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戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員) 爆風(62) 18/03/21

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(62) 18/03/21

明日へのうたより転載

 川原は孫某という自称国府中央軍スパイと懇意になていろんな話をするようになった。ある時川原が「どうもこう拘束された毎日では息苦しくてやりきれない」と嘆くと、孫は「食べ物は食わせてくれるし、働く必要もなく、殴られることもない。結構な暮らしではないか。私が新京で日本の官憲に捉えられたときはこんなじゃなかった。手足の爪の下に蓄音器の針を打ち込まれたり、指の付け根に鉛筆を挟んでゴリゴリ揉まれた。苦痛で後ろの壁に寄り掛かると、仰向けにされ鼻孔から水を注がれた。あの時の折檻責め苦に比べれば天国だ」と語った。川原は中国に対する日本の仕打ちについて今更ながら考え込んだ。

 川原への八路軍による尋問は主に次の3点だった。①銀塊をどこに隠したのか、②白金等をどうした、③銃などの武器を隠しているだろう。3点とも川原にとって全く関知しない事柄だ。平然と顔色も変えず「知らないものは知らない」と言い続けた。

 ある夜の取り調べで「お前は40人の斬り込み隊を組織して我が軍本部を襲撃する計画だったろう」と新たな嫌疑をかけてきた。何のことだか分からないのでよくよく聞いてみると、昨年9月に居留民会から頼まれて40人の開拓義勇軍の少年兵を預かったことを、斬り込み隊の組織と言いがかりをつけたものであることが分かった。丁寧に説明したところ、その件は納得してくれてその後は持ち出さなくなった。

 ここで川原が訊問された「銀塊」と「白金」について経過を明らかにしておきたい。
 火工廠第四工場にはフォルマリン製造の触媒用に使用する銀塊があった。火工廠がソ連の支配下にあった時代、加藤治久、和泉正一ら部隊幹部はソ連軍の略奪から守るためどこかへ隠すことを考えた。銀塊は国民政府にさし出すのが正しいと思ったのである。1本30キロの銀塊が9本。相当な量である。はじめ水槽に隠すことを検討したが入りきれないため、防空頭巾で覆って工場内の煙突に投げ込んだ。

 この作業は少数で行ったのだがそのうちの誰かが、45年暮れから新年にかけて9本中2本を盗み出し、満人部落で金に換えて飲み食いに使ってしまった。このことが日系八路の探索で露見し保安隊に報告された。八路軍は残存銀塊を収容するとともに、もっとあるはずだと執拗な追及を始めた。川原鳳策の検束・監禁もその一環で、他に加藤治久、和泉正一、小田政衛、菅野成次、木山敏隆らが呼び出しを受け厳しく詮索された。この件は盗み出した犯人が八路軍に自白して決着したが、仲間内に疑心暗鬼と不団結を産み出す要因になった。

 八路軍は東京陵病院内に、歯の治療に使う白金が保管してあるはずだと疑いを持っていた。それで川原鳳策にそのありかを聞いたと思われる。その頃歯科医の松永薫も同じ嫌疑で訊問を受けたが「陸軍病院では白金は扱っていない」とはっきり否定、八路軍もその後の詮索は諦めた。

 

 


by daisukepro | 2018-03-26 07:42 | 爆風

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員) 爆風(61) 18/03/19

戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(61) 18/03/19

明日へのうたより転載

 この通化事件だが、筆者は基本的には国共内戦の範疇に属すると見ている。日本敗戦で通化を支配した国民政府が民主連軍(八路軍)に追い出される。その奪還を狙って、旧関東軍勢力を抱き込んで引き起こしたクーデターだ。巻き添えを食って犠牲になった日本人居留民こそいい迷惑だと言える。ちなみに事件の年の末、国民政府軍は通化を奪還し、通化事件の慰霊祭を行っている。

 さて話を通化事件直後の我が火工廠に戻す。
 8・25事件の際浜本宗三らとソ連軍司令官に直訴し、自爆を阻止する働きをした川原鳳策はその後火工廠の研究室で手持無沙汰の毎日を送っていた。2月6日のことだ。ぶらりと諏訪中尉宅を訪問し、雑談しているところへ、蘇文廠長付の長身の男が入ってきて同行を求められた。とっさに逃げようとしたが腕を掴まれ戸外に連れだされる。そこに八路軍のトラックがいて数人の兵士に取り囲まれた。

 無理矢理荷台に引きずり上げられ周りを見ると、驚いたことに居留民会責任者の吹野信平少佐が座っていた。綿服の両袖に中国式に手を差し入れ、黙然と川原を見る。車は走り出した。太子河の橋を渡り、遼陽市内に入る。日本旅館らしき建物の玄関で降ろされ、突きあたりの部屋に入れられた。部屋の中には中国人とおぼしき10人ほどがごろ寝している。吹野、川原の2人はそれら中国人の間に隙間を作ってもらってその夜は寝た。もちろん寝付かれるものではない。

 後で分かったことだが同室の中国人は国民政府軍の捕虜だった。1人は自称中央軍中佐で相当な幹部。その男だけ陸上競技用の砲丸のような鉄球を鎖で足首に繋がれている。用便に行く時は鉄球を抱いて歩いていた。彼らは小銭を隠し持っていて、見張りの八路軍兵士に頼んで菓子や煙草を買ってこさせる。日本人的感覚では理解しがたい光景だ。ある時は中国人の女性が同室させれられたがさすがに翌日は別室へ回された。

 八路軍の兵士は朝夕点呼が行われ、士気高揚のためか必ず歌を唄った。一曲は「共産党(こんさんたん)、他的日本」という歌で「日本軍をやっつけてしまえ」という意味らしい。もう一曲は雪融けの泉が滔々と流れる様をうたった「崑崙山云々」と言い、なかなか心にしみる旋律だ。

 何日かして清水隊の板橋柳子少尉と竹村一郎が捕えられて同室に入れられた。竹村は英語の教師をしていた知識と素養のある青年だ。川原とは西洋の詩歌集の話題などで話がが弾んだ。さらに数日後、堀内某という青年が部屋に放り込まれた。堀内青年は身辺に不安を感じて東京陵から脱出しようとして太子河の橋の半ばで八路軍に捕まった。彼は八路軍の取り調べで「我々共産党は前非を悔い正直に白状した者はその罪を問わない方針だ」と説得され、国民党に誼(よしみ)を通じていた旨申し立てたところ「よく話した。もう帰ってよろしい」と言われたという。その言葉通り堀内青年は翌日釈放されて部屋を出て行った。

 


by daisukepro | 2018-03-26 07:36 | 爆風