自分の社会的・政治的なスタンスについては可能な限り話す。そのことで自分の作った映画への理解が少しでも深まればと思うからである。これを「政治的」と呼ぶかどうかはともかくとして、僕は人々が「国家」とか「国益」という「大きな物語」に回収されていく状況の中で映画監督ができるのは、その「大きな物語」(右であれ左であれ)に対峙し、その物語を相対化する多様な「小さな物語」を発信し続けることであり、それが結果的にその国の文化を豊かにするのだと考えて来たし、そのスタンスはこれからも変わらないだろうことはここに改めて宣言しておこうと思う。その態度をなんと呼ぶかはみなさんにお任せいたします。

映画という共同体

 受賞後の興奮と喧騒の中でパルムドールのトロフィーを持ったまま数えきれない取材を受けた。その中で1人、フランス人の女性インタビュアーのラジオ番組の取材を受けたのだが、彼女は執拗にこの映画が何を告発しようとしているのか?と質問の形を変えながら食い下がった。その目的が分かるといつも「映画は何かを告発するとか、メッセージ伝えるための乗り物ではない」という話をして終わりにするのだが、今回の記者はそれでも引き下がらない。こういう時はむしろ〈リベラル〉と日頃呼ばれている新聞、雑誌の方が頑なである。作品から作者の何らかのメッセージを受けとり、それを拡散することが私たちの使命だと考えている人が多い。本当に厄介である。本人たちはいたって真剣だし、傾向としてはもしかしたら近い思想信条に立っているのかも知れないが、作品をメッセージを運ぶ器だとしか考えない態度からは、恐らく作品を介して豊かなコミュニケーションの広がりは望めない。こうなったら意地でも告発とかメッセージについては言及を回避する。今回もそうした。結局不満そうに彼女は帰っていったけれど。
 僕は何かを誉めそやしたり批判することを目的に映画を作ったことはない。そもそもそんなものはプロパガンダに過ぎない。外国人観光客を日本に誘う為のインバウンド効果を競うわけではないので、「日本すごい」をアピールすることを目的にしたものなど、そもそも映画とは認められないし、逆に社会や政治状況の「酷さ」だけを晒そうと目論んだものは「貧困ポルノ」という言葉でやはり批判をまぬがれない。映画祭とはそういう場所である。
 今回の『万引き家族』は喜怒哀楽の中でいうと〈怒〉の感情が中心にあったとプレスやパンフレットには書いている。だから余計に何かを告発した映画だと受け取られたのかもしれない。ただこの怒りというのは、例えばマイケル・ムーアが『華氏911』でブッシュを、スパイク・リーが今回の新作の中で展開している(らしい。未見)トランプを批判しているようなわかりやすいものではない。作品内にわかりやすく可視化されている監督のメッセージなど正直大したものではないと僕は考えている。映像は監督の意図を超えて気付かない形で「映ってしまっている」ものの方がメッセージよりも遥かに豊かで本質的だということは実感として持っている。
 授賞式後にスタッフと一緒に参加した公式のパーティーは至福の時間だった。コンペの監督と審査員の間にそれまで存在していた壁が取り払われ、その場は映画への愛情だけで繋がった人々がにこやかに和やかに映画について言葉を交わす。映画の中の「見えない」花火についてドゥニ・ヴィルヌーヴ監督やチャン・チェンと話す。この瞬間はもう無礼講で、スタッフもケイト・ブランシェットやゲイリー・オールドマンと写真を撮りまくっていた。
 地域共同体、企業共同体、家族共同体の崩壊の話はそのあとでどこへ進んでいくか?現地の取材では今回は時間が足りなくてそこまで話を進められなかった話題について触れて、この考察を終えようと思う。僕自身は実はこの3つの共同体のどれにも強くは魅かれずに生きて来た人間である。少なくとも、この共同体への帰属からの離脱が個人にとって不利益に働かない社会を〈リベラル〉であると考えてきた。そんな自分がこのカンヌ映画祭に参加をして強く思ったのは自分という存在が100年という、そう短くはない歴史を背負って流れている映画という大河の一滴であるという感覚だった。それは文化や国や言語の違いを超えて映画だけで人と人が繋がっている場であり、時間であるということだった。これは驚きであり、大きな喜びであった。つまり、カンヌへ来て自分が所属しているまさにinvisibleな映画の共同体というものが淀みとしてはっきりと可視化されたのである。私は、ひとりではない。こうして言葉にしてしまうと恥ずかしいようなシンプルな感慨が波のように押し寄せてくる。その波によって乾いた砂浜が、潤い、満たされる。この映画祭という場所で僕が感じる豊かさの源は、ライトに照らされたレッドカーペットの上の華やかさではなく、この「invisible」なつながりを実感できるという、そのことに尽きるのである。

是枝裕和




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by daisukepro | 2018-06-06 21:41 | 映画

カンヌ最高賞受賞 是枝監督作品 日本の諸矛盾あぶり出す

カンヌ最高賞受賞 是枝監督作品

日本の諸矛盾あぶり出す

 カンヌ国際映画祭は、ベネチア、ベルリンと並ぶ世界3大映画祭の一つ。これまでパルムドールに輝いた日本人監督は、「地獄門」(1954年)の衣笠貞之助、「影武者」(80年)の黒沢明、「楢山節考」(83年)と「うなぎ」(97年)の今村昌平の3人です。

 今回の受賞作「万引き家族」は、ビルの谷間に住み、万引きで生活費を得る“一家”を描きます。両親をリリー・フランキー、安藤サクラが演じ、樹木希林、松岡茉優(まゆ)の各氏らが出演。血縁のない人たちが絆をむすぶ姿を描き、貧困や日本の抱える諸矛盾をあぶり出しています。

 是枝裕和監督は、大学卒業後、テレビマンユニオンに参加し、水俣病担当官僚の自殺の真相に迫るドキュメンタリー「しかし…」(1991年)を初演出。「忘却 憲法第九条―戦争放棄」(2005年)で政権の自衛隊イラク派兵への怒りを感じさせました。

 1995年、「幻の光」で劇映画初監督。「誰も知らない」(04年)では、社会が置き去りにした子どもたちに光を当て、時代劇「花よりもなほ」(06年)には復讐の連鎖を断つ願いを込めました。「そして父になる」(13年)、「海街diary」(15年)、「海よりもまだ深く」(16年)など家族の人間模様を掘り下げる秀作を発表。昨年の「三度目の殺人」は、日本アカデミー賞最優秀作品賞など6部門で受賞。裁くという行為がはらむ怖さを描く底に今の時代への批判がありました。

 メディアの動向への真摯(しんし)な発言を続け、本紙にもたびたび登場。「時代の問題点をきちんと問題意識にすえたい」と語っています。(児玉由紀恵


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by daisukepro | 2018-05-21 14:48 | 映画

賃金が低い映画業界。20代の子がきちんと生活できる賃金を

僕たちの仕事は「無知ゆえに不幸になる人を減らす仕事」

——『三度目の殺人』は、役所広司さん演じる「三隅(みすみ)」が、殺したのか殺していないのか、最後までわからないまま終わる映画でした。言語化された結果や数値化された価値が重宝される時代のトレンドもある中で、真逆をいくような展開だと感じました。どうして、はっきり答えを見せてくれなかったんでしょうか。


その方が面白いでしょう(笑)。

僕は、曖昧さの中にむしろ本当があると思っている部分があります。そんなに全部、何から何まで答えが出るわけじゃないから、本来は。

答えが出ない曖昧さからどうしたって逃れられない人間が、ある種の絶対的な裁きを下さなければいけないから、司法というシステムがあるんです。

そして、私たちは社会の中に生きている責任として、そのシステムを受け入れているということに気付くべきだし、自覚的になるべきだと思っています。


——結論を出して前に進んでいくために私たちはシステムを受け入れている。人々がそういったことに「自覚的」になった方がいいのはなぜでしょうか。

自覚しないと成長しないからじゃないですか?

世界が完全なものではないって気付くことが、大人になることだと思うので。世界は完全ではないし、私は全能ではない。それに気付くのが大人。

今、どんどん色んなものが幼稚化しているから、そのことに気付かない方が幸せだっていうような空気もあるかもしれないけど。


——色々なことに気付いてしまうことで、生きるのが辛くなったりする人もいるかもしれません。人は、社会やシステムに自覚的であるべきか、そうでないべきか...。私たちも日々、情報発信をする中で葛藤してしまいます。

もちろん気付くことで不幸になる人もいるけれど、(映画監督をはじめとする表現の仕事は)知らせることで、不幸になる人を少なくする職業だと思いますよ。気付かない方が、自分個人は幸せかもしれないけど、自分が気付かないことによって不幸になっている人がいるってことには気付くべきだと思う。


賃金が低い映画業界。20代の子がきちんと生活できる賃金を

——監督は以前インタビューの中で「起きている時間の8割は仕事している」とおっしゃっていました。「働き方改革」が叫ばれ、「ワークライフバランス」が重要視される昨今において、是枝監督は「ワーク=ライフ」といった感じがします。

そうですね。それがあまり苦にならないので。

ただ、僕はたまたま労働に喜びを感じられるような、非常に恵まれた形で仕事をしていて、お金をもらえているけれども、全ての人がそう感じられる職業に就いている訳でもない。だから、たまたま恵まれた自分が、自分の基準で、「働くって楽しい」とか「働くことと生きることがイコールであるべきだ」っていうのは傲慢だなと思っている。

——映画監督のようなクリエイティブな仕事には、「作品を作る」楽しさがあり、ワークライフバランスのあり方が違う、という一面もあるのではと思います。

クリエイティブな仕事をしているから楽しくて、そうじゃない仕事は辛いっていうのは間違っていると思っています。必ずしも「ワーク=ライフ」になるかどうかは別の話だけど、どんな職業であれ、喜びを見出すことはできるんじゃないかな。

僕がこの仕事を始めてテレビマンユニオンという会社に入った時に、音楽プロデューサーだった萩元晴彦さんに最初に言われた言葉があって。「世の中には、クリエイティブな仕事とそうでない仕事があるわけではなく、仕事をクリエイティブにこなす人間と、こなせない人間がいるだけである。それは態度の問題だ」という言葉なんだけど、それが結構強烈に残っている。

確かに、クリエイティブな態度で仕事に向き合っている人に出会うと感動しますよね。コンビニのレジの人だってそうだし、タクシーの運転手さんだってそう。

だから、僕は、働くということに喜びを見つけていくということは、あらゆる職業で可能だろうなとは思いますよ。



——「どんな仕事か」より「どんな風に仕事に向き合っているか」が、面白さややりがいを感じながら働く上では重要なんですね。

そうですね。それから僕はね、「それでメシが食える」ってすごく大事だと思っているんですよ。

——「それでメシが食える」というのは...

「面白いんだから食えなくてもいいだろう」というのは無責任だから。この業界の現場で働いている20代の子たちって、本当に最低賃金に満たないくらい賃金が低い。それは、やっぱり何とかしないといけないなと思っているわけです。

自分がこの業界で、曲がりなりにも食ってきて50を超えた以上、少なくとも今20代の子たちが、この仕事をしてきちんと生活できる賃金を払えるような現場を提供しようと思っている。そこは、責任があると思うから。

「よかったね、仕事が楽しくて」じゃだめですよね。食えなくても才能のあるヤツはやるかっていうと、多分やらないから。僕は、食えるって大事なことだなと思っているわけです。


既成の配給会社や放送局はもっと危機感を持つべき

——若い世代の人たちがこれから映像作品を撮っていくようになった時には、Amazon PrimeNetflixといったネット配信もどんどん増えるのかなと思います。明石家さんまさんがNetflixCMに出演し「(ネット配信は)ライバルやからな」とそのジレンマを語っていました。是枝監督は、ネット配信サービスについてどう思いますか。

選択肢が増えるのは、作り手にとってはいいことだと思いますよ。

彼らの持っている予算は、桁が違う。しかも最終的に、コンテンツの権利が制作側に戻ってくるというメリットもあります。今のバブルがどこまで続くかわからないけれど、この状況に対して既成の配給会社や放送局は、もっと危機感を持った方がいいと思う。このままだと作り手はどんどんそっちに流れていくと思いますよ。




——是枝監督ご自身も、ネット配信用のコンテンツ制作には興味がありますか。

自分が本当にやりたいと思っている映像作品の内容がすごくハードなものだと、既成の放送局や大手配給会社では、保守化していて企画が通らない。そうするとNetflixAmazonに企画を持って行った方が通るんじゃないかなという状況ではあります。

劇場公開を捨ててでも、やりたい企画を映像化することを選ぶのかどうなのか...、今はそういう時期だと思います。

ただ正直なことを言うと、今のところは劇場公開が前提になっていないものはそんなに惹かれないですね。僕は、映画館っていう場所が好きなので。

——ネット配信サービスを使ってスマホで映画を見たり、通勤時間に細切れで楽しんだりするユーザーも増えている気がしますが、是枝監督は、映画館のどんなところが好きなんでしょうか。

みんなで見るのがいいんじゃないかな。出かけて、暗い空間に2時間いるということは、やっぱり日常とはだいぶ違う気がします。

だから、そういう映画館の体験がベースにある人間は、ネット配信での映画視聴にはどうしたって抵抗を感じるんじゃないかな。

ただ、そういう抵抗感を感じない人たちも映画を作り始めるだろうから、そうなった時に、劇場公開にこだわらない映像作品の作り方は出てくると思いますよ。多分その頃にはもう僕は撮っていないと思うんですけど。

僕はそういう意味でいうと、一世代前の作り手として、キャリアを終えていくんじゃないかな。

と言っておいて、すぐネット配信でつくったりするかもしれないね(笑)。


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by daisukepro | 2018-05-20 12:40 | 映画

家族の絆や幸せとは何かを問いかける。日本での公開は6月8日。

 フランス南部カンヌで開催されていた第71回カンヌ国際映画祭は19日夜(日本時間20日未明)、最高賞「パルムドール」に是枝裕和監督(55)の「万引き家族」を選出して閉幕した。配給会社が発表した。

 日本映画のパルムドール受賞は、1997年「うなぎ」(今村昌平監督)以来、21年ぶりの快挙。

 「万引き家族」は、家族ぐるみで万引きを繰り返すことで日々の生活を維持し、絆を強めていくゆがんだ一家の物語。

 日雇い労働者の治(リリー・フランキー)と、パート先をリストラされた妻の信代(安藤サクラ)、学校に通わない息子の祥太=城桧吏(じょう・かいり)、信代の妹で風俗店勤務の亜紀(松岡茉優)、家の持ち主の祖母・初枝(樹木希林)-の苦しくも楽しい日常がスリリングに描かれ、家族の絆や幸せとは何かを問いかける。日本での公開は6月8日。

 是枝監督は早稲田大学を卒業後、番組制作会社に入社。家族をテーマにした作品が多く、俳優の自然な演技を引き出す演出手法で知られ、子役の演出には定評がある。「誰も知らない」(2004年)では当時14歳の柳楽優弥さん(28)に同映画祭史上最年少の男優賞をもたらした。13年には「そして父になる」で審査員賞を手にしている。


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by daisukepro | 2018-05-20 12:00 | 映画

第71回カンヌ国際映画祭 是枝裕和監督(55)の「万引き家族」が最高賞「パルムドール」に輝いた。

日本映画の血脈、今村昌平監督に続いて ここに輝く(発見の同好会)

【カンヌ共同】フランス南部での第71回カンヌ国際映画祭の授賞式が19日開かれ、コンペティション部門でz。世界三大映画祭の中でも最高峰のカンヌで日本映画が同賞を受賞したのは、今村昌平監督の「うなぎ」(1997年)以来21年ぶりで5作目。

 カンヌで是枝作品は2004年に「誰も知らない」の柳楽優弥さんが男優賞を、13年に「そして父になる」が審査員賞を受賞。日本作品の最高賞は他に、衣笠貞之助監督の「地獄門」(54年)、黒沢明監督の「影武者」(80年)、今村監督の「楢山節考」(83年)。


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by daisukepro | 2018-05-20 10:33 | 映画

第68回ベルリン国際映画祭で23日(日本時間24日)、行定勲監督の「リバーズ・エッジ」が国際批評家連盟賞を受賞

【ベルリン共同】世界三大映画祭の一つ、ドイツで開催中の第68回ベルリン国際映画祭で23日(日本時間24日)、行定勲監督の「リバーズ・エッジ」が国際批評家連盟賞を受賞した。行定監督は2010年にも「パレード」で同賞を受賞しており、日本作品としては14年の坂本あゆみ監督の「FORMA(フォルマ)」以来4年ぶり。

 「リバーズ―」は岡崎京子さんの漫画が原作で、女優の二階堂ふみさんらが出演。高校生たちのむき出しの欲望や孤独感、寂しさなどを、セックスや暴力シーンを交えて大胆に表現した。

 行定勲監督

 行定勲監督


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by daisukepro | 2018-02-24 10:57 | 映画

大杉漣さんが急死 66歳 急性心不全 

大杉漣さんが急死 66歳 急性心不全 名バイプレーヤーとして人気

2/21(水) 20:32配信

スポニチアネックス

 「ソナチネ」や「HANA―BI」など、北野武監督(71)の映画をはじめ、数多くの作品で存在感を示した俳優の大杉漣(おおすぎ・れん、本名大杉孝=おおすぎ・たかし)さんが21日、急死した。66歳。徳島県小松島市出身。

【写真】「バイプレーヤーズ」で存在感のある演技を見せていた大杉さんだったが・・・

 所属事務所が「弊社所属の大杉漣が、2018年2月21日午前3時53分に急性心不全で急逝いたしました」と公式ホームページで発表。葬儀は本人、家族の意向により親族のみで執り行うとし、「これまでお世話になりました共演者、スタッフならびに関係者、応援してくださったファンの皆様におかれましては、生前のご厚誼を深謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます」と記した。

 明治大を中退し、1974年転形劇場入団。80年に高橋伴明監督「緊縛いけにえ」で映画デビュー。84年以降舞台活動に専念するも88年の転形劇場解散によりフリーになり、90年から再び映画、テレビで活躍。93年に北野武監督の映画「ソナチネ」に出演し、注目を浴びた。

 以来、北野作品の常連で、98年同監督の「HANA―BI」と崔洋一監督の「犬、走る DOG RACE」で映画賞の助演男優賞を総なめに。その後も映画、ドラマで活躍。昨年1月には日本テレビ系「ぐるぐるナインティナイン」の人気コーナー「グルメチキンレース・ゴチになります!18」のレギュラーとなり、同年8月24日に自身初のピタリ賞を出すと翌週9月7日放送分でもピタリ賞を出し、ゴチ史上初の2週連続ピタリ賞として話題になった。故郷をホームとするサッカーJ2リーグ・徳島ヴォルティスの熱狂的なサポーターとしても知られる。


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by daisukepro | 2018-02-21 22:56 | 映画